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パリの小学校では、オリンピックを子どもたちにどう伝えた?

  • 2024.8.14

パリオリンピック・パラリンピックに沸いた2024年の夏。毎年バカンスに出かけるのが当たり前のパリジャンですが、今年は少し違います。街の商店は、例年通りクローズして入るものの、観戦組は、ゲームが終了してから出発していたようです。

このオリンピックに向けて、パリが開催都市であるが故に、子どもたちがオリンピックに興味を持ったり、当事者意識を持つように、この一年間にわたり、学校ではオリンピックをテーマとしたクラスや催しがありました。確かに、突然オリンピックがやってきたところで、親がスポーツにあまり興味のない家庭では、オリンピリズム*に対する理解や、ポピュラーでない(サッカーやラグビー以外の)スポーツに対する理解度も当然下がるので、盛り上がりにはかけるもの。娘たちのスクールの校長先生は、哲学者であることからも教育の場でその理解を深めることの大切さを伝えたかったのかと思います。

*オリンピリズム近代オリンピックの父、Pierre de Coubertinによって提唱された社会哲学。スポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探究するものである。

CP(小学1年生レベル)でも楽しく学べるように、アートのクラスでは、オリンピックの歴史について学びながら、作品づくりをしていました。その中には塩粘土で作られた、まるで古代のメダルのイミテーションのようなものまでありました。

さらに、さまざまなスポーツを知る授業まで組み込まれ、自分が習っているスポーツのユニフォームを持ち寄り、それについて説明し、クラスでは自分のユニフォームを着たり、借りたりしながら、そのスポーツならではのポーズを取ってポラロイド写真を撮っていました!(残念ながら、娘が柔道着を借りて着て撮った写真が見つからず......)

さらに、オリンピックのマスコットフリージュが毎週末クラスの生徒の自宅を周り、一緒に過ごした週末を共有のフリージュダイアリーに皆が書き込んでいき、担当した生徒が翌週発表するという企画もありました。フリージュをこよなく愛しているぐりは、自分の担当日を心待ちにして、フリージュとどんな週末を過ごすか、事前に相談され、ダイアリーには写真も入るので、フリージュと訪れる場所ごとに自分でロケハンまでして、アートディレクター並みの準備でした。笑。

そういった、オリンピックが来るまでの事前準備のおかげで、我が家の中では会話に出てこないフェンシングやアーチェリーといった競技にまで及んで、娘たちが競技について知っていたのには、驚きました。

昨年から行われていた、オリンピックとファッションという装飾芸術美術館での展示のビジット、5ー6月の道路の突貫工事で大渋滞、7月からはオリンピックのための交通規制が本格的になり、移動が多少不便になる生活からもリアリティを持って、オリンピックが始まるのだと感じるようになりました。いつも乗り換えする駅にメトロが止まらず遠回りになると「オリンピックだもんね。」という言葉が娘の口から出てくるようになりました。

いつも遊び慣れたチュイルリー公園の遊具のエリアも立ち入り禁止になって、街がPARIS2024の看板に埋め尽くされてしばらくした頃にオープニングセレモニーがありました。

毎日、毎日「ねぇねぇ、どうやって選手は船に乗って登場してくるの?」と私に質問していましたが、その答え合わせの日です。娘たちにとっても、自分が知っている風景がたった一晩だけの「お祭り」になっていることにとてつもない特別感を感じていたようです。また、「あれ?ここはこの間長縄跳びして遊んだところだよね?」なんていうシーンもあり、みなさんもご存じのように、オープニングセレモニーは本当にスペシャルでした。6ー7月上旬の選挙によって、フランスがまるで分断されたような、政治的な状況に重たい雰囲気だったパリが、たった一夜にして自尊心を取り戻したようでした。

批判も色々ありますが、舞台演出家らしい演出方法は、パリの街という最高の舞台でフランスの持つ多様な文化を、これまた思いきりフランスらしく見せたような感じがします。きっと国民がそれを感じてフランスであることに再び自信を持ったのではないかと思います。

私たちは、男子ゴルフのラウンド2を観戦してきました。

じっと座っているのが苦手な娘たちには、松山英樹選手のラウンドに付き添うように歩いたのですが、スター選手たちのプレイを間近に見たり、オーストラリアのジェイソン・デイ選手にハンドタッチまでしてもらい、大満足の1日でした。

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