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あなたは“こっち側”の人間か?“あっち側”の人間か?

  • 2024.8.13

キラキラ見える水卜麻美アナも、実は“こっち側”の人だった

SNSが根付いていったとき、「誰もが主役になれる時代」が来たのだとそう思ったもの。しかし結局のところ今、ちょっと異なる構図ができてしまっている。SNSをやる人と、見る人とにキッパリ分かれ、それが何となく“陽と陰”に見えるようになっているとの見方があるのだ。

SNSをやる人は基本的にみんなキラキラして見えるから、同年代や同業者のそういうキラキラのSNSを見ては、何だか落ち込み、鬱状態になりがちな人がにわかに増えているというのである。

そもそもSNSはやるのも見るのも興味がないという人はまったく別として、誰もが主役になれるはずが、皆が始めたSNSもどんどん淘汰が進み、自分には合わないとやめてしまう人、輝けずに脱落してしまう人、理由はそれぞれだが、結果的にはやっぱり主役と観客、光を浴びる人とそれを眺める人に分かれてしまうということ。光を浴びる人が以前より身近にいる分だけ、光を浴びられなかった人のダメージが大きいというのだ。

でも、人間ってそんな単純だろうか。もちろんSNSを眺める立場になって、凹んでいる人もある数いるのだろうが、多くはそういう場所から逃げてきた人。そうやって人前でパフォーマンスすることが苦手、というより好きではないことに気づき、人から“いいね”をもらうことにも特段喜びを感じない、むしろひっそり目立たない方が心地よいことを自覚できた人が多いのじゃないか。でもだから、出て行きたい人だらけの社会に生きていると、どっぷりと疲れてしまうことにも気づいた人が……。

そもそも出て行きたい人の方が人間として単純、ひっそりしていたい人の気持ちはある種わかりにくいものだからこそ、きっと打ちひしがれているのだろうと世間は思うわけだが、必ずしもそうではない。彼らは複雑なのだ。

まず、このタイプが必要以上に人の心を読んでしまい、だから必要以上に気を遣い、疲れてしまうのは事実。そして自分をアピールしないでいる方がむしろ楽。だからまわりに理解されないケースも多々……。

そういう意味で、もう終了してしまったが、『午前0時の森 おかえり、こっち側の集い』という番組は、実に的を射ていたと思う。まさに“こっち側”の人たちだけが共有できる感覚を“あるある話”の中に収めていき、何となくみんなでホッとする。同じ戸惑いを持つ人の話を聞くことに、静かな幸せを感じるわけだ。

とりわけ芸能界では、自分自身も当然のように出て行きたい人間でなければいけない気配の中で、余計に苦しい思いをしていたりするわけで、自らを“こっち側”の人間だと思う出演者は、その番組の中ではまさに水を得た魚のように安心しきっているのがわかるのである。そこには、いかにも“あっち側”に見える人も多数いる。そもそもMCを務めた日テレの水卜麻美アナは、一見、思い切りキラキラの“あっち側”の人に見えるが、実際は“こっち側”? しかも「自分の話をすることが苦手だから、笑ってやり過ごすタイプ」と分析したのが、同じ“こっち側”を自認する二宮和也だったりしたのだ。本当にわからないもの。それこそ、自分の話をしないから、本人にしかわからないのが“こっち側”。でもだからこそ、この番組を見て救われたり癒やされたりする人が少なくなかった。実は同類の人間が他にもたくさんいることを知るからで、今までそれを確かめる術がなく、それ自体に孤独を感じていたから、共通点があまりに多い人々の話を聞くだけで満たされるのだ。

ただ今の時代、こういう人たちは“めちゃめちゃ明るく振る舞ってクタクタに疲れている”か、さもなければ“自分の意見をハッキリ言えない人”“自分に自信がない自己評価の低い人”などと、否定的な見方をされるかのどちらか。

しかし、自己評価が低いってホントだろうか。皆が皆、意見をぶつけ合ったらまとまらない。皆が自信満々に承認欲求に走ったら、受け止める人がいない。競り合って大混乱になるだろう。“こっち側”の人はたぶんそこまで考えて“こっち側”の人をやっていて、自信のない“いたいけな人間”ではないのだ。

もちろんどちらが良い悪いではない。

ただ自分はどちらの人間なのかを知っておく方が生きやすいのは確か。さまざまなコミュニティーの中で、“あっち側”の人々の中になじもうとしている“こっち側”の人間は、日々ストレスを抱えてしまうに違いないから。“こっち側”であるという自覚と備えが健全な社会生活を送る絶対の鍵となるのである。

森の中の一人暮らし、柴咲コウの生活は“こっち側”の生き方の理想?

たとえば、北海道の森に一軒家を建て、一人暮らしをしている柴咲コウの生活を見て、何だか心が洗われるように穏やかになったという人がいるはずだ。「これは、寂しい孤独ではない、豊かで甘美な孤独……」そう語る柴崎コウの精神性に憧れを持った人がいるのだろう。

10代で芸能界デビューし、女優や歌手として活躍を続ける中で、自然への想いが募り、ある種の罪悪感を感じるようになったという。何かを買うとゴミまでついてくる、それを自然に還元できないことも含め、このままでいいのだろうかと。そこで「衣・食・住」をテーマとしたブランドを自ら立ち上げ、プレオーガニックコットン製の衣類や、化学調味料不使用のレトルト食品などを販売、環境省の環境特別広報大使に任命されるなど、自然と関わる新しい生き方を始めている。

そしてこの人もずばり“こっち側”の人。自らを“人見知り”と言い、アクションを起こすのが苦手、相手の様子をうかがってしまうタイプ、だから共演者と打ち解けるのに時間がかかるという。

そんな自分の魂と向き合うために森の一人暮らしを始めたということなのだろうが、一方で、この人のウィキペディアに記された“親交のある人”の数がやたらに多い。それこそ共演した多くの人と深い親交を持っていることがわかるのだ。つまり人見知りではあるけれど、そして“こっち側”の人ではあるけれど、その分だけ人と丁寧に向き合い、深い絆をつくっていく、ちょうど自然とも深く関わっていくように。何かこの人の生き方が、“こっち側”の人間の一つの理想のように思えてくる。

また水卜麻美アナは、中村倫也との結婚で“今日の出来事を話せる人が初めてできたこと”をやんわり認めたが、“こっち側”の人間はパートナーを得ることで、心おきなく自分を出せるオアシスを得るのだ。そういう意味で、意外に結婚が早いか、逆によほどのことがない限り結婚しないか、どちらかに偏りがちな傾向があるとも言える。

要はそういうことも含め、“こっち側”ならではの生き方がある。それを知ると、多少の生き辛さも孤独も、何もかもどこか神聖なものに思えてくる。まさに柴咲コウのように、豊かに甘美に自分を研ぎすませる生き方もできるわけで、“こっち側”の人間も悪くはない。いや全然悪くないと思えてくるはずなのだ。

“あっち側”の人間は、いつもキラキラと自分を外に向けてアピールができ、“こっち側”の人間からしたら「おめでとうございます!」と讃えたくなるほど祝祭的な人生を送れるわけで、もちろんこれはうらやましい。ただそれぞれの居場所があるのだということ、きちんと整理して知っておくべきなのだろう。人生には、2種類の哲学があるのだと。そして想像以上に多くの人が“こっち側”であることにも早く気づくべき。それだけで疎外感が減って、楽に生きられる。自分は特殊ではなく、実は自分の理解者が世の中にたくさんいる事実を知ることが、疲れを癒やしてくれるとわかるはずだから。

さぁ、あなたは“こっち側”だろうか、“あっち側”だろうか。“こっち側”の人間に「おかえり」と言ってくれるあの番組、再開してほしいと切に願っている人が少なくないこと、お伝えしておこう。

皆が皆、意見をぶつけ合ったらまとまらない。皆が自信満々に承認欲求に走ったら、受け止める人がいない。“こっち側”の人はたぶんそこまで考えて、“こっち側”の人をやっていて、自信のない“いたいけな人間”ではないのだ。

撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳

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