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「だから主婦ってバカって言われちゃうんですよ」サブカル誌『ビックリハウス』に見る"女"をめぐる論争

  • 2024.8.9

「女性の自立」を昭和期の雑誌はどのように描いてきたか。サブカル誌『ビックリハウス』(1974~1985年)を調査・分析した立命館大学准教授の富永京子さんは「女性の自立を支持しつつも、主婦からもキャリア・ウーマンからも距離を置く『働く女』たちの像が誌面に見える」と、女性の解放の“過渡期”であった当時を読み解く――。

※本稿は、富永京子『「ビックリハウス」と政治関心の戦後史 サブカルチャー雑誌がつくった若者共同体』(晶文社)の一部を再編集したものです。

防寒とかっこよさ ロングブーツが大流行
1977(昭和52)年11月17日、東京・銀座を歩く若い女性の足元はロングブーツばやり。ピークといわれた前年は450万足が売れ、長めのスカートによく似合うブーツ姿が街にあふれた。
「結婚に逃げるってことは考えてないですか?」

『ビックリハウス』の女性編集者たちは、いわゆる「個の解放」、つまり女性の経済的自立や職業をもつということについて一貫して真摯である。

例えば、高橋章子編集長は男性読者との座談会の中で次のようなやりとりをしている(対談相手の氏名は「読者」と改めた)。


読者 僕、女の人をうらやましいと思うんです。自分のやりたいことがだめになったら、結婚に逃げるってことは考えてないですか? 僕が女だったら、そう考えて行動するんじゃないかな、男だと生きていく為に必ず職につかなきゃいけないでしょ。

章子 そういう考え、許せないなあ。女でも男でも、仕事に向う姿勢は同じはずなんだよ。GF[ガールフレンド]いる?

読者 いないです。GFでも、あんまり仕事ができるっていうのは望みません。りこうな女性ってのは好きじゃない。友達も、みんな「一人で独占したい」って考えですね。

(『ビックリハウス』1979年10月号、71–72頁)

「女の人は結婚に逃げられる」という男性の意見に対して、それまでは談笑していた高橋が「許せない」と切り返す。

また他の対談記事でも「アイツ女だからだって言われんの口惜しいからね、仕事の面ではキリッとしようとか思います」【*1】と仕事への真摯さと性別は関係ないと高橋は語る。【*2】

「主婦」に距離を置く『ビックリハウス』

こうした職業的自立に関する語り自体は、『話の特集』や『面白半分』に見られる中山千夏や市川房枝の主張とそこまで遠くない。一方、興味深いことに、時折投稿者や読者として「主婦」が出てくる際、彼女たちに対して『ビックリハウス』の編集者たちは距離を置くような態度を取る。

例えば以下は、高橋編集長が『ビックリハウス』ファンの28歳主婦に話を聞くという内容の記事である。


あなたにとって、BH[ビックリハウス]とは?

「家に入ってると変化がありませんでしょ、不安で……。社会的に合流するっていうか、その為に。主婦の友? 好きじゃありません! この間“3WC”[投稿コーナー「3WORDS CONTE」の略]に投稿しましたよ。デキ? どうかしらね」[中略]「チャップリンの一連のものは風刺がきいてますでしょ、庶民の抵抗できない権力に対して逆説的に笑いの中から抵抗するっていうか。笑いを普通の生活に持ち込むのはいいけど、BHのは単なる笑いに終おわってしまうような……それがちょっとテイコウあります」

私、毎日、単に笑って終ってますけど。もっとも家帰ってから布団かじって泣いてますが。

(『ビックリハウス』1978年6号、136頁)

戯画化される典型的な主婦像

『ビックリハウス』内に出現する主婦の語りは、それが現実に行われたとされるインタビューか創作的な記事かを問わず、丁寧語・女言葉(「ありませんでしょ」「どうかしらね」)、社会的に意識が高く(「風刺」「逆説的に笑いの中から抵抗する」)、小さな日々の幸福を愛でるといった特徴をもつ。【*3】

また主婦たちのそうした態度に編集者陣が冷ややかに反応する(「私、毎日、単に笑って終わってますけど」)、といった流れもよく見られるものだ。

読者の平均年齡が18歳であり、高校生・大学生を中心的な読者とするこの雑誌において、主婦である読者はそれほど多くない。【*4】

そのため、前述のようなインタビュー記事はむしろ少なく、主婦像は編集者や読者によって創作されるものがほとんどだ。

『ビックリハウス』に描かれる「主婦」に典型的な像として、節約が好き、あるいはその必要に迫られている【*5】、手芸が好き【*6】、「紅茶茶碗の茶シブを台所用漂白剤ハイターで一生懸命落」とす、「夫が焼肉やすき焼きの時私のお皿に肉をとってくれる」など、生活のささやかな事柄に幸せを感じる【*7】といった像がある。

これらは編集者や読者によって「小市民」【*8】「主婦根性」【*9】などの言葉で形容される場合もある。

刺繍
※写真はイメージです

こうした主婦の社会的な意識の高さやささやかな幸せ志向――もっともそれ自体が『ビックリハウス』の編集者・読者によって戯画化されたものだが――に対する編集者の反感は、年を重ねるごとにますます強くなっていき、1983年以降の記事にとりわけ多くみられる。

“腹いっぱいの女”になれ

例えば、アダルトビデオの廃止運動を行う女性に対して「だから主婦ってバカだって言われちゃうんですよ」【*10】といった厳しい評価を下すものもある。【*11】

以下は『ビックリハウス』内のコーナー「メディア・ジャック」【*12】にて、ドラマの性表現に抗議した新聞投書を取り上げた投稿に対するコメントである。


最近主婦のアル中は増える一方であるという。まあ、外に出てウダウダ「仕事」という名目で暇つぶしをしている亭主族に比べれば、家にとじこもりっきりの主婦族のストレスのたまり具合はすごいんだろうな、と思う。せめて腹いっぱいの女になって、ストレスでも解消してください。だから、無茶苦茶なことを電話でいうのはやめてくださいね、お願いします。

(『ビックリハウス』1984年10月号、11頁)

キャリア・ウーマンもおちょくるスタンス

『ビックリハウス』が提示した、小市民、ささやか、女らしい、意識が高いという主婦像は、1970~80年代の日本社会における主婦像と重なる部分もある。

富永京子『「ビックリハウス」と政治関心の戦後史 サブカルチャー雑誌がつくった若者共同体』(晶文社)
富永京子『「ビックリハウス」と政治関心の戦後史 サブカルチャー雑誌がつくった若者共同体』(晶文社)

1970年代には母子関係の絆を強調する言説が展開され、「母は家庭で子育て」という規範が高まる一方で、1980年代の「新しい社会運動」の主要な担い手には主婦がおり、誌面でも取り上げられたような、新聞の投稿欄に問題提起をする女性たちの投稿が数多く寄せられた。【*13】

ここから『ビックリハウス』の編集者たちは、女性の自立を支持しつつも、主婦という存在をステレオタイプ化し距離をとったと考えられるが、かといって働く女性、「キャリア・ウーマン」に共感を寄せるわけでもないのが興味深いところだ。

『ビックリハウス』の女性編集者たちは、自らを他の女性誌に出現する女性のように「キャリア・ウーマン時代」【*14】を象徴する存在とは捉えず、「キャリア・ウーマン」や「翔んでる女」といった、女性の経済的・職業的自立を象徴する呼称【*15】をあえておちょくる。

解体工事中の朝日新聞社と日本劇場
※写真はイメージです
独身女性同士の距離感

例えば彼女たちのキャリア・ウーマンに関する記事を見てみると、「キャリア・ウーマンこそ我が青春のプロレス!」【*16】「男の変かわり身の早さについては、よっく分かるのよね。なにしろ私、経験の豊富なキャリア・ウーマンムキンポ女だから[「ムキンポ」は、読者投稿コーナー「全国流行語振興会」を通じて創作されたビックリハウス誌上の造語。特定の意味はなく、間投詞のように使われることが多い]【*17】「今、セックス自由に楽しめんのが翔んでる女だとか、キャリアウーマンがどうしたこうしたって、世の中ギャーギャーもりあがってる」【*18】と、同じ独身女性という立場ではあっても、やや茶化すような、遠目に見るような態度が垣間見える。【*19】


*1 『ビックリハウス』1980年9月号、18頁。
*2 同様の主張が見られる記事として『ビックリハウス』1980年6月号、9月号などがある。
*3 『ビックリハウス』1978年7月号、1983年11月号、1981年11月号、1983年12月号。
*4 『ビックリハウス』1982年12月号、1983年12月号、1984年12月号「ビックリハウスレポート」、1981年6月号。
*5 『ビックリハウス』1979年8月号、1981年6月号、1980年11月号、1980年8月号、4月号。
*6 『ビックリハウス』1979年4月号、1981年6月号。
*7 『ビックリハウス』1980年10月号、11月号、1984年4月号。
*8 『ビックリハウス』1981年6月号、106頁。
*9 『ビックリハウス』1980年4月号、63頁。
*10 『ビックリハウス』1983年11月号、10頁。
*11 同様の主張が見られる記事として、『ビックリハウス』1983年12月号など。
*12 『ビックリハウス』内のコーナー「メディア・ジャック」は「TV、ラジオ、あらゆるメディアでみつけた面白ニュースや記事、ちょっと気になる情報」を、「どこが面白かったのかのコメント」(同誌1983年4月号、142頁)とともに読者が投稿するコーナーである。そのため「メディア・ジャック」に書けるコメントのコンセプトそのものは読者によるが、コメントは無記名であるため投稿者による作文か編集者が文章化したものかは厳密には判別できないが、本文中の引用部については読者・編集者双方の「主婦」イメージが反映されたコメントとして捉えることはできるだろう。
*13 天野正子「問われる性役割 『自己決定』権の確立に向けて」朝尾直弘ほか編『岩波講座 日本通史 第21巻 現代2』岩波書店、1995年、200–212頁。
*14 『ビックリハウス』1979年4月号。
*15 江原由美子「フェミニズムの70年代と80年代」江原由美子編『フェミニズム論争 70年代から90年代へ』勁草書房、1990年。斎藤美奈子『モダンガール論』文藝春秋、2003年。池松玲子「雑誌『クロワッサン』が描いた〈女性の自立〉と読者の意識」」『国際ジェンダー学会誌』第11号、2013年。
*16 『ビックリハウス』1981年10月号、146頁。
*17 『ビックリハウス』1978年11月号、117頁。
*18 『ビックリハウス』1979年7月号、98頁。
*19 『ビックリハウス』1980年12月号など。

富永 京子(とみなが・きょうこ)
立命館大学産業社会学部准教授
1986年生まれ。立命館大学産業社会学部准教授。専攻は社会学・社会運動論。東京大学大学院人文社会系研究科修士課程・博士課程修了後、日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、2015年より現職。著書に『社会運動のサブカルチャー化 G8サミット抗議行動の経験分析』(せりか書房)、『みんなの「わがまま」入門』(左右社)など。

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