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作家・せきしろの忘れられない、あの一着。〈adidas〉のスキージャケット

  • 2024.8.9
せきしろさんが着用している、アディダスのスキージャケットをつがおか一孝さんが描いたイラスト

「アメカジを目指し、辿り着いた“懐古カジ”」

文・せきしろ

私が上京したのが1989年で、東京ではすでに古着の文化があった。それは私の故郷にはなかった文化だった。

最初は誰が着たのか分からないものを買うことに抵抗があったが、すぐに慣れた。古着特有の香りも戸惑ったが、そちらも何も思わなくなった。

私はビンテージには手を出さず安さを求めた。とにかくお金がなかったのが大きい。それでもそれなりのアメカジにもなったし、好きで聴いていたアメリカのハードコアやグランジに近づけた気がした。

足繁く古着屋を訪ねるうちに、個人的に心動かされる服を探すようになった。ほとんどがTシャツで、今でも続いているTシャツ収集はこの頃始まったものだ。企業もの、ノベルティ、当時はわりと珍しかった日本語が書かれているものなどを買った。色分けされたTシャツがずらりと掛けられているコーナーを端から端まで手早く1枚ずつ見て探す時間は、まるでレコードを探す時のようで楽しかった。

そうしているうちにあることに気づいた。自分の中で古着イコール懐古になっていたのだ。
私は基本的に未来よりも、そして今よりも過去に興味がある。いわゆる懐古趣味である。それの是非は置いておき、これが古着を買う時の指針になっていった。懐かしいものを買うことが増えていったのだ。

例えば好んで着ていた服があるとする。やがてその服が格好悪いと思うようになる。当たり前のことだ。ところがさらに時が流れると再び格好良いと思うようになる。その服を探そうと古着屋を巡る。懐古が原動力になるのである。

90年代にジャージが流行った時があって、私が子供の頃に目にしたことがあったりあるいは着たりしていたジャージを探すようになった。古着のジャージを見ていると「こんなデザインあったな」とか「このジャージ、同級生の◯◯が着ていた」などと思い出した。その頃は〈adidas〉を探したものだ。同時に〈CLUB adidas〉も探していたのを憶えている。それも子供の頃よく目にしていたものだ。逆に子供の頃に見かけなかった〈NIKE〉は買わなかった。

いつしか私の古着はアメカジから離れ、いうならば“懐古カジ”になっていて、海外のものだけではなく国内のものも混ざっている店に行くようになった。その中のひとつに吉祥寺の古着屋があった。残念ながら今はもうない店である。小さい店舗ではあったが、自分好みの服がある店で、そこで〈adidas〉のスキージャケットを買った。「子供の頃によく見たやつだ!」と興奮した。配色と形がとにかく懐かしかった。

せきしろさんが着用している、アディダスのスキージャケットをつがおか一孝さんが描いたイラスト

たしか2シーズンくらい着た。その後仕舞いっぱなしであるが、家のどこかにあるはずだ。最近また着たいと思い始めている。

ただあの頃とはかなり体型が変わってしまったからサイズが小さすぎるのではないか問題と、私の年齢で古着を着ると「無自覚にずっと同じ服を着てる人」に見えてしまう可能性があるのでそこは大丈夫かどうかの再確認が必要である。と書いているうちにどうしても着たくなってしまったので、新たに古着屋で探そうかと思い始めてもいる。

ちなみに前述した吉祥寺の店は又吉直樹氏が初舞台の衣装を買った店でもある。

profile

せきしろ(作家)

1970年北海道生まれ。作家、俳人。近著に『その落とし物は誰かの形見かもしれない』(集英社)、『放哉の本を読まずに孤独』(春陽堂書店)など、又吉直樹との共著に『まさかジープで来るとは』(幻冬舎)、『蕎麦湯が来ない』(マガジンハウス)など。
HP:https://www.sekishiro.net/profile

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