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「小中学生の子どもを残して夫婦ともに単身赴任」有名企業役員から地方転職してまでやり遂げたかったこと

  • 2024.8.8

グローバル企業の役員の椅子をきっぱりと捨て、地方の中小企業のCEOの道を選んだ女性がいる。下村祐貴子さんがその人だ。転身当初「子どもだけ東京に置いて地方に仕事に行くなんて」と周囲からの非難もあったという。そこまでして彼女がやりたかったこととは――。

小さな息子を抱きしめる母
※写真はイメージです
6度の面接で掴んだ部署異動は、まるで転職

「スピード狂」「鉛弾マインド」という言葉に思わず目を惹きつけられた。

これは、キッズ&ベビー用品を販売する「ケラッタ」のCEOであり、共創型M&Aで地方のものづくりをサポートする「MOON-X」執行役員の下村祐貴子さん(44)のパソコンに貼られたステッカーの文字だ。

「これはMOON-Xのバリューなんです。今できることは即断即決でやりきる、そして困難な場面に直面しても立ち向かい、前進し続けるという意味です」と下村さんは笑う。自身は、スマートなファッションに身を包んでおり、いかにもスタートアップ企業のトップといった印象だ。

ケラッタCEOの下村祐貴子さん
ケラッタCEOの下村祐貴子さん。「地方のものづくり企業をナンバーワンブランドに押し上げる」と意欲を語る。

2002年、大学卒業後の下村さんのキャリアは、老舗グローバル企業のP&Gからスタート。しかも流通戦略を担うゴリゴリの理系部署だった。

大学時代で学んだことを大いに発揮できる部署ではあったが、そもそもP&Gはブランディングやマーケティングで有名な企業。

組織の本丸で働きたいと思い、25歳で広報に異動願いを出す。しかし理系キャリアはまったくの畑違いで、まるで転職するようなもの。何度も、何度もトライし、面接をくぐり抜け、6度目にしてやっとのことで念願部署への異動を果たした。

仕事を辞めたいと思ったのは、これまでたった一度

広報職で頭角を現し、30歳の時、P&Gシンガポールの戦略広報マネージャーとして海外赴任となる。社内結婚をした夫もほとんど同時期にシンガポールに異動できたので、海外生活は順調と思えた。

なにせP&Gの広報では異例とも言える1年半で、マネージャーに昇格したのだから。しかし、内実はそんな甘いものではない。

というのも帰国子女でなく、海外留学経験もなかったため、当然ながら最初は英語にかなり苦労した。しかし語学は日々の努力でなんとかなる。

どうにもならなかったのは、当時1歳だった長男の病気だった。

「何度も熱を出して入院するほど、息子は体が弱かったんです。一度、10日も熱が下がらないことがありました。私が仕事ばっかりしているから、息子がこんな目に遭うのだと自分を責め、もしこのまま熱が下がらなかったら、仕事は辞めようと決めていました。でも、そう決心したすぐ後に奇跡的に熱が下がり、快方に向かったんです」

これはきっと「仕事を辞めるな、このまま頑張れ」という、神の啓示かもしれないと下村さんは捉えた。

「それ以来どんなにツラいことがあっても、仕事を辞めたいと思ったことはありません」

人員整理と解雇通告も任務の1つに

多国籍の部下を持つリーダーになり、アジアに向けたヘアケア製品の広報、SK-IIのグローバル広報としてPR戦略を牽引した。が、それ以外に重要な仕事の一つに“人員整理と解雇通告”があり、これが随分と気が重い仕事だったという。

「アメリカの上層部から、チーム内で何人かの人員削減をするようにとお達しがくるんです。日本人以外は通告してもあっけらかんとして、逆に退職に際して条件交渉をしてくるほど前向きに捉える人も多いのですが、精神的にツラかったのは、自分と同じ文化的背景をもつ日本人社員に通告しなければならなかった時ですね……ただ、その時の社員とは今でも連絡を取り合い、お互いのキャリア相談などもできており、感謝しています」

モノよりも情報を伝える側になりたい

シンガポールでは6年ほど過ごして日本に帰国した。

「シンガポールは情報統制がされているのか、ネガティブなニュースはあまり流れないんです。でも帰国すると、熊本地震や子どもの虐待など、悲惨なニュースがどんどん流れてきて、悲しくなりました。これをなんとかしたい、モノではなく、その大変な状況に貢献できたらと思い始めたのです」

そんな時にFacebook Japan(現Meta)からヘッドハンティングをされた。しかも広報の責任者という好待遇。

老舗グローバル企業のP&Gよりも、Facebookはすべてがより自由でスピーディー。目的を決めて結果さえ出せば、仕事のプロセスは自分自身で決めればいい。

「例えば、開発中のInstagramの機能をあと1週間でリリースすると通達されたことがありました。しかも短期間でリリースが無理ならば、開発途中のベータ版でGOとなったんです。7〜8割の出来で発表して、修正をかけながらそのうち完成に持っていけばいい、本当にダメなものならやめればいいという考えです。すべてが刺激的でした」

下村さん
PCに貼られた「#スピード狂」のステッカーが目を引く。企業バリューである“即断即決”は、下村さん自身も常に心がけている。

そして在籍時、もっとも力を入れたのがFacebookやInstagramを使った地方活性プロジェクトだ。地方自治体と連携して地方から全世界への情報発信をサポートしたのだが、地方には素晴らしいブランドがたくさんあることがわかった。プロジェクトはやりきった感があったので、次は反対にブランドをつくる側になりたいと願った。

新入社員として配属され、社長業をみっちり修業

下村さんが選んだ次なるステップは、“地方のものづくり力とIT”を掛け合わせ、地方企業に共創型のM&Aやコンサルティング業を行う、MOON-Xの創業メンバーへの転身だった。

創業者は下村さん同様P&Gに勤務し、Facebook JapanのCEOを務めた長谷川晋さんだ。

当初地方発のクラフトビールや化粧品など、ゼロイチでモノづくりを行っていたが、それではコストも時間もかかる。短時間で結果を出すには、日本全国にあるブランドのポテンシャルをグンと伸ばすほうがいいのではと、方向転換した。それならば下村さんもお手のものである。

そしてM&Aの対象の一つになったのが、D2C企業のケラッタ(旧やまびこ屋)だった。

おもしろいのは、下村さんは新入社員としてケラッタに入社したこと。

「普通、M&Aといえば、すべての契約が終わって会社の譲渡が完了してから、社員に知らされ、新しい会社の人間がやってくるパターンが多いです。でもケラッタは違いました。M&Aの前に、今度こういう会社の下村さんという人が来るからと、社員に前社長が伝え、それから3カ月間みっちり社長業を伝授されたのです」

前社長の社長業特訓はかなりハードなものだった。ケラッタはECがメインなので、楽天やAmazonの徹底研究はもちろん、いきなり無茶振りの課題をだされたことも。

下村さん

「私が次期社長で大丈夫か否かを見定められていたのでしょう。新宿駅から特急に乗って長野県塩尻市にあるケラッタに向かう際、電車に乗った途端、到着までの2時間半で製品情報を全部覚えてこいと厳命されて。でも、私はある程度の商品情報はすでにインプットしていたので、なんとかなりました」

かと思えば、

「この商品がベストセラーになったのはなぜか? 仮説を立てて自分で検証して発表せよという課題が出されたこともあります。その時は5つ立てた仮説の中で4つクリアしたのですが、1つは不正解。で、『そんなこともわかっていないのか』とけちょんけちょんにこき下ろされました(苦笑)。今思えば愛のムチですが」

創業者からすれば、苦しんで産み育てたわが子のような会社を、そんじょそこらの人間に渡したくないとの思いだっただろう。

「夜、子どもだけにするなんて大丈夫か?」と周囲から非難

しかし、そこから下村さんに難関が待ち構えていた。東京の自宅とケラッタがある長野との二拠点生活が始まるのだが、週3日ほどは子どもだけで暮らすことになったのだ。

なぜなら夫はその時イギリスに単身赴任中、関西在住の両親には頼れない状況だったからだ。

「私がいない間の料理をすべてつくって、長男にご飯だけ炊いてねとお願い、さらにはヘルパーさんも雇って家を出ました。日々の生活はちゃんと回っていくようにしたのですが、子どもたちだけで過ごす夜もあって……」

長男は中学生になりだいぶしっかりしていたが、次男はその当時まだ小学校3年生。母に甘えたい盛りの年頃なので、“荒れた”ことも。

「『○○(次男)の家は、ママがいないらしいよ』と、クラス内に広まり、同級生の親御さんの中でも『○○君、お母さんがいないから荒れるのでは?』と噂になっていることも聞きました。当時、次男のクラスには同じ境遇の方はいなかったので、家に小・中学生の子どもを置いたまま、地方に何日も仕事に行く母親がいるなど、とても信じられなかったのでしょう」

転職当時の子どもの心情を思うと「今でも心が“キュッ”と痛む」と母の顔に
転職当時の子どもの心情を思うと「今でも心が“キュッ”と痛む」と母の顔に
仕事は絶対辞めないが子どもが心配で鬱寸前に

P&Gにいたシンガポール時代、一度仕事を辞めようと思ったこともあったが、今度はCEOとして会社の全責任を背負う立場だ。絶対に引き下がれない。しかし次男の心が荒れたことを思うと心苦しくて、鬱寸前の状態だった。

「だから子どもの同級生のママたちにはどうしてこうなったのか、わが家の状況を話し『何かあれば助けてね』と、お願いしました。そうしたら徐々に理解してくれ、私がいないとき、ママ友たちが何かとサポートしてくれるようになりました。今も仲が良くて『最近忙しい? 家は大丈夫?』とたまにSNSで聞かれます。反対にほかのママが忙しい時は、私がサポートをするなど、持ちつ持たれつのいい関係性を築くことができました」

どんなにITツールが発達しようと、人間同士で大事なのはリアルなコミュニケーションだ。

その一方で、次期社長合格となった下村さんは、CEOを引き継いだ。2022年にケラッタのM&Aは完了した。

今はもう1社、東京がベースのバッグ&財布ブランドのCEOを兼務することになり、長野に行くのは2週間に1回のペースになった。そのため、夜子どもたちだけで過ごす日はなくなった。しかし、当時の綱渡りの生活を思うと、今でも心がキュッと痛むこともあるという。

「違う!」と思われながらも、大改革を断行

このようにして下村さんが率いる、新生ケラッタがスタートした。前社長の経営路線から、大きく2つ変えたことがある。

まず手をつけたのが社員の意識改革だ。

前社長はケラッタの創業者だから、よくも悪くもすべてがトップダウン。何を決めるにも前社長の“鶴の一声”ですべてが決まっていた。

「でも、これから会社が大きくなっていけば、私一人で会社を見きれなくなります。販売戦略にしても、何にしても『私はこう思うけれど、社長はどう思いますか?』と自分の提案を持ってきてほしいと、引き継ぎから半年間ほど口を酸っぱくして言いました。でもこれまでのやり方で動いてきている中、すぐには意識を変えられないし、最初はなかなか提案を持ってこない。『そんな簡単に決められません!』と反発もありました。でも、社員は何年もここで働いているので、絶対につくりたいものや、新しいアイデアがあるはずなので、時間をかけて引き出していきました」

しかし、社員はともかく、現在相談役となった前社長はどう思ったのだろう? 創業者の自分を否定されたように思わないだろうか? 通常のM&Aでは、前社長のやり方を真っ向から変えるのはご法度とされているが。

「きっと『それは違うよ、シモンヌ(下村さんのニックネーム)』と内心では思っていたでしょうね……(苦笑)。彼はゼロイチでケラッタをつくった人だから、戦略に関して素晴らしい能力を持っているので、その意見は取り入れています。けれど組織づくりに関しては、何れ大きな企業にしたいと思うと、それを見越した組織づくりにする必要があるのはわかっていたので、大企業での経験が役立ったと思います。各々のいいとこ取りで経営していこうと思ったのです」

2つ目は、半期に一度、明確な目標を持つこと。

2023年に入ると、楽天の「ショップ・オブ・ザ・イヤー」を勝ち取ることを下村さんは宣言した。

これは楽天市場の5万5000以上のショップの中から上位0.3%だけが選ばれる名誉ある賞。楽天サイドからもかなり難しいと言われていたし、今度ばかりは社員たちも「違うよ、シモンヌ」と思ったに違いない。

筋トレは仕事と同じ。頑張るほど結果がついてくる

しかし、とても難しいと思う目標に向かって、言い続けること、行動をし続けることが大事。そうすれば難関突破できるはずと下村さんは確信していた。

まさにMOON-Xが掲げる「鉛弾マインド」である。もちろん口で言うだけではなく、楽天の営業パーソンも巻き込んだ販売戦略を考案、ショップ・オブ・ザ・イヤーをとったブランドをすべて調べ上げて必勝ポイントを徹底的に分析した。結果、2023年6月から230%ほど売り上げが伸び、見事「ショップ・オブ・ザ・イヤー」に輝いた。

次なる目標は、ベビー&マタニティー部門でのナンバーワンブランド。そして、安全性や肌触り、耐久性などが重要なアイテムは、実際に試せるように実店舗で展開したいと考える。ベビーで使っているスキルを介護用品にも広げたいと、さらにその先も見つめる。

公私ともにフル回転する下村さんだが、平日のプライベートは筋トレをする時間しかない。だからこそ、筋トレにハマった。ボディビルの大会近くになると、食事コントロールを徹底。体脂肪率を9%にまで絞り込んで、ムキムキに変身する。終われば、また元の女性らしい体に戻るということを、繰り返す。「ムキムキも柔らかいのも、どちらの体も好き!」と笑う。しかも、脂質を取らなくなると、頭も冴えてくるそうで、そこがいいとか。

大会前は、極限まで体脂肪率を絞る
大会前は、極限まで体脂肪率を絞る。「頭は冴え渡り、仕事がはかどります」

筋トレは頑張れば頑張るほど結果が出る。「ある意味、仕事と一緒なんですよ(笑)」。ああ、どこまでも仕事が好きな人なのだ。

東野 りか
フリーランスライター・エディター
ファッション系出版社、教育系出版事業会社の編集者を経て、フリーに。以降、国内外の旅、地方活性と起業などを中心に雑誌やウェブで執筆。生涯をかけて追いたいテーマは「あらゆる宗教の建築物」「エリザベス女王」。編集・ライターの傍ら、気まぐれ営業のスナックも開催し、人々の声に耳を傾けている。

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