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恋愛ドラマの未来とは?【杉咲花・主演『アンメット』】にあって他の作品になかったのもの

  • 2024.8.2

『アンメット』は究極の純愛を描いていた

杉咲花と若葉竜也が神がかり的な演技を見せ、大きな感動と反響を呼んだドラマ『アンメット~ある脳外科医の日記~』(関西テレビ放送)。放送中もさることながら、6/24に最終回を迎えてもなお、その熱が冷める気配はない。先日も、同ドラマのギャラクシー賞6月度月間賞受賞や、Filmarksの2024年上半期国内ドラマ人気ランキング1位獲得が発表された。また見逃し配信再生回数も、カンテレ制作の連ドラでは歴代1位となる2200万回を超えたことが伝えられるなど、時間が経つにつれますます評価と関心を高めているほどだ。

『アンメット』は、主人公の脳外科医・川内ミヤビ(杉咲花)が、記憶障害を患いながらも周囲の人たちに支えられ、患者と全力で向き合っていく物語。彼女の記憶障害にはある秘密が隠されており、『アンメット』は一見、医療ドラマのようにも、ミステリーのようにも見える。が、終わってみればこの作品は、史上かつてないほど美しい“心”を描いた究極の純愛ドラマだったと感じるのだ。

ドキドキするような胸キュンシーンや、ドラマチックなすれ違いや修羅場が登場するわけでもない。しかし『アンメット』は視る人たちに愛の美しさを感じさせ、「愛の力を信じられる」と間違いなく思わせた作品だったと思う。恋愛ドラマがヒットしないと言われる今、なぜこのような奇跡の一作が生まれたのか。その理由を考察してみることは、これからの恋愛ドラマの可能性を探ることでもあると考えたので、あらためて少しばかり深掘ってみたいと思う。

最初から最後まで1ミリもブレることがなかったメッセージ

『アンメット』の成功に関して(成功という言葉を使うのも無粋なくらい素晴らしい作品なのだが)、個人的な結論を先に述べてしまうと、その秘訣は役者の演技力と脚本力、あまりにもシンプルなこの2点にあったと思う。が、これこそがシンプルなようでいてとてつもなく難しい要素であり、それゆえ昨今の恋愛ドラマが、無意識に避けて通っているものでもあるように感じるのだ。

まず脚本力について考えてみたい。今回、『アンメット』の何が他の恋愛ドラマと比べてとくに優れていたかというと、それは伝えたいメッセージがただ一つ、最初から最後まで1ミリもブレていなかった点にあると思う。ではそのメッセージは何かというと、それは「心が覚えている」だ。

記憶障害を患っているミヤビは、事故に遭う少し前からの記憶がすべて消えてしまっている。そして事故後も記憶が1日以上もたず、翌朝になると前日の記憶はすべて消え去っているのだ。それゆえその日起きたことを逐一日記に書き留めているわけなのだが、事故前の出来事については日記を書いていなかったため、思い出す術を持っていない。ゆえに、事故直前に出会って運命的な恋に落ちた医師・三瓶友治のことはまったく覚えておらず、三瓶が同僚として再びミヤビの前に現れたときも、悲しいことに彼に対して何ら心の動きを見せることはなかったのだ。

しかし三瓶は諦めていなかった。ことあるたびにミヤビに、「記憶を失っても、そのとき感じた強い気持ちは残るんです」と言い続ける。ミヤビはその言葉に励まされ、医師としても勇気を持って一歩踏み出し、再び患者と全力で向き合い始めるのだった。

恋愛を描くこととはどういうことか

そして物語は、終始この「心が覚えている」を軸に、ミヤビと患者たちから、次第にミヤビと三瓶、二人の絆へと焦点がクローズアップされていく。そして終盤の二人はまさに、記憶も余計な感情もなく、ただ本能的に感じる心だけで向き合っている、そんな崇高な愛のつながりを感じさせるものがあった。

情報社会、効率社会と言われる今、とかく私たちは「脳的に恋愛感情はいつかは冷めるもの」、「恋愛はコスパが悪い」などと愛というものを論理的に考え、そのメリットデメリットや、時に勝ち負けで見がちになっていると思う。しかしミヤビと三瓶が見せた愛は、真っ白で、真っすぐで、静かにも強く、そして何よりリアルだった。訥々と想いを語り合う二人の姿からは、この世には魂でつながった二人が奇跡的に出会い、恋に落ち、お互いを信じ続けることができる、そんな愛がたしかにあるんだと希望を取り戻させてくれるような強い説得力があったのだ。

比較的明確な軸がある医療ものやミステリー作品と違い、恋愛を描くということは、つまり人間のもっとも抽象的な部分を描くということでもある。それだけに作り手側に伝えたいメッセージがハッキリないと何も伝わらないし、そのメッセージも彼ら自身が本気で信じているものでなければ、視る人たちの心を揺さぶることはないだろう。「こうすれば視聴者はキュンキュンするだろう」「この要素を入れれば感動するだろう」という思いが少しでも入ってしまえば、きっともう視聴者の心には届かなくなってしまうと思うのだ。

『アンメット』には、そんな計算が1ミリも存在していなかったように感じる。脚本家はもちろん、制作スタッフも、役者たちも、皆が想いを一つに突き進んでいたのではないだろうか。ただ「心が覚えている」と信じて。だから人々はこんなにも二人の愛に涙し、ドラマが終わって1ヵ月以上経つ今も、その感動が忘れられずにいるのだと思う。

杉咲花と若葉竜也という二人が並んだ奇跡

とはいえ、どんなに脚本が素晴らしくても、ドラマが持つメッセージを最終的に視聴者に届けるのは役者だ。それだけに演じる役者の技量の高低は、そのままメッセージがどれだけ視る人に伝わるかという度合いにつながっていくと思う。そういう意味で、『アンメット』で主演、そして相手役を務めた杉咲花と若葉竜也は、とにかく素晴らしかった。いまだかつて、こんなにレベル高く、崇高で、そして美しい演技というものを見たことがない、と感じた人も多かったのではないだろうか。本当に、大袈裟でも何でもなく。

とくに今作では、若葉竜也という、民放ドラマにはほとんど出てこない硬派な実力派俳優をキャスティングできたことは大きかっただろう。杉咲の演技力が誰もが認めるところであるのは言うまでもないが、そこに、淡々としていながらも何とも言えない迫力とアクの強さをたたえた若葉が対峙したとき、まさに神がかった相乗効果が生まれた。二人がただ並び、自分の中の奥深いところに潜む想いを静かに語り合うラストは、あまりに静謐で、厳かで、息をのむような感動があった。今後恋愛ドラマについて語られるとき、このシーンが希代の名シーンとして語り継がれていくことはおそらく間違いないだろう。

素晴らしい脚本と、素晴らしい演じ手。当たり前だがドラマ、とくに恋愛ドラマにおいては、この2つが他のどのジャンルよりも重要になるのだということを、皮肉にも恋愛をうたっていない『アンメット』が教えてくれたように思える。

ギャラクシー賞の受賞に際して『アンメット』のプロデューサーは、「偉大な座長がまだ誰も見たことのない景色を見せてくれた」と表現していた。本当に、この言葉がすべてだと思う。この春、私たちは、まだ誰も見たことのなかった史上最高の愛の物語を見せてもらった。そして同時に、終わったと言われる恋愛ドラマの可能性も、再び信じさせてもらうことができたのではないかと感じている。

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PROFILE

書き手

山本奈緒子 Naoko Yamamoto

放送局勤務を経て、フリーライターに。「VOCE」をはじめ、「ViVi」や「with」といった女性誌、週刊誌やWEBマガジンで、タレントインタビュー記事を手がける。また女性の生き方やさまざまな流行事象を分析した署名記事は、多くの共感を集める。

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