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「もし今、就職先を選ぶなら、あえて最悪のところを狙う」秋元康さんが時代の仕掛け人になれた本当の理由

  • 2024.8.2

社会で成功する人は何を大切にしているのか。大企業の社長や起業家たちを数多く取材してきたライターの上阪徹さんは「みんなと逆の方向に行く勇気を持てるか。それを選べた人が、大きな成果を手にしているのは事実」という。松本大さんと秋元康さんの取材からお届けする――。

※本稿は、上阪徹『彼らが成功する前に大切にしていたこと 幸運を引き寄せる働き方』(ダイヤモンド社)の一部を再編集したものです。

ビジネスチーム
※写真はイメージです
松本大さんの世の中への逆張り

この人の選択も、かなり「逆張り」だったのかもしれません。

マネックス証券の創業者、松本大おおきさんです。

東京大学法学部卒業後の1987年にアメリカのソロモン・ブラザーズ・アジア証券に入社。1990年にゴールドマン・サックス証券に転じ、1999年にソニーと共同でマネックス証券を設立しました。

今でこそ、外資系金融は人気の就職先の一つになっていますが、当時はまだまだマイナーな存在でした。しかも1987年といえば、バブル前夜の日本経済の絶頂期。日本の銀行が、大きな存在感を示していた時代だったのです。

しかし、松本さんは冷静に見極めていました。

もともと世の中は不確実なものだと思っていたからです。

特に理由があるわけではなかった。学生の頃から、肌で感じていたのだそうです。

不確実で流動的であってほしい

松本さん自身はサラリーマン家庭に生まれ、保守的に育てられていました。どちらかというと、冒険とか、新しい展開とか、そういうものを考えるような環境にはありませんでした。

ところが大学時代、ある友人の家族との付き合いが松本さんに変化をもたらすのです。

友人の家は事業家でした。世の中は、決められた選択肢の中でしか生きられないわけではない。彼らは、そんな思いを十分に抱かせてくれたのだと言います。

松本さん自身も、不確実で流動的な世の中であってほしいと思っていたのかもしれない、と語っていました。こうに違いない、こうでなければならない、という固定化した発想を持ちたくなかったのです。

働くことについて20代から考えていたことは、「自分の力をどれだけ最大限に発揮できるか」こそが重要だということ。もともと競争心が強く負けず嫌い。自分がどれだけ吸収できて、どれだけ新しいものを生み出せて、結果としてどれだけ効率よく自分の力が出せたかに、強い興味を持っていたと言います。

自分の馬力を発揮できると確信

ゴールドマン・サックス時代には、30歳で史上最年少のゼネラル・パートナーになっています。

しかし、株式公開直前に退職し、起業します。

もう少し待っていれば巨額の資産が入ったのに辞めてしまったことも話題になりました。

もともと会社を作りたいとか、起業したいとか、そんなふうに思ったことは実は一度もなかったそうです。ところが、1998年にインターネットに詳しい人と知り合い、インターネットが時間も場所も共有しなくてもいい効率的なインフラであり、これがほとんどのビジネスを再構築していくだろうと感じることになります。

とりわけ金融の世界では、インターネットを使った直接金融ビジネスが極めて重要になると思った。当時勤めていたゴールドマン・サックスにこの事業を始めるべきだと提案するのですが、個人対象のビジネスはできないと言われてしまいます。それで、自分でやることにしたのです。

あの時点では、ネット金融ビジネスこそが自分の馬力を最大限に発揮できるステージだと確信していたと言います。一方で証券ビジネスでは、手数料自由化が1999年10月と決まっていた。時間軸という座標が、さらに起業の後押しをしたのです。

暗いトンネルを歩く独身の若者の背面図
※写真はイメージです
秋元康さんはあえてみんなと逆に行く

人があまり行かないところに行く。これは、爆発的な成功の重要なヒントの一つかもしれません。

この人も、もし就職するとすれば、あえてみんなと逆に行く、と語っていました。作詞家であり、AKB48や乃木坂46をはじめとした大ヒットグループを生み出した秋元康さんです。音楽、テレビ、映画などで次々にヒットを世の中に送り出してきました。高校時代から放送作家として活躍してきた秋元さん。その「売れる」秘訣を聞きました。

秋元さんとて、自由業で、小さな一個人。

だから、みんなと同じことをしていたら負けてしまう、と語っていました。

みんなが集まっている野原には、野イチゴはない。だから、野イチゴがたくさんありそうな未開の場所を探すのだ、と。

流行に関わる仕事をしてきて感じていることがあったそうです。

それは、今はやっているものは、1年前に植えられていたということ。

例えば今、ヒマワリが高値で取引されているとして、ヒマワリを今から植えたらみんなと同じです。待っているのは、暴落しかない。必要なのは今、タンポポを植える勇気だというのです。

自分を持つ人が高い評価を得る理由

そしてもう一つ、秋元さんには好きな言葉がありました。

「止まっている時計は日に2度合う」

例えば、ずっと前から延々とカスミ草だけを植えている人がいるとする。

自分の姿勢を決して曲げない。カスミ草は今はヒットしていない。

でも、何年かに一度、カスミ草の大ブームがやってきて、この人は高い評価を受けるのです。

一方、ただ流されて、ヒマワリだ、タンポポだと移ろう人もいる。みんなが行こうとするところ、そのときに流行しているものを追いかける人のことです。こういう人は、永遠に時代から5分遅れで走り続けることになります。一度も時間は合わない。

ビンテージの時計
※写真はイメージです

秋元さんはこう言っていました。

もし今、就職先を選ぶとすれば、あえて最悪のところを狙うだろう、と。

みんなと逆へ逆へと行く。それが自分のやり方なのだ、と。

危ない場所にこそ野イチゴはある

ボロボロの状況にあるときこそ、チャンスのシグナルなのだということです。

蛇がいたり、滝があったりもする。しかし、みんなが危ないという場所にこそ、野イチゴはたくさんあるのです。

そもそも正解なんて、どこにもないと秋元さんは言っていました。でも、正解だと言う人に、人はついていくのだ、と。

はっきり「こうだ」という思いを持っている人に近づこうとする。そして、そういう人のところに、仕事は集まる。

秋元さんは成功を手にした人にたくさん出会ってきました。では、この人たちは何が違うのかというと、簡単だと言っていました。

「行動を起こしている」ということです。

上阪徹『彼らが成功する前に大切にしていたこと 幸運を引き寄せる働き方』(ダイヤモンド社)
上阪徹『彼らが成功する前に大切にしていたこと 幸運を引き寄せる働き方』(ダイヤモンド社)

まさにこれは、行動こそが偶然を起こすから、なのかもしれません。

問題は、やるかやらないか、なのです。ここが運命の分かれ道。しかし、実行に移す人は案外少ないのだ、と語っていました。

みんなと逆を行く勇気を持てるか。

いつか合う時計を待てるか。

ユニクロしかり、ニトリしかり、ソフトバンクしかり、30年前はほとんど誰も知らない会社だったのです。それを選べた人が、大きな果実を手にしたのは事実なのです。

上阪 徹(うえさか・とおる)
ブックライター
1966年兵庫県生まれ。89年早稲田大学商学部卒。ワールド、リクルート・グループなどを経て、94年よりフリーランスとして独立。雑誌や書籍、Webメディアなどで執筆やインタビューを手がける。著者に代わって本を書くブックライターとして、担当した書籍は100冊超。携わった書籍の累計売上は200万部を超える。著書に『マインド・リセット』(三笠書房)、『10倍速く書ける 超スピード文章術』(ダイヤモンド社)、『JALの心づかい』(河出書房新社)、『成城石井はなぜ安くないのに選ばれるのか?』(あさ出版)など多数。またインタビュー集に、累計40万部を突破した『プロ論。』シリーズ(徳間書店)などがある。ブックライターを育てる「上阪徹のブックライター塾」を主宰。

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