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最強国アメリカにも善戦の南スーダン、その原点は韓国人?“バスケ発展の土台”築いた支援の歴史とは【パリ五輪】

  • 2024.8.2

パリ五輪・男子バスケに出場中の南スーダン代表。初のオリンピックで歴史的勝利も収めた彼らの礎を築いたのが“韓国人”である事実をご存じだろうか。

7月28日、フランス・リールのスタッド・ピエール=モーロワで行われたパリ五輪・男子バスケのグループフェーズ(予選)C組第1戦では、世界ランキング33位の南スーダンが同16位のプエルトリコに90-79で勝利を収めた。

今回が五輪初出場となる南スーダンの記念すべき初勝利だ。新たな歴史を築いた南スーダンは、コート上にいた選手はもちろん、すべての人々が涙を流して歓喜に沸いていた。

南スーダンは五輪以前から、すでに驚くべき成果を出した。

大会前に行った世界1位のアメリカとの強化試合では、100-101とわずか1点差で惜しくも敗れた。南スーダンは爆発的な運動能力を発揮し、3Pシュートを33本中14本成功させ、NBAスター軍団のアメリカを追い詰めた。

そして、本大会ではプエルトリコに勝利を収めた。

南スーダン
(写真提供=AP/アフロ)男子バスケ南スーダン代表のJT・ソー

南スーダンはアフリカで最も貧しい国の一つだ。2011年にスーダンから分離独立して以降、13年が経過したが、相次ぐ内戦によって国内に体育館が一つもないほど劣悪な環境だった。

このような環境にもかかわらず、バスケという競技で急速に競争力を高めたのは、身体能力的な長所はもちろんのこと、そこに“固い意志”を組み合わせた結果だ。

南スーダンの国民の多数を占めるディンカ族は、全世界で平均身長が最も高い部族として知られている。男子は平均190cm、女子は平均180cmだ。

かつてNBAの舞台で活躍し、現在は南スーダンバスケットボール連盟の会長を務めるルオル・デン氏も、206cmという高身長を誇った。

ボールもユニもなかった南スーダンに韓国が“支援”

興味深いのは、南スーダンにバスケの土台を築いたのが“韓国人”だという事実だ。

2016年リオ五輪を控え、南スーダンでサッカーを教えていたイム・フンセ監督と現地僑民会長出身のキム・ギチュン氏が意気投合し、南スーダンオリンピック委員会(SSOC)を設立した。この過程で、傘下団体としてバスケ含めた9種目の協会を一挙に設立した。

バスケットボールやユニホームなど基本的なトレーニング用品もまともになかったが、そこで力を貸したのが韓国スポーツ界だった。

当時、国会議員を務めていたイ・エリサ氏(現・国家スポーツ政策委員会委員長)の斡旋で、大韓体育会や国民体育振興公団などが南スーダンに資金とスポーツ用品を渡した。韓国バスケットボール連盟(KBL)は各チームに頼んで収集したプロ選手のユニホームを伝達した。

そのおかげで、南スーダンのバスケ代表発足初期には、多くの選手が韓国プロバスケチームのユニホームを着用して練習していた。

また、今回のパリ五輪に向けても、韓国のスポーツブランド「Nassau(ナッソー)」がバスケ用品を後援するなどの支援を行った。

SSOCのイム・フンセ副委員長は、「バスケ代表の勝利の知らせに、南スーダン全域が祝祭の雰囲気になった」とし、「韓国スポーツ界の暖かな後援が土台の役割を果たしたという事実に対して、南スーダンのスポーツ界関係者全員が感謝している」と、南スーダン国内の雰囲気を伝えた。

南スーダンは8月1日に行われたグループフェーズC組第2戦でアメリカに103-86で敗れた。それでも、五輪初出場のチームとは思えない積極的なパフォーマンスで、世界中のバスケファンを魅了させていた。

なお、南スーダンは次戦、4日にセルビアとのグループフェーズC組第3戦を戦う。

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