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アシスタントを経験せずプロになれる?──ソーシャルメディア時代におけるプロ/アマチュアの境目とは【TAIRAのノンバイナリーな世界 vol.2】

  • 2024.8.1

Tairaの臨床モデル学 / Taira's Gender Studiesで、モデルの視点から社会を多角的に考察してきたTairaによる新連載「TAIRAのノンバイナリーな世界」では、日頃から何気なく成り立っている身の回りの「組み分け」にスポットライトを当てる。

曖昧なことやラベルを持たないことに不安を抱きがちで、なにかと白黒つけたがる私たち(と世間)だけど、こんなにも多彩な個性や価値観が共生する世界を、ゼロか100かで測れるのか。日常に潜む多くの「組み分け」を仕分けるものさしを改めて観察し直してみると、新しい世界や価値観に気づけるかもしれない。

モデルでライターのTairaが物事の二項対立的(バイナリー)な見方を取り払い、さまざまなトピックを「ノンバイナリー」に捉え直していく。

vol.2 プロ/アマチュア

Q1. “プロ”って何だろう?

コンテクストとシチュエーションに合わせて用いられがちな言葉だけれど、「その活動を通じて生計を立てているかどうか」が、“プロ”かそうでないかを分ける上でのざっくりとしたものさしになっている気がする。例えば医師や弁護士などプロとして働くために試験や証明書を必要とする職種や、特定のスポーツなどでは、プロ/アマチュアをより明確に分けて考えやすい。一方で、俳優業や音楽業といった芸術活動においては、その境界がより曖昧になりがち。

また、芸術活動を本業とする方々のなかには兼業をしている人も少なくない。では果たして、そうした人々が一緒くたに“アマチュア”として括られるのかというと、必ずしもそうではないはず。私にとって身近なモデル業でいうと、事務所に所属しているかどうかもプロ/アマチュアを組み分けるやんわりとした基準として機能している気がする。もちろん事務所に所属せずにプロとして活動しているモデルは少なくないけれど、事務所に所属している場合は必然的に、自分だけでなく仲介(マネージャー)を通して仕事を引き受けることになるから、モデル活動に励む本人にもより一層のプロ意識が求められる印象がある。

周りに自身の肩書きを尋ねられたときに、その活動を挙げられるのならばそれも“プロ”として仕分けられる目安になり得るかも。とはいえ、プロという言葉は一貫してケースバイケースで恣意的に、また自身/他者からの視点によっても流動的に用いられる概念だと思う。

Q2. “アマチュア”って何だろう?

Q1をもとにすると、生計を立てるための職業としてではなく、趣味や愛好家として活動に励む個人を便宜的に“アマチュア”と称することが出来るだろう。そうすると、現在の私は世間的にプロのモデルとして組み分けられることになるかもしれない。でも自分は意識的な面ではこの先も、“アマチュア”として精進していきたいなと思っている。

何らかの新しい活動に取り組み始めたばかりの個人は、基本的に“アマチュア”として捉えられるけれど、そんな駆け出しの頃のメンタリティには、人間として成長するために大切な心構えが内在していると考える。だから“プロ”として仕事に励むようになった今でも、「自分はまだまだ無知であるのだ」という姿勢を失わないように努めたい。ある特定のフィールドに関して「自分はプロだから、この世界のことは何でも知っている」という心構えになってしまうと、そこで成長が滞ってしまうのかなと考えていて。実際ある程度の経験を積んだ今でも、毎回お仕事をするたびに新たな発見があるし、現場をともにする方々を通じて新鮮な視点をいただいたりする。

もちろん経験を積んできたからこそ、あらかじめ予測できることも少なくない。その点に関しては“プロ”としてより効率的に仕事をこなせるけれど、心持ちとしてはこれからも、”アマチュア”の気持ちを忘れずに励んでいきたいと思っている。

Q3. “プロ”と”アマチュア”はどうやって仕分けられてるの?

ファッション業界に携わるクリエイターとしてキャリアを切り拓くためには、まずはアシスタントとして先輩アーティストに師事をすることが一般的。だけど「アシスタント=アマチュア」かというと必ずしもそうとは言えない。例えば、レジェンド的な存在のスタイリストやメイクアップアーティストともなると、その下にはアシスタントと称される人が多くいて、さらにそのなかでも日本語でいう“右腕”のような存在から順に、ファーストアシスタント、セカンドアシスタント……とポジションがあてがわれている。特にショーなどの規模が大きなプロジェクトの現場ではモデルの数も増えるため、それぞれのヘッドクリエイターに就くアシスタントの数もより多く求められる。だから普段はソロのアーティストとしてクライアントを抱えているけれど、そのときに限っては“アシスタント”として現場に参加する、熟練アシスタントも少なくない。

このように本来はとてもぼんやりとしたプロ/アマチュアの線引き。それを可視化させるためには、果たしてその個人がどれだけのプロ意識を持って仕事に取り組んでいるかという精神面も大きな基準になると思う。単純に資本主義社会における“プロフェッショナリズム”を考えた場合、報酬(通貨)を対価としてサービスを提供している個人には、自他ともに“プロ”としての振る舞いが求められるのかもしれない。

Q4. そんな組み分けは必要?

少し前まではアシスタントやインターンを経験してからでないと、“プロ”になるどころか、業界に足を踏み入れることすら難しかったとも耳にするけれど、最近はそんなしきたりにも変化が起きている。ソーシャルメディアが強い影響力を持つ昨今、大衆の人気を得ていればアシスタント経験の有無に関わらず仕事を掴み取れる時代になった。場合によっては、その個人の経験値やクリエイターとしての技術以上に、ソーシャルメディアでのフォロワー数や知名度が優先されるというケースも。

もちろんソーシャルメディアで人気を博すことも、特定のスキルと労力を要する功績であるし、彼/彼女たちはその道のプロだと思うけれど、例えば雑誌やテレビの撮影をもうまくこなせるのかというと、必ずしもそうとはいえないのではないだろうか。インターネット上での活動に重点がおかれる現代社会では、“プロ”と“アマチュア”の境界がより一層あやふやになっていると感じる。だからこそ、シチュエーションによってはその道の“プロ”を組み分けることが必要なシーンも出てくるかもしれない。

Q5. もしその組み分けがなかったら?

Q4で考察した通り、最近はプロ/アマチュアの組み分けがないとまではいえないにしても、その枠組み自体がだいぶ変化してきている。例えばプロの俳優として芸能活動一本で頑張っていてスキルも経験値も備えているが、ソーシャルメディアでの存在感がいまいちなAさんと、すでにほかの仕事を通して多数のフォロワーを獲得し、本業の延長として俳優活動も始めたBさんがいたとする。各々異なるスキルを持つ2人だけど、ソーシャルメディア(大衆の注目度)がものをいう今日の社会では、よりBさんに世間の関心が向きがちな風潮がある気がする。

だからといってBさんがアマチュアであるとか、プロとして名乗るのに相応しくないわけでは当然ないし、純粋にBさんが俳優として卓越している可能性だって十分にありえる。でも正直どこか、フォロワー数が命とすら感じられる昨今の潮流で失われてしまっているものもあるのでは……と考えてしまう。

一方でそれは裏を返せば、これまで財政面やアクセシビリティなどのさまざまな障害から業界に足を踏み入れることが難しかった人々に対しても、よりフラットに機会が与えられることに繋がっているというポジティブな側面でもあり、こうした変化は時代の移り変わりによる正に“諸刃の剣”的な賜物なのかもしれない。

Photo: Courtesy of Taira Text: Taira Editor: Nanami Kobayashi

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