1. トップ
  2. ファッション
  3. 画一的な美からの解放を唱えて9年。あなたは自分のボディとどう向き合っている?【連載・ヴォーグ ジャパンアーカイブ】

画一的な美からの解放を唱えて9年。あなたは自分のボディとどう向き合っている?【連載・ヴォーグ ジャパンアーカイブ】

  • 2024.8.1
Photo_ Giampaolo Sgura (cover), Shinsuke Kojima (magazine) Model: Rosie Huntington-Whiteley
Photo: Giampaolo Sgura (cover), Shinsuke Kojima (magazine) Model: Rosie Huntington-Whiteley

スポーツの夏である。パリオリンピックパラリンピックが開催される。五輪をめぐっては巨額の放送権料や運営陣のマッチョな体質が問題になっている。前回の東京大会は、開催が決定したときには素敵なおもてなし祭りで盛り上がったものの、当初のロゴに盗作疑惑、ザハ・ハディドのスタジアム案が白紙、東京都発案の斬新な「かぶる傘」型日よけの発表、会見でそれを被っていた都職員の虚無、あまりにもひどい開会式案、トップが女性差別発言で辞任、開催後に逮捕者は出るわ組織はとっとと解散して真相がうやむやになるわで、全然爽やかではない話題があまりにも多過ぎたため、アスリートたちの真剣勝負の記憶がかき消されんばかりとなった。

それでもまた開催されれば人々は毎日夢中になるだろう。日本でおなじみのフレーズ「感動をありがとう」には辟易するが、スポーツする身体は美しい。数十億の人々の眼差しが注がれる競技者の身体は、人が限りある時間を変化し続ける肉体で生きている尊さを教えてくれる。私たちの身体は実によくできているのだ。アスリートたちのように鍛えられてはいなくても、日々生きているのはこの緻密で精巧な有機物の塊のおかげである。

2015年7月号では、自愛としてのボディメイキングという切り口で身体作りを特集している。他人から見て性的魅力のあるボディを目指すのでも、均整がとれた肢体を誇示して人より優位に立とうとするのでもなく、おのおの健康で心地よい身体のあり方を探りましょうという提言だ。

画一的で商業的な「あるべき美」から人の身体を解放しようとする流れは今も続いているけれど、その中で少し前まで強調されていた「どんなカラダも美しい」という主張に疲れた人も多いんじゃないだろうか。この号でも「日本人の(薄べったい)体は美しい」という特集がある。マーケットの主流とされる人々の目から見て「美しくない」とラベリングされてきた身体を自分の手に取り戻し「いや、ここに美がある」と主張することは極めて重要だ。だがその先には、そもそも身体は美しくなければならないのか? という問いが待ち構えている。今では、身体の美を云々すること自体から自由になろうと唱える人も増えている。私も同感である。手をかけようがほったらかしだろうが、自分が気に入るようにすればいいではないか。命の入れ物なのだから、心地よいのが一番だ。ただ生きるためにある体でいけない理由がどこにあろう。多くの人とは違う体も、病む体も老いる体も、全き命のありようである。更年期を迎えてからはなおさらその思いが強くなった。

10代の頃は違った。第二次性徴が遅かった私は、いつまで経っても割り箸のような自分の体型が嫌でたまらなかった。ようやく胸にわずかな標高差が生じたものの優美な曲線には恵まれず、干潟のような骨ボネしいデコルテを見ると悲しくなった。今でも、胸に丸い弾力のある肉塊がついているのはどんな感じだろうと憧れる気持ちはある。もう、これから成長することはないとわかっているから「ああ今回の人生では経験できずじまいだったなあ」という寂寥感に見舞われるのである。人はみんな、気がついたら生まれていて、選んだわけでもない身体を生きなくちゃならない。そして時間には限りがある。いま私の肉体は各所が萎みつつある。最近、眉間と目尻にはボトックスを打ち始めたが、それだって老いを止めることはできない。高いクリームを塗って喜ぶのと同じで、いっとき心地よくはなるが、命の時計が巻き戻るわけではない。

だからこそ、惜しむのだ。そう長いお付き合いはできないのがこの身体だ。なすがままに時に呑まれつつ、我が身との名残を惜しむ。大切にし、感謝して一緒に過ごすのだ。念入りにお化粧しながら過ごしたい人もいるし、泳いだり走ったりして楽しみたい人もいる。やがて滅びてしまうのだから、今ある身体とちょっとでもいい時間を過ごしたいじゃないか。

自撮り満載の誰かのインスタを見ていて、切なくなることがある。そうだよね、今日の自分は瞬く間に消えてしまうのだから、お気に入りの自分をたくさんの人に目撃してほしいし、記録と記憶に留めたいと思うのだろうなと。休みなく代謝を続ける生のカラダは、いっときも同じ形をとどめていることはない。どれほど手入れをしても変化してしまうものなのだ。

生成AIの飛躍的進歩によって、やがて目に映る人の体のほとんどは老いなくなるだろう。仕事も社交も、思い通りにできる仮想身体でこなせるようになる。生身の身体は名前をなくして、あなたの老いゆく身体はあなただけの秘密になる。我が身に愛想が尽きても、どこかに置き去りにすることはできない。いやでも同居しなくちゃならないのだ。だから相性がよかろうとそうでなかろうと、ほどほどに仲良くしておくに越したことはない。この夏は、アスリートたちの挑戦を讃えつつ、見慣れた己の身体にも労りと感謝を捧げよう。

Photos: Shinsuke Kojima (magazine) Text: Keiko Kojima Editor: Gen Arai

元記事で読む
の記事をもっとみる