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『海のはじまり』に『アンメット』…“静かなドラマブーム”を巻き起こした“大ヒット作品”とは

  • 2024.8.26

2020年代のテレビドラマを観ていると、静かで優しい世界を描いた作品が増えてきているように感じる。

たとえば、現在放送中の『海のはじまり』。

月9(フジテレビ系月曜夜9時枠)で放送されている本作は、自分に6歳の娘がいることを知った青年・月岡夏(目黒蓮)が、娘と向き合っていく中で、少しずつ父親として成長していく姿を描いた物語だ。

大学時代に別れた恋人が、中絶したはずの娘を産んで1人で育てていたとわかる導入部の展開はショッキングだが、劇中のトーンは静かで優しいものとなっており、可能な限り登場人物が感情的にならずに理性的に話そうとしている姿が、強く印象に残る。

本作を観ていると今まで自分が観てきたドラマと全く違う価値観で作られているように感じる。

筆者にとってドラマとは異なる価値観を持った人間と人間が意見をぶつけ合うもので、相手を怒鳴りつけたり、突発的に殴ってしまうことが当たり前だった。

しかし本作は、普通のドラマなら感情を露わにする場面でも、感情を押し殺して可能な限り理性的に振る舞おうとしている。

正善説がベースにある本作に登場する理性的で優しい人々の振る舞いは、筆者のようなおじさんには理解しがたいものがあるが、だからこそ逆に、自分が知らなかった新しい価値観がドラマの中にあるように感じて、毎週引き込まれてる。

『silent』で確立された生方ワールド

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(C)SANKEI

脚本を執筆しているが生方美久は、2021年に第33回フジテレビヤングシナリオ大賞を受賞後、2022年に『silent』(フジテレビ系)、2023年に『いちばんすきな花』(同)と一年おきに連続ドラマを執筆。

今回の『海のはじまり』で連続ドラマは3本目だが、すでに生方ワールドとでも言うような独自の世界観と作劇スタイルを確立しつつある。

それを一言でいうと「静かな優しい世界」を丁寧に描くということなのだが、その萌芽は初めての連続ドラマ『silent』の時点で打ち出されていた。

本作は聴者とろう者の恋愛を描いたラブストーリーで、『海のはじまり』で主人公の夏を演じている目黒蓮が、ろう者の青年・佐倉想を演じている。

主人公の青羽紬(川口春奈)が、手話やメッセージアプリを用いて耳が聴こえない佐倉とコミュニケーションをとろうとする場面が劇中では魅力的に描かれ、音のない静かな世界の美しさが映像で表現されていた。

今振り返ると『silent』というタイトルはとても象徴的で、生方が得意とする静かで優しい世界は、本作で確立されたと言って間違いないだろう。

また、本作でチーフ演出を務めているのは『海のはじまり』でもチーフ演出を務めている風間太樹だが、彼のドラマ演出家としての出世作となった2020年の深夜ドラマ『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』(テレビ東京系、以下『チェリまほ』)も「静かで優しい世界」を描いた先駆的作品だったと言えるだろう。

『チェリまほ』は30歳になって触れた人の心を聞こえるようになった童貞のサラリーマン・安達清(赤楚衛二)と営業部のエースの黒沢優一(町田啓太)の恋愛を描いたBL(ボーイズラブ)ドラマだ。

本作の映像は写真のように美しく、劇伴や声のトーンも静かで優しいものとなっていた。同時にカット数を減らし、一つのシーンをじっくりと撮ることで、役者の芝居や表情をしっかりと収めようとしており、『silent』の映像手法は、この時点で確立されていた。

同じ生方作品でも風間が参加している『silent』と参加していない『いちばんすきな花』では言葉の比重が大きく異なり、同じように静かで優しい世界を描いていても『いちばんすきな花』は台詞やモノローグが全面に打ち出された言葉のドラマだったと言えるだろう。

対して、風間が再び参加した『海のはじまり』では、モノローグやナレーションは存在せず、台詞のやりとりも短い言葉による最小限のものとなっており、テレビドラマでは珍しい映像的な作品に仕上がっている。そして俳優陣も、感情を抑制した静かなやり取りの中で鬼気迫る芝居を見せているのだが、やはり主演を務める目黒蓮の演技に引き込まれる。

『silent』もそうだったが、目黒は相手の気持ちや言葉を受け止める寡黙な青年を演じるとハマる。いわゆる「受けの芝居」がとてもうまいのだが、彼の「受けの芝居」があるからこそ、他の俳優の演技が引き立つのだ。

目黒が演じる夏は、自分の意見を主張することが苦手な受け身体質の青年だ。しかし全く物事を考えてないわけではなく、ゆっくりとだがちゃんと物事を考えており、最終的には自分なりの結論を出そうとする。ドラマの登場人物としては珍しい平凡で個性の薄い青年だが、そういうどこにでもいる青年の魅力を好意的に描いているのも本作の美点と言えるだろう。

『アンメット』、『あの子のこども』 じわじわと広がりつつある「静かで優しい世界」

風間太樹や生方美久が追求してきた「静かで優しい世界」は若者層を中心としたドラマファンから高い支持を受けているが、彼ら以外の作り手にも静かで優しい世界を描く作り手が増え始めている。

例えば前クールに放送された『アンメット ある脳外科医の日記』(カンテレ・フジテレビ系)は記憶に障害を抱えた脳外科医の女性が主人公のドラマだったが、医療ドラマの見せ場である手術シーンを静かで淡々したものとして描いていた。役者の演技も実に抑制されたものとなっており、静かで優しい医療ドラマに仕上がっていた。

現在放送されている、高校生の妊娠を題材にした『あの子の子ども』(カンテレ・フジテレビ系)も、静かで優しいドラマである。妊娠した16歳の女子高生・川上福を演じる桜田ひよりは、『silent』で佐倉想の妹・萌を演じていたが、本作の映像も静かで優しいトーンとなっており、物語も妊娠した高校生カップルの選択を家族が見守る姿を通して、視聴者にセックスや妊娠の正しい知識を伝えようとする理性的な作品となっている。

こういった「静かで優しい世界」を描いたドラマが支持されるのは、やはり2020年以降の新型コロナウィルスの世界的流行の影響が大きいのではないかと思う。コロナ禍にマスクを着けた日常生活が続いたことで、わたしたちは大声で友人と会話することに対して抵抗感を抱くようになっている。そして、ハラスメントに対する意識が高まったことで上司が大声で部下を怒鳴りつけて命令するような乱暴なコミュニケーションに対する忌避感も、若い世代を中心に広く共有されるようになってきている。

そういった時代の空気を反映しているのが「静かで優しい世界」を描いたテレビドラマなのだろう。


ライター:成馬零一

76年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)、『テレビドラマクロニクル 1990→2020』(PLANETS)がある。