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手は口ほどに #3:手先の器用さは遺伝だと言う、独立時計師

  • 2024.7.31
腕時計を組み立てる様子

左手で摘まんだ台座に置かれた腕時計のムーブメントに、右手のピンセットで細かなパーツを組み込んでいく。根を詰めるときは、この作業が16時間も続く。眠っている以外の時間すべてじゃないですかと問うと、浅岡さんは「そう。眠くならないように、一日に何度もコーヒーを飲みます」とサラリと答える。組み立てだけではない。デザイン、パーツ作り、研磨、外装の仕上げまでをすべて一人で担うやり方は、腕時計が発明されたころの伝統的な方法と同じ。作業を分担する腕時計サプライヤーに所属しない浅岡さんのような存在は、畏敬の念をこめて「独立時計師」と呼ばれる。ただし、世界に数十人しかいない。1985年にスイスで設立された独立時計師アカデミーには35名が所属し、日本人は浅岡さんも含めて3名だけだ。

HAJIME ASAOKA Tokyo Japanの腕時計
HAJIME ASAOKA Tokyo Japanの腕時計は、デザイン、パーツ作り、組み立て、研磨などのすべてを浅岡さんが一人で手掛ける。一年に数本しか作られず、1本5万ユーロからと超高額ではあるが、世界中の王族やコレクターが顧客に名を連ねている。
独立時計師・浅岡 肇
古いビルの2階にあるアトリエで、時計づくりの機器や工具がところ狭しと並べられた大きなテーブルを前にしたシャツ姿の浅岡さん。「取材じゃないときは、もっとカジュアルな着こなしで作業していますよ」。
独立時計師・浅岡 肇
肉眼では見えないような微細なパーツを顕微鏡でのぞきながら、腕時計のムーブメントを組み立てていく。手にした工具でパーツを傷つけてしまえば、それまでの作業が台無しになるから、そうとうな集中力が必要だ。
腕時計のムーブメント
浅岡さんが作る腕時計は、径が40ミリ未満の比較的小振りなものばかりだ。「大きな時計を許容してしまうと何でもできるじゃないかと思って、ほどほどのサイズ感におさめることを自分に課している」。
独立時計師・浅岡 肇
パーツや工具などを金属のかたまりから削り出す。「おそらく、この最新のマシンはスイスの独立時計師でも持っている人は少ないと思う」。パーツ作りからすべて自分で行うのが、浅岡さんのこだわりである。

手先が器用で、子供のころからプラモデル作りが好きだった。「器用さは遺伝。母方がモノ作りの家系なんですよ」。最初に手にした腕時計は、中学の入学祝いでもらったシチズンの自動巻きクロノグラフだ。それが欲しいと両親に注文をつけたのも、プラモデル作りと関係している。「完成したプラモデルの写真を撮るときに、自室の片隅でスローシャッターを切る。特別な照明も無いような薄暗い場所で、シャッターの2秒とか3秒とかを計るために、ストップウォッチがついたクロノグラフが必要だった」。そのクロノグラフはいつしか壊れて無造作に引き出しに入れられたままだったが、年齢が30台後半に差し掛かったころに、ふと思い立って分解して修理してみた。機械式腕時計の構造が分かって、外装も磨いて新品のようになった。「生業にしようと考えたわけではない。興味本位の暇つぶし」。と言いながらも、その数年後には、国産初のトゥールビヨンをたった一人で作ってしまう。トゥールビヨンは、姿勢差でできる時刻の誤差を正す高級腕時計の代名詞のような複雑機構だ。「200年以上前の時計師であるブレゲが生み出したトゥールビヨンの設計や考え方が洗練されていて、共感できる」。

そのころグラフィックデザイナーの仕事をしていた浅岡さんには、モノづくりをするプロダクトデザイナーに戻りたい思いがあった。カメラ、車、さまざまなデザインにも興味がある。「なかでも、腕時計は小さくて制約が大きい。詰め将棋のような面白さ」。腕時計を通じて、自分はこういったものの考え方をすると表現し続けているのだと言う。「独立時計師としての作家性は、まず設計にでる。それをどんな機構に落とし込むのかに、センスが必要になる。そして、最後は集中力と忍耐力」。緻密な作業を数カ月続けて究極の一本を仕上げていく浅岡さんには、設計の段階で、すでに完成した腕時計が見えているのだ。

独立時計師・浅岡 肇
「腕時計づくりの作業に全集中していると、他のことができなくなる」。パーツの汚れをぬぐった紙や綿棒をゴミ箱に捨てることすら困難になって、最後は足元がゴミだらけだと言う。
シースルーバックの裏蓋を閉じる様子
細心の注意を払いながら、シースルーバックの裏蓋を閉じる、開く。そのために使うレンチも、腕時計のサイズや作業工程を考えながら、工作機械で自ら作った専用のものだ。
工具
既成のものから自分で作ったものまで、浅岡さんの手元には、あらゆる工具が揃えられていた。組み立てるパーツの種類や設置する位置などによって、次々と使い分けられる。
ピンセットで腕時計を組み立てる様子
「独立時計師アカデミーのメンバーくらいにしかわからないかもしれないけれど、ネジの配置ひとつにも、洗練された配置がある」。こうした細かなところに、時計師のセンスがでる。
独立時計師・浅岡 肇
旋盤による仕上げ作業は、100分の1ミリを削る油断できない作業。「ルーペで見ながら寸止め状態にしておいて、そうっと回して、音が変わった瞬間にひと目盛り回す」。
HAJIME ASAOKA Tokyo Japan セカンドラインの「クロノ」
セカンドラインの「クロノ」は、外国のマニアに向けてロゴを片仮名にしている(写真右)。復活させた「TAKANO」ブランドは精度にこだわり、クロノメーターを発表した(写真中と左)。

最初に、新しい1本のテーマが思いついて導火線になる。「それをどのように腕時計にまとめていくか。料理人が魚を見て、どんな一皿にするか考えるのに似た感じ」。浅岡さんは、パーツ作りも工程も洗練させて、スマートに進むのを目指している。そうは言っても、時計作りは生みの苦しみが多い。一つの工程で失敗すると、そこまでの作業をリカバリーするのに膨大な時間が取られる。「新作を思いついたとき、完成した腕時計の写真を撮るとき。最初と最後の作業だけが幸せ」。同じものを作るのは楽しくないから、注文は受けず、毎年1本だけ新作を発表するのが理想だと笑う。「たまには、緊張感のないプラモデル作りをやりたいなと思います。ロータスヨーロッパの12分の1モデルを、先日ヤフオクで購入しました」。手先が器用な浅岡少年に戻って、好きなプラモデルを作る時間的な余裕は、いまのところ見つかっていない。

profile

独立時計師・浅岡 肇

浅岡 肇(独立時計師)

あさおか・はじめ/1965年生まれ。東京藝術大学デザイン科を卒業後、プロダクトデザイナーやグラフィックデザイナーとして活動。独学で時計作りを学び、2009年に国産初のトゥールビヨンを発表し、それが「BRUTUS」の誌面で取り上げられる。2015年にスイスの独立時計師アカデミーの会員となる。その年に東京時計精密株式会社を設立し、2018年にはセカンドラインの「クロノトウキョウ」の時計作りもスタート。2022年に、独立時計師として初の現代の名工に選出された。2024年には、60年以上も前に存在した幻の国産腕時計ブランド「タカノ」を復活させ、フランスのブザンソン天文台が精度を認定するクロノメーター基準の腕時計を発表。

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