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中宗の妻として『チャングム』に出てくる王妃の正体は強烈な悪女?

  • 2024.7.18

朝鮮王朝の中宗(チュンジョン)は、時代劇に本当によく出てくる国王だ。実際、『宮廷女官チャングムの誓い』でもイム・ホが演じて登場場面がとても多い。彼が国王になれたのは、異母兄の燕山君(ヨンサングン)が暴政の末に廃位になったからだ。そして、1506年に「代理の国王」として11代王になった。

中宗の最初の妻は端敬(タンギョン)王后だったが、身内に燕山君の関係者が多かったので廃妃になってしまった。代わって妻になったのは章敬(チャンギョン)王后だったが、1515年に長男を出産した直後に亡くなった。

その後、中宗の三番目の妻となったのが文定(ムンジョン)王后である。まさに、『宮廷女官チャングムの誓い』ではパク・ジョンスクが演じている。史実の彼女は1934年に慶源大君(キョンウォンデグン)を産んだ。すると、慶源大君を王位に就けたいと欲深くなり、章敬王后が産んだ世子の命を狙うようになった。

その手口があまりに露骨で、世子が寝ている部屋に火を放つという暴挙も行っている。どういうわけか『宮廷女官チャングムの誓い』では文定王后を悪役として描いていないが、実際には、どうしようもない悪女だった。

本性を現わしたのが、1544年に中宗が亡くなったときだった。本当に親孝行だった世子の悲しみは深く、食が喉を通らなくなった。それゆえ、彼は12代王・仁宗(インジョン)として即位しても体調が良くなかった。

チャングムの誓い
『宮廷女官チャングムの誓い』の文定王后(写真=2003-2004 MBC)
政治を腐敗させた王妃

そんな中で、文定王后は仁宗に対して挨拶に来るように呼び出した。そのとき、文定王后が仁宗に勧めた餅に毒が盛られていたと言われている。結局、仁宗の死によって、文定王后は自分が産んだ息子を国王に就けることに成功する。それは、仁宗に子供がいなかったからだ。こうして即位したのが13代王・明宗(ミョンジョン)である。

その後、文定王后は自分の一族で利権を独占して政治を腐敗させた。『宮廷女官チャングムの誓い』で上品にふるまう王妃は、史実では、そのような女性だった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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