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【古代マヤ文明の謎と不思議】血なまぐさい儀式や奇妙な風習など4選!おすすめのマヤ文明の遺跡も

  • 2024.7.17

「マヤ文明」とは、紀元前から16世紀ごろまで、中央アメリカのグアテマラからユカタン半島にかけての地域で栄えた古代文明です。ピラミッド型の大神殿や祭礼場、裁判所、市場などが建設されました。今回は、そんなマヤ文明の謎と不思議にフォーカス。いまだに解明されていない謎や不思議はもちろん、一生に一度は訪れたいマヤ文明の遺跡もご紹介します。

マヤ文明とは何か

※画像はイメージです。

マヤ文明は、紀元前1,800年から16世紀前半まで、現在のメキシコ・グアテマラ・ベリーズ・ホンジュラス・エルサルバドルにまたがる「中米」に存在した文明です。

マヤ文明と聞くと、熱帯雨林のジャングルの中にあるピラミッドなどの遺跡を想像してしまいますが、マヤ文明が存在した頃の環境は多岐に渡ります。例えば、「チチェン・イッツァ遺跡」は低木林に囲まれているのです。

また、巨大なピラミッド神殿を築いたほか、マヤ象形文字、天文学、暦など驚くほど高度な文化を残しました。

マヤ文明の謎・不思議4選

※画像はイメージです。

ここでは、マヤ文明の儀式や習慣、崩壊の謎、マヤ人の起源の4つについてご紹介します。

血なまぐさい儀式

マヤ文明は「血」を重んじていたことがわかっています。王は黒曜石のナイフなどを使い自らを傷つけ、血を流すことで、その神聖な立場を守ろうとしたそうです。またメキシコとグアテマラの国境付近にある「ヤシュチラン遺跡」の石碑には、女性が舌に斜めに穴を開け、そこに紐を通しているシーンが描かれています。このように、王をはじめとした貴族らは、神々に血を捧げていたといいます。

また、「チチェン・イッツァ遺跡」の聖なる泉「セノーテ」では、人を泉に投げ込む儀式が行われていたとか。さらにマヤ最大の球技場では、神々の生贄を決めるための球技が行われていたそうです。

奇妙な風習

マヤ人は子どもの頃から眉と眉の間に樹脂の塊をぶら下げて、それを両目で見る訓練を行なっていたとか。これは「キニチ・アハウ」という太陽神が斜視であることが理由と考えられているそうです。また、歯に切れ込みを入れたり、削ったり、宝石を埋め込んだりしていたといいます。

加えてマヤ人には、子どもの頃から額を平らにする「頭蓋変形(とうがいへんけい)」という風習も。これは身分の高いマヤ人が行なっていたため、身分を示し、一般人と明確に区別するための行為だったと考えられています。

マヤの崩壊の謎

マヤ文明はいきなり崩壊したのではなく、9世紀から100年ほどの時間をかけて徐々に崩壊していったとか。とはいえ、9世紀頃から突然、マヤ低地南部の多くの都市が放棄され、人口が激減したことは事実です。そのため、戦争が起こった説、交易ネットワークが変わった説、洪水やハリケーン、地震といった自然災害説などが唱えられていますが、その理由は明らかになっていません。

マヤ人の起源

マヤ人は南米からやってきた人々であると考えられています。紀元前4,000年までにトウモロコシを主食とするようになり、それによってマヤ人の社会や文化が大きく発展したとされているのです。

一度は見たい! マヤ文明の遺跡3選

ユカタン半島先端部に位置する「チチェン・イッツァ遺跡」は一見の価値あり。1988年に世界遺産に登録された貴重な遺跡でもあり、9層からなるピラミッド「エル・カスティーヨ」をはじめ、神殿、宮殿、球戯場、天体観測所が残っています。メキシコのリゾート地「カンクン」から車で約3時間とアクセスしやすいのも魅力です。

また、9世紀ごろまで栄えたマヤ文明の巨大都市である、グアテマラの「ティカル国立公園」も見逃せません。高さ65mの急勾配なピラミッドのほか、神殿やテオティワカン文化の影響を受けた3,000もの建造物が存在します。9世紀頃、この都市からマヤ人たちは立ち去りましたが、その理由はいまだに明らかになっていません。

さらにベリーズの北部に位置する「ラマナイ遺跡」は、数あるマヤ遺跡の中で、もっともユニーク。ボートでリバークルーズを楽しみながらのアクセスとなるため、冒険家気分を最大限に味わえますよ。また、ベリーズ最大のマヤ遺跡であり、壁面に巨大な人面の浮き彫りがある神殿が見られるのもポイントです。

[参考]

マヤ文明と終末論の真実|ナショナルジオグラフィック

マヤ人とは何者だったのか? 古代文明の謎を解き明かす|ナショナルジオグラフィック

UNESCO

[All photos by Shutterstock.com]

 

 

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