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だから『キングダム』の信は戦災孤児ながら「天下の大将軍」を目指せた…秦国にあった究極の軍功制の中身

  • 2024.7.12

人気漫画『キングダム』(作:原泰久)の映画版第4弾『キングダム大将軍の帰還』が7月12日に公開される。古代中国思想史の研究者である渡邉義浩さんは「物語の舞台となる秦国は、始皇帝が生まれる100年ほど前に政治改革を行って国内のすべてのリソースを戦争に投じ、歴史の流れより数百年早く中華統一を達成する道筋をつけた」という――。

※本稿は、渡邉義浩『始皇帝中華統一の思想「キングダム」で解く中国大陸の謎』(集英社新書)の一部を再編集したものです。

主人公「信」のモデルは始皇帝に仕えた英雄・李信

『キングダム』は、戦災孤児でなんの後ろ盾もない信しんが大将軍を目指す姿を追う物語だ。この立身出世を可能にするのが、「軍功爵制」である。

ひとことで言えば、戦で手柄を立てれば、手柄に見合った出世ができるという仕組みだ。こうした制度はどの国でも取り入れてはいたが、秦の場合は徹底しており、生まれが下僕であっても、大将軍への道を用意している点が他国とは異なる。他の六国では、野盗出身の桓騎かんきのような将軍はありえない。

実際、信のモデルとなった李信りしんは、戦国時代に多くの軍功を挙げて将軍の位にたどり着き、秦の統一に貢献した。歴史上の李信が『キングダム』の信のように孤児だったかどうかは不明だが、秦では庶民階級から将軍に上り詰めることも決して絵空事ではなかった。軍功を挙げた者には、地位だけでなく家や土地も与えられる。

王騎と信
王騎と信。周から春秋時代までは、王騎が治めたような城でひとつの国だった。城壁の外までは支配できていない。出典=『始皇帝中華統一の思想「キングダム」で解く中国大陸の謎』、漫画『キングダム』(原泰久作、ヤングジャンプコミックス)10巻より ©原泰久/集英社
始皇帝が天下統一する140年前に秦の商鞅が行った大改革

春秋時代から戦国時代に変わって40年ほどのちに、孝公は秦の君主となった。嬴政えいせい(のちの始皇帝)が天下統一を果たす140年ほど前にあたる。

当時は七国のひとつである魏ぎが覇権を握っており、秦は大きく領土を奪われていた。孝公は勢力の挽回を図るため、即位と同時に広く人材を求めた。このとき抜擢されたのが商鞅しょうおうである。商鞅は「法家」の思想を前面に取り入れた一大政治改革を孝公に申し出た。

戦国時代の初期、東周の凋落ちょうらくを見た各国は富国強兵を目指し、政治体制や軍制の改革を模索していた。こうした改革を「変法へんぼう」といい、その内容は国ごとに異なっていたが、商鞅が立案した変法ほど極端なものはほかにはない。商鞅の変法は、秦を中国大陸史上存在したことのない国に変貌させてしまう、苛烈な改革案だった。そうした動きに対して国中から猛烈な反発が出たが、孝公は反対の声を完全に押さえ込んで、商鞅の思う変革を実現させる。

のちに六国を平定したときも、秦は商鞅の法家思想にのっとった制度で国を治めていた。孝公と商鞅は、およそ140年後に嬴政が達成する中華統一に向けて、その最初のレールを敷いたのである。

中国・戦国時代(紀元前403~前221年)初期の勢力図
出典=『始皇帝中華統一の思想「キングダム」で解く中国大陸の謎』
秦の商鞅が行った「変法」(紀元前356年)
出典=『始皇帝中華統一の思想「キングダム」で解く中国大陸の謎』
秦の兵士が強かったのは軍功があれば将軍にもなれたから

『キングダム』での信は、五か国連合と戦った「合従軍」戦の武功で、すでに土地を受け取っている。漫画では描かれていないが、このあとも軍功を挙げ続けていけば、やがて王騎おうきのように自らの都市を治めることができるようになるはずだ。

秦の役人は年間の成績が記録され、その成績順に位を上げていくが、軍功がある者は一気に地位を上げる。とりわけ敵の首をとることで一足飛びに高い地位を得られるので、命がけで戦う。秦の兵士の強さはここに大きな理由があった。

一方で、商鞅は公族にもこの軍功爵制を適用した。

変法の前までは、君主と血縁のある家系(公族)であれば、戦場で特別な功績がなかったとしても高位に就くことができた。秦に限らず、これが周以来の春秋戦国時代のスタンダードだ。

ところが軍功爵制の発令後は、たとえ君主と血がつながっている者であっても、軍功を挙げなければ公族の地位を剝奪されるようになった。君主の側近、寵臣たちも、当然ながら例外ではない。徹底した軍功爵制の適用によって、支配層の氏族的特権も容赦なく剝ぎとられていった。

嬴政の弟のように王族でも軍功がなければ出世できなかった

ここで思い出されるのは成蟜せいきょうのエピソードだ。『キングダム』で、秦王・嬴政の弟の成蟜は、屯留とんりゅうという地方の有力者の娘を嫁にしている。その屯留で反乱が起きたという報せを受け、成蟜は急ぎ自ら出陣し、鎮圧するという場面があった。

軍功爵制のもとでは王弟といえど、必要とあらば戦に出て功績を挙げなければならない。そのためには、常備軍を維持する必要があるが、常日頃から兵を訓練し将を養うには、彼らに毎年、俸給を出さなければならない。それには、領上を持ち、毎年、税を得る必要があるし、自分を支えてくれる有力者は貴重な存在だ。

屯留という自分の後ろ盾となる地域で反乱が起きたからこそ、成蟜は自ら鎮圧に向かったのだ。

屯留を救った成蟜
出典=『始皇帝中華統一の思想「キングダム」で解く中国大陸の謎』、漫画『キングダム』(原泰久作、ヤングジャンプコミックス)34巻より ©原泰久/集英社

「分異の令」で、個人を親族や宗族から切り離して氏族制を解体し、単婚家族を「什伍じゅうごの制」で相互監視させて課税と徴兵の単位とし、軍功爵制で公族や支配層の氏族制まで壊した商鞅の変法。結果、ローカル権力者は解体され、既得権を持っていても功績を挙げられなかった公族や家臣は没落していった。

一方、新たに爵位を得て君主に忠誠を誓う、信のような成り上がりの武将が出現した。国内の有力者の権力を剥ぎ取り、君主の実験を増やしていったのだ。

法家の「法」は、現代でいう法律とは異なる。歴史の教科書などでは、法家の特徴は「信賞必罰」の徹底にある、と書かれていることが多いようだ。厳格なルールを設け、それに違反した者には罰を下し、功績のある者には褒美を与える。ムチで国民を縛り、アメを与えて忠誠心を君主に向けさせるという単純なものである。

しかしこれは、当時の氏族制社会を真っ向から否定するものでもあった。その点から見れば、法家導入の最大の意義は「平等性」にあったと言えよう。

氏族性ベースの自治制から、君主が国民を統治する形に

当時の中国には、それぞれの地域に氏族制をベースにした「マトリョーシカ型のピラミッド構造」があった。国を支配する君主といえど、国の末端のことはわからない。大小のローカル権力者が各地で重層的に存在し、一般庶民を支配していた。そのため、国が庶民の動員を必要とするなら、ローカル権力者の協力が必要だ。ある地域で罪を犯す者が出れば、基本的にはその地域のローカル権力者が罰を下すことになる。

法家の「平等性」とは、このようなピラミッドをすべて潰すことを意味する。ローカル権力者を認めず、秦全土でまったく同じ法を布き、公族、王族、貴族でも、土地の有力者でも、一般庶民でも、ルールの違反者には身分を問わずに一律の罰を下す。唯一の例外は君主本人ただひとり。「法の下の平等、ただし君主は別格」ということだ。

嬴政は斉王との対話で、統一後の「法家による統治」に言及する
出典=『始皇帝中華統一の思想「キングダム」で解く中国大陸の謎』、漫画『キングダム』(原泰久作、ヤングジャンプコミックス)45巻より ©原泰久/集英社
男子がふたりいたら次男は家を出る、違反すると税が2倍に

具体的に変法の中身を見ていこう。その目的は、「氏族からの個人の“解放”」と、それを通じた「君主権の拡大」である。

前者でまず挙げるべきは「分異の令」だ。ひとつの家にふたり以上の男子がいる場合は、次男以下を家から追い出し、分家させなければならない。この時代、親戚同士の家族が同じ家に一緒に住み、集落では複数の一族が集まって共同生活をして、集落ごとにそれぞれ独自の秩序を形成していた。これを壊し、祖父・祖母・父・母・長男の5人を1ユニットにする単婚家族を強制的に作らせたのである。

『キングダム』1巻の冒頭、戦災孤児の信しんと漂ひょうが下僕として預けられていた家族が出てくる。里典りてん(集落の長)の家父、妻、そして息子。描かれていないが、祖父母がいるのかもしれない。このような単婚家族が商鞅の変法下での基本単位である。もし、あの家族に次男が誕生し、結婚したら、分家して別の家族を作らなければならない。この分異の令を破ると2倍の税を課された。

分家をするときは国が指定する土地に行かなくてはならない。それまでの馴染みの場所からはるか遠く離れたところで生活していくことになる。家族や宗族といった、氏族制のネツトワークから個人を分断することが、分異の令の目的なのだ。分かれた後は、もとの家族との関わりは極力少なくなるよう設計されている。

しかも斡旋先は、敵国から奪ったばかりの土地であることも珍しくなかった。『キングダム』23巻で、秦は魏の将軍・廉頗れんぱを破り、奪い取った山陽の地を東郡と改名し、住民を移住させたことが描かれている。この描写は正しい。新住民は文字通り開拓民で、ここは秦王の直轄地となり、税も秦王のもとに入る。

さらに、昔から住んでいる土地でも移住先でも、地域共同体は「什伍じゅうごの制」で再編成された。これは、なんの縁もゆかりもない5家族を集め、1組として編成するものだ。構成員である5家族は、不正をする者はいないか、国家反逆を企てる者はいないか、組の中で相互に監視し合う。組内で悪事があれば、実の親であろうと告発しなければならない。

5つの家族ごとに監視し合わせる共同責任の制度を作った

告発されなかった悪事が発覚すると、5家族全員が処罰される。事前に知っていたのに報告しなかった者は、身体を胴で真っ二つにする「腰斬」に処された。その代わり、不正や反乱を告発した者には、戦場で敵の首をとった者と同等の褒美が与えられたという。それぞれの宗族が祖先神として祀っていた、各地の「社稜」や「宗廟」もことごとく破壊の対象になった。破壊された社の上には布が被され、天の加護を遮った。宗教的な地域の結びつきも完全に否定したのだ。

ここまでを簡単にまとめよう。秦に住む庶民なら、「分異の令」と「什伍の制」によって次のようなことが起こる。あなたは先祖代々、永らく住んでいた土地から追い出される。昔から、苦しいときも共に助け合って生きてきた親戚や、仲の良かった知人と会うこともできなくなってしまった。

移住先の新しい土地では、見知らぬ一家の隣に住まわされ、ご近所同士で相互監視を命ぜられる。問題を起こす人がいたら自分たちの家族も処罰されるので、それを避けるには、近所の人に怪しいところがないか監視し続けなければならない。ほかの家も、自分たちに厳しい目線を向けている。しかし、もし大問題の芽を誰よりも早く見つけ、告発できれば大きな褒美が手に入る――。

永らく住んだ土地から移住させられる民
出典=『始皇帝中華統一の思想「キングダム」で解く中国大陸の謎』、漫画『キングダム』(原泰久作、ヤングジャンプコミックス)23巻より ©原泰久/集英社
それまで身近な人に向けていた忠誠心を君主に向かわせる

なぜここまで徹底して、商鞅は国民をバラバラに分断しようとしたのか。

氏族制社会では、個人は「目上の者」に従わなければならない。目上の者とは、自分の親であり、本家の家長であり、さらにその上にいるローカル権力者のことだ。そして、君主とローカル権力者が対立したら、自分に身近な方、つまりローカル権力者の側につくのが正しいとされる。このような中で、君主のために命をかけて戦う軍隊など生まれるはずがない。

そこで商鞅は、氏族制を崩し、それぞれが身近な目上の者に向けていた忠誠心をダイレクトに君主へ向けるような仕組みを作りだしたのである。ローカル支配者の権威を否定し権力を解体、そのパワーをすべて君主が吸い上げるのがこの恐怖政治の目的なのだ。ローカル権力者をはじめとするさまざまな反発はなかったか? 大いにあった。従わない者もいたが、商鞅は彼らを潰す方法を取っていく。

軍隊でも採用された「伍」という単位
出典=『始皇帝中華統一の思想「キングダム」で解く中国大陸の謎』、漫画『キングダム』(原泰久作、ヤングジャンプコミックス)5巻より ©原泰久/集英社
漫画や映画『キングダム 遙かなる大地へ』でも描かれた「伍」

「伍」という単位は徴税・相互監視のためだけでなく、軍隊でも採用された。基本的には、「什伍の制」の5家族がそのまま戦場での伍となり、共に戦うのだ。普段はお互い厳しい目で監視し合っている者同士が、戦場では信頼し、かばい合わなければ生き残れないのだから、兵士の気苦労は並大抵ではなかったはずだ。戦場の伍でも連帯責任は有効で、命令違反や失態を犯す者が出た場合、同じ伍のメンバーはともに処罰されている。

渡邉義浩『始皇帝中華統一の思想「キングダム」で解く中国大陸の謎』(集英社新書)
渡邉義浩『始皇帝中華統一の思想「キングダム」で解く中国大陸の謎』(集英社新書)

『キングダム』で、信が軍に入ったときに伍のメンバーを自由に選び合うシーンがある。すべての家が兵士を出すとは限らないので、什伍の家族で5人が揃わないときは追加メンバーを選ぶこともあったはずだ。ただし現実では、『キングダム』で描かれるほど自由ではなかったと思われる。

分異の令で、個人を親族や宗族から切り離して氏族制を解体し、単婚家族を什伍の制で相互監視させて課税と徴兵の単位とし、軍功爵制で公族や支配層の氏族制まで壊した商鞅の変法。結果、ローカル権力者は解体され、既得権を持っていても功績を挙げられなかった公族や家臣は没落していった。

一方、新たに爵位を得て君主に忠誠を誓う、信のような成り上がりの武将が出現した。国内の有力者の権力を剝ぎ取り、君主の実権を増やしていったのだ。

渡邉 義浩(わたなべ・よしひろ)
早稲田大学文学学術院教授、三国志学会事務局長
1962年生まれ。筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科修了、文学博士。専門は中国古代史。著書に『後漢国家の支配と儒教』『諸葛亮孔明 その虚像と実像』『図解雑学 三国志』『三国志 演義から正史、そして史実へ』『魏志倭人伝の謎を解く 三国志から見る邪馬台国』などがある。新潮文庫版の吉川英治『三国志』において、全巻の監修を担当した。

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