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産んだ側と産まなかった側。弥生(有村架純)が示した「母親になる」決意のゆくえは 『海のはじまり』2話

  • 2024.7.11

目黒蓮演じる月岡夏が、大学時代の恋人・南雲水季(古川琴音)の葬儀の場で、彼女の娘・南雲海(泉谷星奈)に出会う。人はいつどのように父となり、母となるのか。生方美久脚本・村瀬健プロデューサーの『silent』チームが新しく送り出す月9ドラマ『海のはじまり』(フジ系)は、親子や家族の結びつきを通して描かれる愛の物語だ。第2話では、夏の恋人・百瀬弥生(有村架純)の過去が明かされるとともに、彼女の密かな決意が示される。

すれ違いの元となりやすい、夏と弥生の会話の速度

夏(目黒)と弥生(有村)のやりとりを聞いていると、彼らの“会話の速度の違い”に気づく。

夏の母・月岡ゆき子(西田尚美)が言っていたように、夏は「言葉にするのが苦手な子」だ。一度にたくさんのことを考えすぎて、口に出すのがワンテンポ遅れてしまう。弥生に対し、海(泉谷)のことを説明しようとしても、頭の回転が速い弥生に「妊娠を知らされずに別れたってことでしょ?」と、事実とは違った解釈をされてしまう場面もあった。

弥生は決して、相手の話を最後まで聞かず早合点をするタイプではないだろう。夏の会話の癖を承知しているからこそ、彼の考えを先まわりして提示してあげることに、慣れてしまっているのだ。

これまでは、そんな二人の間合いが問題になることはなかったのかもしれない。しかし、海は夏の“親戚の子”などではなく、正真正銘、彼の子なのだ。デリケート、かつじっくり認識を合わせていく必要のある事柄だからこそ、夏と弥生のすれ違いが目立つ。この会話の速度の違いは、後々、二人の関係性に響いてくるだろう。

弥生には、過去に中絶手術の経験があることがわかった。それはつまり、かつての水季と同じ立場だったことになる。

水季は、夏に同意書へのサインをもらったものの、彼には打ち明けないまま海を出産した。しかし弥生は、パートナーに同意書へのサインをもらったところまでは水季と同じだが、その後、自分の子どもを産むことはなかった。

産んだ側と、産まなかった側。水季と弥生の、酷な対比が浮かび上がる。

弥生は海と知り合ったあと、夏が父親となり、彼女自身が母親となる可能性を示してみせた。それは、純粋に海の母親になりたいという気持ちからの決意か、それとも。自分が過去にした選択を、間違いではなく正解にしたい、やり直したいという思いが、心をかすめているとは言えないだろうか。

海が夏を「パパにしたい」と思える理由

前回の1話に引き続き、海はとても無邪気だ。母である水季が亡くなり、いきなり実の父である夏と出会うことになったが、どこか自然の摂理であるかのように受け入れている節がある。

よくよく考えてみれば、見知らぬ大人の男性を「パパ」だと認識することは、相当に難しいことのはず。海がここまで夏のことを受容し、かつ、彼から「会いたくない」という意思表示をされてショックを受けてさえいる理由は、水季から何ひとつ、夏の悪い話を聞いていないからだろう。

子どもは聡(さと)い。子どもにはママとパパがいるもので、どちらかがいない環境は「一般的ではない」と、周囲を観察しながらなんとなく察するものだろう。いるはずの人がいない、という状況に対し、悲しさや寂しさを感じてもおかしくない。

なぜ自分にはパパがいないのか、という疑問は、周りの大人からのフォローがないままでは、いとも簡単にネガティブな気持ちにすり替わってしまいかねない。

しかし、海は夏に対して、まったく悪い印象を抱いていない。むしろ、心の底から、会えてよかった、やっと会えた、と思っているのが伝わってくる。

水季は夏のことを悪く噂せず、かつ変に存在を隠すこともなく、彼の良いところを海に話して聞かせていたのかもしれない。その姿勢には、水季が守っていたという「正解を教えるより、自分の意思で選ぶことを大事にさせてあげて」といった教育方針が滲(にじ)んでいるように思える。一般的な憶測よりも、海のフラットな目線で夏を捉えられるように、と水季は望んでいたのではないだろうか。

二人の母親が示す、子どもに対する姿勢

水季の教育方針と同じように目を引くのは、水季の母・南雲朱音(大竹しのぶ)の“子どもに対する姿勢”だ。

朱音は、亡くなってしまった水季の教えを守り、海と夏が会うことを極端に禁止してはいない。海が一人で勝手に夏に会いに行くことは拒否したが、海を一人の人間として尊重し、最終的には、彼女の意思を最優先にしている。朱音の立場からすれば、ある意味、亡くなった娘の形見として、必要以上に海に対して過保護になっても不思議ではないはずなのに。

それは、朱音が水季のことも、自身の娘として、かつ海の母親として、その考えを重んじているからだ。年長者独特の、生きてきた時間や経験を振りかざすようなところが、彼女にはない。少々つっけんどんな印象はあるものの、基本的には海や夏の希望を通しているところがある。

正解を教え諭すことよりも、子が自分で選択することを大切にした水季。自身の娘のことも、一人の親として尊重し、適度な距離感を保っている朱音。

世代の違う二人の“母親”が、子どもに示してみせるそれぞれの姿勢には、教育方針の枠におさまらない、健やかな人間関係に必要な示唆が詰まっている。

■北村有のプロフィール
ライター。映画、ドラマのレビュー記事を中心に、役者や監督インタビューなども手がける。休日は映画館かお笑いライブ鑑賞に費やす。

■モコのプロフィール
イラストレーター。ドラマ、俳優さんのファンアートを中心に描いています。 ふだんは商業イラストレーターとして雑誌、web媒体等の仕事をしています。

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