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【インタビュー】ハノイFCで半年、岩政大樹監督の中で見えてきた「ベトナムサッカー」…生かされた鹿島での経験

  • 2024.7.2
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【インタビュー】ハノイFCで半年、岩政大樹監督の中で見えてきた「ベトナムサッカー」…生かされた鹿島での経験
【インタビュー】ハノイFCで半年、岩政大樹監督の中で見えてきた「ベトナムサッカー」…生かされた鹿島での経験

Text by ベトナムフットボールダイジェスト運営者

今年初め、指導者として42歳の若さで日本を飛び出し、未知の国ベトナムの強豪ハノイFCで指揮を執ることになった岩政大樹監督。

シーズン終盤の佳境に入る中、ハノイFCは5月~6月に見せた5連勝の快進撃もあり、中位から一気に3位まで浮上。今季残り1試合となった執筆時点で優勝の可能性は潰えてしまったが、シーズン3位以上が確定。カップ戦でもベスト4に残っており、引き続きタイトル獲得に期待がかかる。

【インタビュー】ハノイFCで半年、岩政大樹監督の中で見えてきた「ベトナムサッカー」…生かされた鹿島での経験
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初挑戦となる海外リーグで奮闘中の岩政監督に、ベトナムでの半年を振り返ってもらった。

「予想以上に早かった」スタイルの定着と選手たちの変化

――ハノイFC監督に就任して約6か月。ここまでの挑戦を振り返っていかがですか?

「よい経験ができています。細かく振り返ると色々なことがありましたが、いつかゆっくり振り返ったとき、この半年間があって良かったなと思える経験が既にできていますね」

――就任当初から、Vリーグで主流になっているロングボール主体のサッカーではなく、小柄なベトナム人の特徴を活かしたサッカーを目指すとおしゃっていました。理想の完成形を100とすると、今の完成度は?

「半年で到達できるものを想定するなら、かなり100に近づきました。もっと細かく詰めるとしたら、70~80といったところになりますが、半年で到達点できるところから考えると、想定の100を超えているかもしれません」

――選手たちの吸収が想像以上だったということでしょうか?

「正直、予備知識とはだいぶ違いました。連携や連動はあまり取れないと聞いていましたが、きちんと仕組みを提示して、その中でタスクを明確にすれば、選手たちはそれをピッチで表現することができました。結果的にそれが連携や連動に繋がるわけですが、そういう意味で言えば吸収は早かったし、このスタイルでやるんだという選手たちの強い意欲も相まって、予想以上に定着は早かったですね」

――岩政監督の就任した当時のハノイFCは、クラブ黄金時代を築いた主力数人が退団して過渡期にありました。そんな中、今季は積極的に若手を起用していた印象もありますが、若い選手たちの成長をどう見ていますか?

「就任当初は分からなかったのですが、ハノイだけでなく、リーグ全体も少し過渡期にあると気づきました。ハノイは数年前まで非常に力があったチームで、そこから他チームもどんどん力をつけてきて、パワーバランスが変わりつつある。

チームの特徴として感じたのは若手が多く、各ポジションに才能ある若手がいること。若手以外で言うと、フィジカルに優れた選手たちが移籍して、テクニックに優れた選手たちが残っている状況でした。今いる選手たちの特徴を生かすサッカーを考えましたし、僕自身も自分たちでボールを動かすサッカーをしたいという気持ちがありましたので、そこをうまく融合できればなと思いました。

若手たちは、伸びている者、そうではない者もいますが、起用してあげないと選手自身も気づきが得られないし、僕たちも評価できないので思い切って起用しました。ここまで第3GK以外は全員を試合で起用したはずです。それまではあまり選手間の競争心が見られなかったので、そこを刺激しつつ、全員を起用しながら結果も出して、うまく適応した選手を選ぶという形で進めてきました」

【インタビュー】ハノイFCで半年、岩政大樹監督の中で見えてきた「ベトナムサッカー」…生かされた鹿島での経験
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――ハノイは代表選手も多い中、代表ウィークで主力がごっそり抜けることもありました。この間のチーム練習の雰囲気や競争心をどのように刺激していったのでしょうか?

「そこはこの半年間で一番難しい部分でもありました。ハノイは6~7人が常に代表に招集される状況で、ベトナムの代表ウィークはかなり長い期間、選手が抜けてしまうので、全員が揃わない中で準備をしないといけませんでした。就任当初の練習でも代表メンバーが離脱していましたから、この時は、今いるメンバーに代表選手よりも先にチームコンセプトを植え付けるということからスタートしました。

ただ、ベトナムの選手たちを見てみると、もともと競争心が少し足りないようにも見受けられました。試合に出られないから落ち込むというより、自分の立ち位置はこんなものだと思い込んで、そのままの気分で練習に取り組んでしまう。そういう緩んだ空気を感じたら、君たちは何を生業にしているのか、プロとしてどんな姿勢で練習に取り組むべきなのか、そういう初歩的な話もしながら説いていくことを繰り返す中で、少しずつ意識が変わってきました」

ベトナムの地で示せた「信念を持って続けること」の重要性

――就任後しばらくは、なかなか勝ち切れないという試合も多かったですが、5月中旬から6月の代表ウィーク明けまでに5連勝。特に直近の試合では決定力が向上している印象です。この短期間にチームの中でどんな変化が起きたのでしょうか?

「一番大きかったのは代表戦と絡む日程的なこと。1月は代表選手が抜けた中で練習して、2月の試合に入っていきました。それから数試合やると、また代表選手が離脱して残った選手たちで準備をする。そんなことを何度か繰り返しました。

4月の中断だけオリンピック予選の中断だったので、A代表の選手たちは抜けませんでした。そこでしっかり準備期間が取れるというのは、日程を渡されたときに思い描いていました。それならば、大きな連戦もある5月が勝負になると考えていました。

2月~4月の戦いは、出来るだけ勝ち点を拾いながらのチーム作り。この間は内容が良かったり悪かったりするのは、ある程度仕方ないと割り切っていました。4月の準備期間を経て5月に勝負をかけることは選手たちにも伝えてありましたし、ある程度想定通りに進んだというのが大きかったです。

勝ったり負けたりする中で、大事なことはチーム作りを進めることだったので、勝敗に関わらずよかった点と悪かった点を明確化し、映像で選手たちと共有して修正する。ただ、4連勝の前のハティンとの試合は(2-2で)引き分けましたし、5月勝負と考えていたのが最初の3試合(1敗2分)でつまずいてしまいました。

そこで選手たちに強く伝えたのは、全体の守備意識や献身性が欠けていたこと、コンパクトさをどう維持するのかということ。実際に結果が出なかったことで、選手たちも危機感を持ったと思います。これ以降、選手たちの意識や取り組み方が変わって、そこから4試合はコンパクトさが保てるようになり、特にボールを持たないときの連動性が高まって、結果としてチャンスやゴールの数が増えました」

【インタビュー】ハノイFCで半年、岩政大樹監督の中で見えてきた「ベトナムサッカー」…生かされた鹿島での経験
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――連勝街道が始まる前、4月上旬のHCMC戦では3-1で勝ったものの試合後の会見で、就任後で最低の試合だったと厳しい評価を下していました。ハーフタイムのロッカールームでは、かなり激しい檄も飛ばしていたようですが、選手たちにどのように発破をかけたのでしょうか?

「正直、そこも探り探りでした。どのぐらい強い調子で言葉を発するべきなのか。当然、日本人とは受け取り方も違うでしょう。結果として後半のパフォーマンスが上がる方向にもっていかないといけないので、そのために厳しい態度を取った方がいいのか、あるいは、さとすように伝えた方が良いのか。

当初は声を荒げることは、ほとんどなかったと思いますが、練習中にちょっと気が緩んでいるのが見えたときに少し強めに活を入れると、比較的パフォーマンスが上がる傾向が見て取れました。そこからは回数としては多くないですが、気が緩みそうな空気のときに厳しめの態度を取るようにしました。

マネジメントの部分では、色々なところで助けられたと感じていますが、(主将を務める)グエン・バン・クエットの存在が非常に大きかったですね。日本サッカーをすごくリスペクトしてくれていて、僕が目指したボールを保持しながら相手を動かしていくようなサッカーを彼自身もやりたいと共感してくれました。

彼以外の主力選手たちもそうですけど、僕が目指すサッカーに対して前向きでいてくれた。主力の彼らが、僕の伝えたことをピッチで表現しようとチーム内で共有してくれたので、そこはこの半年とても助けられた部分ではあります」

――外国人選手に依存しないサッカーを目指して、ハノイではその成果が見え始めています。では、逆にチームに足りないものを補うのが外国人選手だとしたら、助っ人に求める条件とは何でしょうか?

「やはり勝負を決める仕事ができることだと思います。ゴール前で決めきることに関しては、まだまだベトナム人選手は力不足なのは事実。そこでスペシャルな助っ人、例えばナムディンFCのラファエルソン(※元ベガルタ仙台、3季連続Vリーグ得点王)のような一発で決めてしまう力がある選手が、今のハノイに加われば相手チームはもっと対応が難しくなるので、そこは外国人選手に求める要素ではあります。

ベトナムメディアでは色々な言葉が出回っていて誤解を生んだかもしれませんが、僕は外国人選手を使わないとは一度も言ってなくて、外国人選手に依存しないサッカーをしたいと言い続けてきました。

Vリーグでは、外国人選手が後ろからパスやロングボールを入れて、受け手も外国人選手であることがほとんど。外国人選手に判断を委ねて、ベトナム人選手はこぼれ球に反応していくというサッカーになりがち。それではベトナムサッカーの発展に繋がらないと思ったので、それを変えたいと思いました」

――Vリーグのチームは外国人選手ありきのサッカーになりがちという話が出ましたが、2部では外国人選手の登録が禁止されています。カップ戦では1部と2部が試合することもありますが、実際に対戦してみてスタイルの違いは感じましたか?

「これは僕も感じた視点で、カップ戦の準々決勝でSHBダナンと試合しましたけど、彼らのサッカーは良かったですよ。ダナンは今季2部で無双して優勝を決めていますが、1部では見られないスタイルでした。外国人選手がいないことで、自分たちで判断する面白いサッカーをしていて、その分対応も難しかったです。

トレーニングマッチでは、PVFともやりましたが、自分たちでボールを動かして戦術的に戦うチームでした。この2チームが2部のトップ2ですが、どちらも1部より良いサッカーをしている印象でした。

本来そのようなサッカーができる力があるにもかかわらず、それができていないのが1部の問題なのかなとも思いました。たしかに手っ取り早く結果を求めるなら、前線にごり押しできる選手を置いて頼るという手法はよく分かるんです。でも、そこに振り切ってしまうと、結果的に選手たちの成長を阻害してしまうことになりますし、代表チームのレベルアップにもなりません。

これについてはチームを指導する監督が、このサッカーを続ければ数か月後、1年後に選手がこのように変わるんだと覚悟を持ってやるしかない。僕自身、このサッカーを選手たちと積み上げていくことを重要視してチームを作りました。

最初の数試合で結果が出ずに、色々言われることもありましたが、そこは僕も信念との戦いで、やり切ろうという覚悟で突き進み、今はこうして結果もついてきました。これは僕の自信にも繋がりましたし、信念を持って続ければ変わるのだということを少しは証明できたと思うので、ハノイのサッカーに触発されて、チャレンジする指導者がこれからどんどん出てきてくれると嬉しいです」

【インタビュー】ハノイFCで半年、岩政大樹監督の中で見えてきた「ベトナムサッカー」…生かされた鹿島での経験
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――かつてベトナムにも自分たちで主導権を握って勝とうとするスタイルのチームはありました。『美しいサッカー』をスローガンにしていたホアン・アイン・ザライ(HAGL)をはじめ、前ベトナム代表のトルシエ監督体制のベトナム代表もそうですが、結果が出ない中で徐々に変わってしまいました。長期的な視野が不足していると言われがちなベトナムで、チームのスタイルを根付かせるために、何か助言がありますか?

「一つはトライ&エラーを恐れずに繰り返すこと。サッカーに限った話ではないですが、トライが出来ない環境の中では、いつまでもイノベーションが起こせません。目先のことばかり考えていては、長い目で見たときにすごく出遅れてしまいます。

ハノイのサッカーを見せることで、『気づき』までは与えることができたと思います。このサッカーをやろうとすると、難しい面も確かにあって、きちんと構築しないと失敗する指導者も出てくるでしょう。でも、それはトライ&エラーの一つであって、その中でベトナムに合ったスタイルというのを構築できる指導者が生まれると思います。

もちろんサッカーのスタイルに正解はないので、今のVリーグで大半のチームがやっているようなサッカーが残ってもいいと思いますし、そうじゃないサッカーもどんどん出てきてほしい。多様性の中でいろいろなチームが、それぞれのサッカーの捉え方をする中で、5年後、10年後にベトナム人にもっと相応しいサッカーが確立されると考えています」

今後は「1つのクラブで長く指揮してみたい」

――ハード面やソフト面なども含めて、この半年で見えたベトナムサッカーが抱える課題は何でしょうか。ピッチ状態とラフプレーの多さについては、記者会見でも何度か苦言を呈していたと思いますが?

「指摘すべきことは記者会見の場で伝えてきたつもりです。今質問していただいたことがほとんどなんですが、一つはやはりピッチの問題。あとはスタジアムやクラブハウスもそうですが、ハード面の改善に対して問題意識が低い気がします。この国のサッカーを長期的に強化していくためには必要なことですし、特にピッチ状態は重要な要素。

例えば、今ハノイがやろうとしているサッカーに挑戦するとき、ピッチ状態が悪い中では非常に不利。この環境下では、ロングボール主体のサッカーと対戦したとき、どうしても不利になります。ベトナム人の特徴を考えたら、良いピッチ状態で、しっかりパスを繋げるスタイルのほうが適していると思います。普段使う練習場から改善していかないといけません。

もう一点、ベトナムでは選手の怪我に繋がるような危険なプレーが横行しているように感じます。これをレフェリングで裁くことができていない。実際ハノイからも怪我人が出ましたし、危ないなと思うプレーが毎試合散見されます。

その度に第4審に対して、選手を守ってくれと要求しているんですが、現状それができていない。選手を守るためにルールがあり、それを守らせるのが審判団の大きな役目の一つなので、そこは是非改善して欲しいです」

――選手たちに指導する中で、言語化する上で最も気にかけたことは?

「そこは来る前も来てからもいろいろと考えさせられました。まず言葉があまり通じないし、通訳もサッカーに関しては素人。だから、サッカーを知らない通訳にも伝わる言葉じゃないといけない。あまり深く戦術的な指導を受けてこなかった選手たちに、どれぐらい提示すればいいのか。

プロ選手は育成年代を通り越しているわけで、ある程度自分のサッカーが出来上がっている。彼らのパフォーマンスを向上させることを考えた場合、100を伝えると、パンク気味になって逆に体が動かなくなるということが、サッカーではよくあります。

何を伝えるかは、その都度微調整しながらやってきました。色々な局面で、1つ2つの少ない原則の提示を行うことで、結果的に10のプレーを生み出すような言葉選びを心掛けました。日本時代より少ない提示で効果を出すことができましたし、選手たちもプレーしやすかったと思います。これは僕の指導者キャリアの中でも大きな経験になりました」

――以前のインタビューでは、通訳も育てる気持ちでいると語っておられましたが、サッカー通訳の重要性についてはどう感じていますか?

「来る前から通訳はとても大事だというのは何度も聞かされていましたが、実際体験してみると、その言葉の重みが違って感じられました。通訳によって変わるものは大きいんだなと感じています。

特にVリーグに関しては、外国人指導者も多くなく、日本人指導者は僕が3人目(※HCMCの三浦俊也氏:2018年、サイゴンFCの霜田正浩氏:2021年)で、選手も含めて日本とは交流が薄い状況。日本語が分かる人は多かったとしても、サッカーや指導を理解している人は数えるほどしかいません。

でも、よく考えればこういうステップを各国で日本人指導者が通ってきて今があるわけです。例えば、タイなんかはその恩恵を受けて、今の日本人指導者たちがいる。だから僕もここで先駆者になるんだと、ある程度割り切って努力してきたつもりですし、今後より多くの日本人指導者がベトナムで活躍できるようになればいいなと思っています」

【インタビュー】ハノイFCで半年、岩政大樹監督の中で見えてきた「ベトナムサッカー」…生かされた鹿島での経験
【インタビュー】ハノイFCで半年、岩政大樹監督の中で見えてきた「ベトナムサッカー」…生かされた鹿島での経験

――ハノイFCでの指導を経て、指導者またはサッカー人としての成長と収穫を感じていますか?

「たくさんあって全部は挙げられないですが、一番大きかったのはプロ監督として、シーズン終盤に自分が思い描いたチームに変化していくというのを経験するかしないかというのは大きいと思うんです。それがどの国のリーグで、どのカテゴリーだったとしても、一つ経験しておくだけで、自分の中のチーム作りに対する軸が定まることに影響してきます。

昨年の鹿島では、5位という成績の良し悪しは置いておいて、シーズン終盤戦に入っても、これが自分のサッカーだと思える瞬間がほとんどなかった。それは自分の中の大きな反省でもあって、どうすればよかったのか考えました。

今回のハノイでは、鹿島の延長線上ではありますが、少し違うチーム作りをしてみて今、公式戦の中で思い描いた通りのチームになっている。これは監督として、すごく大きな経験でした。このサッカーが自分の代名詞になりますし、僕はこういうサッカーが作れる監督だという自信と、今後の名刺代わりにもなる。

鹿島で1年半、ハノイで半年指導して、指導者としての経験値と幅が広がりました。別の国、別のチーム、別の選手を指導したことで鹿島時代の経験を多角的に見ることができるようにもなりました。本当に半年だったのかというぐらい、ハノイでは濃密な時間を過ごせています」

――指導者として次のチャレンジや描いている今後の目標は?

「ここまで比較的短いスパンで2つのクラブを指揮するというキャリアになっていますが、今後してみたいのは1つのクラブで長く指揮してみたいということ。

1年目というのは、与えられた選手でチーム作りをします。これはこれでやりがいがありますが、思い描くチーム作りに足りない戦力というのは当然出てくるわけで、そこを補強しながらできるのが2年目、3年目です。そういうチーム作りを40代のうちに経験したいと思っていますし、そういうクラブと出会えるといいなというのが今の願いです」

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