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ジェーン・バーキン最後の恋人、オリヴィエ・ロランが語る彼女への愛。

  • 2024.7.3

幼い頃からごく自然に、困っている人に手を差し伸べ、名声を得た後も社会貢献をし続けたジェーン。その活動の中でドラマティックな出会いをしたのが、最後の恋人となる作家オリヴィエ・ロランだった。

文/村上香住子

オリヴィエ・ロラン

作家

抜け目がなくしっかり者、そんな彼女がいまも愛しい。

photography: Jean-Baptiste Huynh

ボスニアの首都サラエボがセルビアに攻撃されている前線の装甲車の中で、ジェーンを好きになった。砲火の中でも彼女は全然怖気づいていないし、あまりにも勇敢なので見惚れてしまった。1995年のことだ。生涯最高の思い出だよ。

パリに戻ると、行動的な彼女は、僕が住んでいたアパルトマンの前に引っ越し、その後、僕が働いていた出版社、スイユ社の隣に家を見つけてきた。本当に尽くしてくれたのに、僕はそれに見合うことは何もしていない。それだけは心残りだな。

付き合いたての頃、 僕の本が翻訳されると、講演会でその国に招待されるので、その旅行に彼女はついてきていた。ある時、エールフランスの人が彼女を見ると驚いてファーストクラスに案内するので、座席が離れ離れになっておかしかったな。ブラジルのリオデジャネイロに招待されて行った時も、到着すると彼女のほうがスターなので人々に取り囲まれて、それを遠くで眺めていたよ。サンパウロも、ベトナム・ハノイ、アフリカ・セネガルにも行った。でも、彼女はほかのどんな国より、日本に格別な愛着を持っていたし、日本文化が好きだったな。

僕が文学界の友人たちを紹介すると、彼女はとても喜んでいた。芸能界とは真逆の世界だから珍しかったのだろう。彼女のオランピア劇場でのコンサートには、僕の知り合いの作家や出版社の人たちが30人くらい来て、その中に哲学者のアラン・フィンケルクロートもいたよ。舞台前の彼女はパニック状態で、歌詞を忘れないかと心配していた。自分にしかわからない何か言葉を繋ぎ合わせたようなもので、歌詞を記憶していた。

1995年、サラエボの装甲車の上でオリヴィエがジェーンと恋に落ちた瞬間。

僕は若い頃から船が好きで、2艘目のヨットに「Maline(マリーヌ)」と名付けた。ジェーンのことなんだ。狡猾という意味だけど、いい意味で抜け目がない、しっかりしている、というイメージ。一方で彼女は僕のことを「Tigre(ティグル)」と呼んでいた。その頃僕が『Tigre en papier(紙の虎)』 という本を出したからだと思う。

ジェーンの家は、どこもいい場所にあったけれど、サンシュルピス教会脇にあるアルチュール・ランボーの「酔いどれ船」の詩が壁に描かれたフェルー通りのアパルトマンは僕も好きだったよ。だが狭すぎて、病状が悪化すると看護師が住み込む場所がなく、アサス通りに引っ越すことになった。僕が最後に会ったのはそのアサス通りの家で、確か6月8日だった。本人はだいぶ良くなったと言っていたので僕は安心して、別荘のあるブルターニュに出かけた。僕らは別れてからもとてもいい関係だったので、よく会っていたんだよ。でもその8日後に亡くなったとブルターニュで聞いて、信じられなかった。サンロック教会での葬儀の弔辞は、シャルロットに頼まれて引き受けた。時が経てば経つほど、ジェーンを愛おしく思う。

Olivier Rolin
1947年、フランス生まれ。80年代からエッセイや小説を書き始め、94年『Port-Soudan』(Seuil刊)でフェミナ賞受賞。2002年発表の『Tigre en papier』(Seuil刊)では、プロレタリア活動家としての自身の経験を振り返っている。

*「フィガロジャポン」2024年3月号より抜粋

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