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「人相まで変わってる」「泣いた」伊藤沙莉“寅子”の義母役『余貴美子』の熱演に賞賛の声 朝ドラ『虎に翼』

  • 2024.9.8

時が流れ、変わっていくものもあれば、変わらないものもある。そこには希望がある場合も、ない場合もある。連続テレビ小説『虎に翼』第23週「始めは処女の如く、後は脱兎の如し?」では、認知症を患った百合(余貴美子)の演技に賞賛の声が集まった。SNS上では「泣いた」「人相まで変わってるのがすごい」と言及が止まらない。

生々しい演技に圧巻の声

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(C)NHK

少しずつ認知症の病状が進んでいる、寅子(伊藤沙莉)の義母・百合。背筋が伸び、闊達としていて、抜け目なく家事をこなしていたいつもの姿は徐々に鳴りを潜める。深夜に買い物に出かけようとしたり、前触れもなく感情を爆発させたりと、認知症特有の症状が目立つ。

認知症の演技もさることながら、時が経たことによる相応の“老い”が的確に表現されている点にも、賞賛の声が上がった。生々しさ、見ているだけで胸に迫ってくるようなやるせなさ、なんとも言葉にしにくい焦りと虚しさ。

おもむろにバナナを取り出し、無造作に食しながら、次の瞬間には涙を流しながら、亡き夫・朋彦(平田満)に語りかける百合。「ごめんなさい」と口火を切り、咽びながら「情けない」「朋彦さんのところに行きたい」と嗚咽する様子に、多くの視聴者が没入したのではないだろうか。

時は流れる。否が応でも積み重ねられていく時間は、人を、環境を、時代を変えていく。元気で明るくはつらつとした人が、数年後には面影がないほど様変わりしていることもある。抗えない時の流れと、変えられない事象に対して、生きている人間はどう向き合っていけばいいのか。人が生きていくうえでの根源的な問いを向けられているようにも思える。

裁判の判決は、何を意味するか?

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(C)NHK

第22週では、長期にわたり続いている裁判の様子も描かれ、ついに判決を迎えた。判決主文からではなく、理由から読み上げるのは異例のことである、との導入から始まり、原告の請求は棄却された、との判決が下された。

原告側で裁判を進めていたよね(土居志央梨)の目からは、判決を聞いた瞬間に一筋の涙が流れた。主張は拒絶された、要望は聞き入れられなかった。8年に及ぶ時間、労力、裁判費用の負担も、彼らの肩にのしかかる。

それでも、よねや轟(戸塚純貴)の様子は、絶望一色に染まりきってはいなかったように見える。国を相手に、傷ついた一人ひとりの心を背負いながら、すべきことをした充足。何を捧げても変えられないものがあることを知り、それを受け入れた達観と、ある種の諦観。

よねはあるとき、寅子とすれ違い様に「意義のある裁判にするぞ」と口にしていた。どちらに転ぶにせよ、欺瞞のない、公平で中立な判決を導くために、お互いがすべきことをする。それはきっと、よねや寅子が明律大学の女子部でともに法律を学び始めたときから、目指してきた未来だった。

寅子も言っていた。「私ね、苦しいっていう声を、知らんぷりしたり、なかったことにする世の中にはしたくないんです」と。声をあげることに、意味はないかもしれない。声をあげたことがどんな結果にも繋がらなかったり、反対に悪い結果を導くこともあるかもしれない。

それでも、声をあげることに意義がある。認知症である百合が「情けない」「ごめんなさい」と繰り返し涙すること。原爆裁判において、傷ついた者は誰であるかを示すこと。苦しい、傷ついている、助けてほしい、とまずは声をあげることが「声をあげた」という事実をつくり出す。それを出火点にして、まるで火花が導線をたどっていくように、時を経ればいつか辿り着く場所があるのだ、と一人ひとりが信じること。

『虎に翼』は、傷ついた人を置いていく物語ではない。傷ついた人自身が、傷ついていると自覚した瞬間から変えられるものがあると、そっと教えてくれる物語なのかもしれない。



NHK 連続テレビ小説『虎に翼』毎週月曜〜土曜あさ8時放送
NHKプラスで見逃し配信中
ライター:北村有(Kitamura Yuu)
主にドラマや映画のレビュー、役者や監督インタビュー、書評コラムなどを担当するライター。可処分時間はドラマや映画鑑賞、読書に割いている。X(旧Twitter):@yuu_uu_