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鎌田大地が加入したクリスタル・パレス「歴史上最強のレジェンド10名」

  • 2024.7.2
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鎌田大地が加入したクリスタル・パレス「歴史上最強のレジェンド10名」
鎌田大地が加入したクリスタル・パレス「歴史上最強のレジェンド10名」

Text by 石井彰(編集部)

1日に鎌田大地が加入したイングランド・プレミアリーグのクリスタル・パレス。1905年にロンドンで設立されたクラブで、2013年から12シーズンに渡ってトップディヴィジョンに残留し続けている。

三笘薫が所属しているブライトンとは長年のライバル関係にあり、その試合は2つの街を結ぶ高速道路の名前から「A23ダービー」「M23ダービー」と呼ばれる。両チームはかなり離れた場所を本拠地としているが、重要な試合で対戦してきた歴史があり、サポーターの衝突も多かったからだという。

今回は『90min』から「クリスタル・パレスの歴史上最高のレジェンド」を10名ご紹介しよう。

ウィルフリード・ザハ

鎌田大地が加入したクリスタル・パレス「歴史上最強のレジェンド10名」
鎌田大地が加入したクリスタル・パレス「歴史上最強のレジェンド10名」

クリスタル・パレス所属:2002~2013、2014~2023

クリスタル・パレスで2000年代に最も偉大な存在と言えば、ウィルフリード・ザハ以外の名前が上がる可能性は低いだろう。

マンチェスター・ユナイテッドに移籍していた1年間を除き、2回に渡って合計18年間クリスタル・パレスのユニフォームを着ていた。そして458試合に出場して90ゴールを決めたほか、サイドから素晴らしいドリブルを見せ続けた。

2023年に契約が満了になったため、キャリアの一区切りをつけてトルコのガラタサライへと移籍。クリスタル・パレスの歴史上10位となる得点記録を残し、愛するクラブを去っていった。

ジョニー・バーン

鎌田大地が加入したクリスタル・パレス「歴史上最強のレジェンド10名」
鎌田大地が加入したクリスタル・パレス「歴史上最強のレジェンド10名」

クリスタル・パレス所属:1956~1962、1967~1968

ニックネームは「バッジー」。セキセイインコを意味する言葉だ。いつもおしゃべりだったジョニー・バーンは、17歳の誕生日にクリスタル・パレスとプロ契約を結んだ。

下部リーグ時代のパレスでストライカーとして大ブレイクし、1962年まで通算96ゴールを決めて、3部リーグ昇格に貢献。しかも4部時代にイングランド代表に選ばれていた。

その後1部のウエストハム・ユナイテッドに移籍したあと、1967年にパレスへと復帰。選手としてのピークを過ぎていたために2回目の所属は成功しなかったが、通算259試合で101ゴールというクラブの歴史上8位の得点記録を残している。

フリアン・スペローニ

鎌田大地が加入したクリスタル・パレス「歴史上最強のレジェンド10名」
鎌田大地が加入したクリスタル・パレス「歴史上最強のレジェンド10名」

クリスタル・パレス所属:2004~2019

クリスタル・パレスのホームスタジアムであるセルハースト・パークには、「スペローニ・レストラン」という食事処がある。それはクラブで15年間を過ごしたアルゼンチン出身のゴールキーパーへの敬意を示している。

スコットランドのダンディーからプレミアリーグ昇格初年度のパレスに加入した彼は、それから3年にわたってバックアップを務めたが、2007-08シーズンからレギュラーを奪取した。

それから2014-15シーズンまで長くポジションを確保し、プレミアリーグへの再昇格にも貢献。2019年に退団したあとはどこのクラブにも所属せず、現役を引退した。クラブでの成績は405試合0ゴールで、112試合でクリーンシートを達成している。

マーク・ブライト

鎌田大地が加入したクリスタル・パレス「歴史上最強のレジェンド10名」
鎌田大地が加入したクリスタル・パレス「歴史上最強のレジェンド10名」

クリスタル・パレス所属:1986~1992

クリスタル・パレスでは6シーズンを過ごし、イアン・ライトと爆発的なコンビを形成したマーク・ブライト。幼少期に両親が離婚し、父親によって里親に預けられるというという経験をしたストライカーだ。

ポート・ヴェイルとレスター・シティでプレーしたときにも鬱病を抱えるなど苦しい時間を過ごしたが、1986年に加入したパレスで年間最優秀選手や得点王を獲得するなどブレイクし、1部リーグ昇格に大きく貢献した。

1992-93シーズンの開幕戦でチームの初ゴールを決めたため、「プレミアリーグで最初のゴールを決めたクリスタル・パレスの選手」は彼である。そのあとにシェフィールド・ウェンズデイへ移籍した。パレスでの成績は286試合114ゴール。

ジョン・ジャクソン

鎌田大地が加入したクリスタル・パレス「歴史上最強のレジェンド10名」
鎌田大地が加入したクリスタル・パレス「歴史上最強のレジェンド10名」

クリスタル・パレス所属:1964~1973

少年時代にブレントフォードからクリスタル・パレスのユースへ移籍してきたジョン・ジャクソン。1964年にポジションを確保し、222試合連続出場を果たすなど大きな成功を収めた。

その確実性のあるプレーから、クリスタル・パレスのファンから「ストーンウォール」との愛称をつけられた。これはアメリカ南北戦争の将軍から来た名前である。クラブでの通算成績は346試合0ゴール。

引退後はゴルフに心を奪われ、元プロサッカー選手でありながらゴルフ雑誌の編集者として働いたり、ゴルフ用具の販売をしていたとも。2022年12月29日に80歳で死去。

アンディ・ジョンソン

鎌田大地が加入したクリスタル・パレス「歴史上最強のレジェンド10名」
鎌田大地が加入したクリスタル・パレス「歴史上最強のレジェンド10名」

クリスタル・パレス所属:2002~2006、2014~2015

2002年にバーミンガム・シティからクリスタル・パレスに加入してきた小柄なストライカー。その後の4シーズンで160試合に出場して85ゴールを決める活躍を見せ、チームをプレミアリーグ昇格に導いた。

大きな注目を集めたがエヴァートン、フラム、QPRでは大きな怪我もあってあまり成功を収めることができず、2014年にクリスタル・パレスへと復帰。この際にはすでにユースの指導者と兼任するという契約になっており、選手としては半年間しか所属しなかった。

2016年にはアンバサダーとしてクリスタル・パレスに復帰。不動産会社を経営しつつ、ビジネスコンサルティング会社で働いているという。さらに並行してアマチュアチームのクロイドン・アスレティックでディレクターを任されている。

ヴィンス・ヒレール

鎌田大地が加入したクリスタル・パレス「歴史上最強のレジェンド10名」
鎌田大地が加入したクリスタル・パレス「歴史上最強のレジェンド10名」

クリスタル・パレス所属:1977~1984

ウィルフリード・ザハと同じように、ヴィンス・ヒレールも恐ろしいほどの技術とスピードを兼ね備えた悪夢のようなウインガーであった。また、イングランドサッカー界で最初に活躍した黒人選手のひとりでもある。

1977年にクリスタル・パレスでキャリアをスタートさせ、1980年代初頭の素晴らしいチームの主力メンバーになった。クラブでは通算293試合に出場して36ゴールを決め、3部から1部までの昇格に導いた。

後に自伝の「ヴィンス」を発表しており、その中では70年代から80年代にかけて経験した激しい人種差別について告白している。

イアン・ライト

鎌田大地が加入したクリスタル・パレス「歴史上最強のレジェンド10名」
鎌田大地が加入したクリスタル・パレス「歴史上最強のレジェンド10名」

クリスタル・パレス所属:1985~1991

「クリスタル・パレス最高のストライカー」といえるイアン・ライト。クラブで通算277試合117ゴールを決めており、その得点数はパレスの歴史上3位となる成績だ。

1985年から1991年まで過ごしたクリスタル・パレスではマーク・ブライトとコンビを組んで大活躍した。脛の骨を2回折る怪我も経験したものの、見事な復活を見せて1991年にアーセナルへと引き抜かれている。その際に動いた250万ポンドの移籍金は当時のクラブ記録であった。

幻影引退後はメディアで解説者として活躍しており、様々な番組に出演。MCやタレントとしてもユーモアあるトークを見せている。

ジム・キャノン

鎌田大地が加入したクリスタル・パレス「歴史上最強のレジェンド10名」
鎌田大地が加入したクリスタル・パレス「歴史上最強のレジェンド10名」

クリスタル・パレス所属:1970~1988

まるでモビルスーツのような名前を持つジム・キャノンは、通算660試合というクリスタル・パレスの最多出場記録を持っている伝説的なセンターバックだ。

ユースから1973年にトップへと昇格し、左サイドや中盤でもプレーできる器用さも武器に長く活躍。10年間に渡ってキャプテンマークも巻き、信頼性の高いリーダーシップあるディフェンダーとして知られた。

イアン・ライトは後に「ジム・キャノンにいじめを受けた」と告白しているが、ジム・キャノン側はその事実を否定している。

ジェフ・トーマス

鎌田大地が加入したクリスタル・パレス「歴史上最強のレジェンド10名」
鎌田大地が加入したクリスタル・パレス「歴史上最強のレジェンド10名」

クリスタル・パレス所属:1987~1993

クリスタル・パレスでの6シーズンで249試合に出場し、35ゴールを決めたミッドフィルダー。デビューシーズンで年間最優秀選手に輝き、1部昇格に大きく貢献。様々なポジションをこなすユーティリティプレーヤーだった。

引退から1年が経った2003年には慢性白血病で余命三ヶ月と診断されるも、その後必死の治療によって回復。2005年には自転車でツール・ド・フランスの全コースにあたる3540kmを21日間で走るというチャレンジを行い、15万ポンドを集めて白血病研究の団体に寄付を行った。


それからも様々な慈善活動を行って寄付を集め、2021年にはその素晴らしい功績から大英帝国勲章を授かっている。

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