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湘南の暴れん坊!湘南ベルマーレの誕生と波乱の歴史

  • 2024.7.1
湘南の暴れん坊!湘南ベルマーレの誕生と波乱の歴史
湘南の暴れん坊!湘南ベルマーレの誕生と波乱の歴史

Text by 中田渉太郎

ベルマーレの歴史は古く、1968年に誕生した藤和不動産サッカー部を起源とする。

藤和が大手ゼネコンのフジタ傘下となったことでフジタ工業サッカー部に改称し、セルジオ越後らを中心に日本サッカーリーグ優勝3回、天皇杯優勝2回を誇る名門となった。

湘南の暴れん坊!湘南ベルマーレの誕生と波乱の歴史
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なぜベルマーレ平塚に?

Jリーグの往年のファンにとって、「ベルマーレ」と言えば「ベルマーレ平塚」を思い浮かべるかもしれない。しかし、実は最初から「湘南ベルマーレ」という名前が使われていたことはあまり知られていない。

1992年、フジタはJリーグ参入を目指して運営会社を立ち上げた。その際の最初のチーム名が「湘南ベルマーレ」だった。「ベルマーレ」とは、ラテン語で「美しい」を意味する「Bellum」と「海」を意味する「Mare」を組み合わせた造語である。

しかし、当時のJリーグの規約では「ホームタウンは1市のみ。チーム名は市町村名のみ」とされていた。そこで、平塚市をホームタウンとして「ベルマーレ平塚」という名前でJリーグに加盟することになった。

その後、Jリーグが広域ホームタウン制を導入したことで、2000年に「湘南ベルマーレ」へ改称した。現在では、ホームタウンは9市11町にまで拡大している。

フジタ撤退から復活のドラマ

ベルマーレの親会社であったフジタは、1999年に業績不振により撤退。

親会社を失ったチームは消滅の危機に瀕するも、平塚市民を中心とした存続運動で消滅を免れた。 また、撤退に際してフジタはベルマーレに負債を残さず、新会社の準備資金として1億円を用意していたのだ。

その後フジタは、業績回復により2017年からベルマーレのスポンサーに復帰。 一度撤退した親会社の復帰は異例で、サポーターの中には「生き別れの親と再会した気分」と涙を流すものもいたという。

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