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映画『フェラーリ』で描かれる、創業者の知られざる一面。

  • 2024.6.29
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死と背中合わせの世界を、ひたすら生きぬくために。

『フェラーリ』

©2023 MOTO PICTURES, LLC. STX FINANCING, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

1957年、買収工作がうごめく経営悪化の中、エンツォはイタリア縦断レース、ミッレミリアでの優勝に社運を託す。彼の息がかかった誰もが「恐れ知らずの歓喜」を追い、真紅のマシンの胴震いと死の影に憑かれたよう。

監督が『ヒート』『コラテラル』など活劇に定評があるマイケル・マンで、天下のフェラーリが題材とくれば、迫力満点のカーレース映画だと誰もが思うだろう。

確かにレースシーンの臨場感は半端ないが、本作は創業者エンツォ・フェラーリのある意味、伝記映画。それも創設10年目の1957年に絞って、彼の私生活を中心に描かれる。

そこはイタリアのセレブ、さぞかし華やかなパーティ三昧かと思いきや、それも違う。だいたいこの人、前年に最愛の息子を亡くし、妻と共同経営の会社は倒産寸前、しかも愛人との間に子どもをつくって二重生活中で、双方から責められ踏んだり蹴ったり。目前に迫った大レースで一発逆転を狙う崖っぷち状態なのだ。とにかくエンツォはいつも沈鬱な表情。毎朝墓地に赴き、死んだ息子に語りかける日々。ピザを片手に美女の尻を追いかける陽気でジローラモなイタリア伊達男とは正反対のキャラクター。

それもそのはず、彼の周りには死が充満している。息子に加え兄は戦争で命を落とし、目をかけたドライバーたちは次々と事故死、そしてその先に待ち受ける驚愕の運命。ここには成功のカタルシスも勝利の栄光も、もっと言うと敗北の美学さえない。あるのは「悲しんでも無駄」と心に壁をつくり、夥しい数の死をなんとかやり過ごすひとりの男の姿。まるでエンツォ自身が亡霊のよう。人は彼を冷酷と言うが、彼にとってそれこそが死と背中合わせの世界で生きぬく唯一の手段なのだ。そこにこの映画の凄みがある。

一方、もうひとつの"凄み"はペネロペ演ずる妻ラウラ。朝帰りした夫に銃をぶっ放し、同居する義母に悪態をつき、夫の愛人宅を徹底的に探るさまはほとんど幽鬼。でも彼女は彼女なりのマナーで悲しみを乗り越えようとしていたことが最後にわかって胸を打たれる。このふたりの夫婦喧嘩に、どんなレース映画よりも震え上がること間違いない。

『フェラーリ』

監督/マイケル・マン

出演/アダム・ドライバー、ペネロペ・クルス、シャイリーン・ウッドリー、パトリック・デンプシーほか

2023年、アメリカ映画132分

配給/キノフィルムズ

7月5日より、TOHOシネマズ日比谷ほか全国にて順次公開

kinofilms.jp

文:佐向 大/映画監督、脚本家

『休暇』(2007年)ほか国内外で評価された脚本実績と並行し、09年『ランニング・オン・エンプティ』で商業監督デビュー。大杉漣の遺作にして驚異の対話劇『教誨師』(18年)、日常からの離脱×彷徨譚『夜を走る』(21年)と続く。

*「フィガロジャポン」2024年8月号より抜粋

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