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“90歳”草笛光子から学ぶ「年を重ねるごとに輝きが増す生き方」90代のアスリート、「マクドナルド」クルーも活躍

  • 2024.6.29
草笛光子さん(2023年5月撮影、時事)
草笛光子さん(2023年5月撮影、時事)

現代の日本はモノがあふれていたり、低価格で良質なサービスを受けられることがありますが、どこか活気を得られず、鬱々(うつうつ)しさを感じてしまっている人もいるかもしれません。

一方で、やりたいことに妥協することなく、周囲を気にかけつつも自分の心に正直に生きている人がいます。その一人が、俳優・草笛光子さん(90)ではないでしょうか。1933年10月22日に生まれた草笛さんは、今年5月にエッセー「きれいに生きましょうね 90歳のお茶飲み話」(文藝春秋)を出版し、“国内で最高齢”の主演作となり、キャリア初となる単独主演映画「九十歳。何がめでたい」が6月21日に公開されるなど、さらなる輝きを放っています。また、X(旧ツイッター)やインスタグラムなど、SNSでも積極的に情報を発信するなど、現代文化も取り入れた活動をしています。本記事では、私たちが生きるヒントを草笛さんの生き方から探ってみたいと思います。

細かいことを気にしない大胆さ。行動を起こすことで道は開ける

草笛さんの品格やりりしさ、美しさに心を奪われる人は芸能界内外を問わず、多くいると思います。ビビットカラーのファッションを着こなし、りんとしていながらもおおらかさを感じられる姿は、年代を問わず、多くの女性たちの憧れの的です。俳優の天海祐希さんは、草笛さんについて、中世ヨーロッパの貴婦人。こんなに品格のある方はいらっしゃいませんと語っていたことがありました。

華やかなステージで活躍してきた草笛さんですが、戦争を体験してきた一人です。同エッセーで、戦時中は疎開や空腹を経験し、終戦後はフェンスの向かい側で遊ぶかわいらしい洋服を着たアメリカ人の女の子をもんぺ姿でながめたこともあったとつづっています。

戦後、草笛さんは母親の洋裁店の手伝いも行っていましたが、父からの勧めで勉学にも励み、名門校・神奈川県立横浜第一女学校(現・横浜平沼高等学校)への進学を果たします。在学中、松竹音楽舞踊学校の試験をこっそり受けました。両親には芸事の道を反対されたものの、説得に成功。1950年、松竹歌劇団に5期生として入団し、8年後には冠音楽バラエティー番組「花椿ショウ・光子の窓」(日本テレビほか)で司会を務め、人気を博しました。

草笛さんは国内におけるミュージカルの発展にも貢献し、女優としての道を自ら開いてきました。草笛さんが松竹歌劇団に入団した頃には宝塚唱歌隊(現・宝塚歌劇団)がすでに発足していたものの、国内におけるミュージカルがこれから発展していこうという時期でした。彼女は1959年の「火刑台上のジャンヌ・ダルク」 をはじめ、数々のステージに立っていますが、自分自身で役をつかみとったステージもあります。

1963年の「コンサート形式によるミュージカルの夕べ」では、彼女の行動力や大胆さがなければ実現しなかったものです。当時としてはなじみのうすいブロードウェイ・ナンバーを紹介するステージで、作家の三島由紀夫さんが監修し、共演者にはフランキー堺さんもいます。草笛さんは自分が思い描く公演にしたかったためスポンサーをつけず、出演者や会場との交渉も彼女の事務所が行ったということです。さらに、東京文化会館(東京都台東区)での上演を切望した草笛さんは、この会館を貸してもらえるまで「どうしてもやりたいんです」と何度も頼み込んだといいます。結果的に、東京文化会館での公演を無事に終えられたものの、収支は赤字だったそう。お金のことはどうにかなると、当時からポジティブに考えていたようです。

また、1969年初演のミュージカル「ラ・マンチャの男」に、草笛さんはヒロイン・アルドンサ役で出演しています。この公演は彼女が日本でも上演したいと劇作家・菊田一夫さんに直談判し、上演権を取得してもらい実現したものです。草笛さんが自らつかんだヒロイン役であり、彼女の行動力がなければ実現しなかった公演といえます。

草笛さんは俳優として与えられた役をこなしてきただけでなく、主体的に動き、役を手にしてきた一面も持ち合わせた俳優です。

やりたいと願いながらも、周囲から声がかかるのを待ち続ける人も見受けますが、そのような姿勢では、いつまでたっても実現しないケースがほとんどだと思います。自ら声を上げ、周囲を巻き込んでいくことでこそ、手にできるものがあることを草笛さんは実体験から教えてくれています。“どうにかなるでしょう”とポジティブに考え、行動を起こしてみるのが彼女の生き方のポイントです。

見る人を明るくする演技…作品にあふれる人柄のよさ

草笛光子さん(2023年10月撮影、時事通信フォト)
草笛光子さん(2023年10月撮影、時事通信フォト)

草笛さんの生き方はポジティブで、おおらかなものですが、彼女の生き様は出演してきた作品に色濃く投影されています。

2021年に公開された映画「老後の資金がありません!」で、草笛さんは浪費家の姑を演じました。鮮やかな赤いコートやベレー帽、発色のよいブルーのコートなど、華やかかつきらびやかな衣装に身を包んだ彼女の姿も本作の見どころになっています。多種多様な衣装を着こなし、見る人を視覚的にも楽しませる草笛さんですが、本作では、「前歯がないおじいさん」の姿も披露しています。同シーンの背景には撮影中に前歯が落ちてしまい、歯医者に行こうにも時間が遅かったという事情があったということです。こうしたハプニングを演技にうまく生かし、笑いを誘うシーンに仕上げたのも、草笛さんの寛容さや女優魂、視聴者を楽しませたいという思いがあってのことだと思います。

公開されたばかりの主演映画「九十歳。何がめでたい」では、公開直前に東京で開催された舞台あいさつで、草笛さんが「私も90になりました…。何がめでたいって…。自分じゃよくわかりませんけれども.…90歳よろしくどうぞ」とコメントし、観客と報道陣に向かって大きく手を挙げたり、笑顔を見せていました。同作は、作家・佐藤愛子さんの同名エッセーを実写化。草笛さんは、佐藤さんを演じています。断筆宣言をし、鬱々と過ごしていたところ、時代遅れと周囲から疎まれる編集者(唐沢寿明さん)と出会い、活力を取り戻していくという役どころです。草笛さんの明るい声やチャーミングな演技は視聴者に元気を与えます。また、数々のコスプレ姿も本作の見どころになっています。

多くの女性が草笛さんのような品位ある女性に憧れています。品位を身につける方法が書かれた本を読み、その通りに実践し、美しい言葉遣いを心掛けているだけでは品位をまとえないのかもしれません。数々の苦労を乗り越え、時に大胆に行動し、何事にもおおらかでいることでこそ、内面から美しさを放てるものだと思います。

歳を重ねるのは幸せなこと。新たなチャンスに出会える可能性に満ちあふれている

「九十歳。何がめでたい」がミリオンセラーとなったのは、佐藤さんが94歳の時でした。人生100年時代といわれる昨今、シニア世代に入ってから新たな挑戦をしたり、90代で好きなことに励んで人生を謳歌したりしている人は少なくありません。

例えば、90代にしてトライアスロンに取り組む現役アスリートの稲田弘さん、ファストフードチェーン「マクドナルド」の「クルー」として働く人もいます。

稲田さんがトライアスロンのレースに出場し、はじめて完走したのは70歳のときでした。過酷さが有名な「アイアンマン世界選手権」に出場し、87歳のときにギネス世界記録の認定を受けています。シニア世代が、現役世代と肩を並べて現場に立つ姿に、元気をもらっていたり、生き方のヒントをもらっている人もいるのではないでしょうか。

稲田さんたちのほかにも、80代ですが、77歳のときにDJをはじめたDJ SUMIROCKさん、iPhone向けゲームアプリの開発を80代になってからはじめた女性もいたりと、多くの人に勇気を与える存在になっている人たちもいます。

高齢になってくると「今から始めても…」「手も足も痛いし、動くのはだるい…」などと言い訳しがちです。確かに、年を重ねれば、疲れやすくなりますし、20代の若者と同じように体を動かすのは一般的に難しいでしょう。しかし、何かを始めるのに年齢は関係ありませんし、気持ちや行動次第では「できなくなったこと」が増えていくのではなく、「できるようになったこと」が日々増えていくものです。

自身の好きなことを突き詰め、周囲に迷惑をかけない範囲内でわがままに生きることでこそ輝き続けられるのでしょう。

西田梨紗

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