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「笑顔のままでいてね、そうしたら......」ジェーン・バーキンが親友に語った、人生の秘訣とは?

  • 2024.6.28

文筆家・村上香住子が胸をときめかせた言葉を綴る連載「La boîte à bijoux pour les mots précieuxーことばの宝石箱」。今回は筆者と公私ともに親交の深かった、女優にして歌手、世界を魅了したジェーン・バーキンの言葉をご紹介。

この言葉は、ジェーンから生で何回聞いたか数えきれないほどだ。エルメスの「バーキン」のバッグが発売された翌年1985年、日本の雑誌のパリ支局に赴任した私は、何かにつけてジェーン・バーキンの自宅に出入りして彼女を取材していたものだ。日本の雑誌からもっとも取材依頼が多かったスターだった。撮影も何回したか覚えてないくらいだ。考えてみるとジェーンの写真のほとんどは笑っているし、思い切ってカメラマンに微笑みかけているものが多い。もちろん晩年には病気だけでなく、長女のケイト・バリーがアパルトマンから落下死という辛い出来事にも直面したが、それでも笑顔を絶やさなかった。どんなに激痛に苦しんでいても、大丈夫よ、といって笑おうとした。

彼女は徹底したお洒落哲学を持っていた。最初に出会った頃は、あまりにも自然体で、何をしても粋に見えて圧倒されてしまい、お洒落のお手本にしたいと思ったが、すぐにそんな途方もない高望みは放棄してしまった。ジーンズにしても、あのすらりとした脚の長さがあるから美しく見えるし、夏は絶対リネン、冬は着古したカシミアよ、と言われても、なかなかそう簡単にはいかない。娘シャルロット・ゲンズブールも一緒に京都に旅した時、私に白シャツをくれたことがあった。猛暑にはリネンよ、というのだ。その時スーツケースの中に何枚もの同じシャツが入っているのが見えた。ところがそのシャツはあまりにもシンプルで、まるで私には似合わず、困ったことがある。ジェーンのようなスタイルだからこそ、あの誇り高い唯一無二の個性が生まれたのだと思う。

ある時シャンティーユ競馬場で、帽子を被って着飾った婦人たちのパーティーがあった時、ジェーンがいつものジーンズに男物の白シャツでふらりとやってきた。笑顔を振りまきながら入ってきた彼女は、肩出しのローブ・デコルテのロング丈のドレス姿の私たちをみて「あなたたち一体どうしたの?」と言わんばかりだった。彼女のお洒落哲学は、どんなところでもまったく揺るがないからだ。

巴里祭がくると、ジェーンの1周忌になる。あの笑顔が消えてから、もう1年になる。

愛にも、家族にも、お洒落にも、社会活動にも、全身でぶつかって、何もかも手に入れたジェーン。お手本にはできなかったけど、ジェーン、あなたが懐かしい。

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Jane Birkin
1946年、ロンドン生まれ。64年、『ナック』の端役で女優デビュー。同作の音楽担当だったジョン・バリーと結婚。長女ケイト・バリーが生まれたが、後に離婚。68年にフランスに渡り、セルジュ・ゲンズブールと出会い事実婚関係に。80年、DVやアルコール問題で別居するが後に和解、91年のセルジュの死まで交流は続いた。80年に映画監督のジャック・ドワイヨンと出会い末娘ルー・ドワイヨンが誕生するも、92年にジャックの監督作の内容を巡って、関係性は終わりを迎えた。歌手、モデルとしても代表作多数。
photography: AP/Aflo

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