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インテリアにも独自のこだわり、ジェーン・バーキンのブルターニュとパリの家。

  • 2024.6.28
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別荘のあるブルターニュでも、パリで引っ越しを繰り返しても、内装の趣味は一貫したテイストで、たくさんの思い出の品に囲まれて暮らしていた。

Bretagne 思い出の地ブルターニュで手に入れた、家族が集う一軒家。

散らかり方まで計算したようなダイニングルーム。

1993年、ブルターニュ北部にあるネオゴシック・ノルマン様式のヴィラで、ジェーン・バーキンは幸福な日々を過ごしていた。彼女が手に入れたこの屋敷は広大だ。その広さは、彼女が愛する人たち、彼女に会うためにこの家を訪れる人たちに向ける彼女の愛情の大きさを表している。レストランがすっぽり入ってしまいそうなダイニングルーム。舞踏会を催すこともできそうな広々とした応接間。子どもたちがローラースケートで競争するのにうってつけのサンルーム......。彼女がこの家を選んだのは、失った過去との絆を取り戻すためでもある。ここは、英国海軍士官だった父親が戦時中、ロンドンに渡ることを希望するレジスタンス活動家たちを護送するための拠点としていた場所だ。古い思い出にすがることは、あまり楽しくない最近の記憶や時に重苦しくのしかかる現在を忘れるための最良の方法だが、ジェーンにとって自らのルーツへ遡ることは、逃避ではなくエネルギーを取り戻すためのひとつの方法のようだ。

サンルームの中も外も植物に囲まれて。

ブルターニュでも彼女は思い出に囲まれて生活している。家族の写真、ケイトとシャルロットからの贈り物、ぬいぐるみや馬のロッキングチェアなど彼女自身が大切にしているイギリスから持ち運んだおもちゃ。生活の場には、シンプルな喜びと、彼女にとって大切な人たちの愛情に満ちている。兄妹もたくさんの子どもたちを連れてヴァカンスを過ごしにやってくる。何よりも、穏やかで愛情深い、茶目っ気のある末娘のルーが一緒だ。

幼い頃のルーと一緒に過ごした海辺。

夜は社交場となる広々とした応接室。

暖炉の上には両親や兄妹の写真が飾られている。

ひと休みする時には、お気に入りの作家の本がそばにある。バルザック、トルストイ、プルースト。そしてコレット。一曲の歌のようにひとりの人生を数行でまとめ、悲劇的なドラマを数語で表現する、急テンポな展開のコレットの掌編は何度読み返しても夢中になれる。

常に周囲に気を配るジェーンは大きな心の持ち主だ。一家の女主人として、客人たちに振る舞う食事の計画を立て、日が落ちると、所有するモーターボートを自ら操縦し、名もない入江や海岸に連れていってくれる。彼女は絶えず細やかな心配りを欠かさない。まるで、無尽蔵の愛情と優しさの欲求を、すべての人たちに向ける驚異的な心遣いによって表現しなければいられないかのように。(Madame Figaro 1993年8月23日号)

Paris どの家でも変わらない、好きなものに囲まれた暮らし。

汚れやすいキッチンにも、愛らしい壁紙を張るのがお決まり。

「1970年代にセルジュとノルマンディに小さな家を買った。日頃から料理をよくするので、あまり仰々しくないプロ用ガスオーブンが欲しかった。それで手に入れたのがラ・コルニュ。このブランドが流行る前のことよ。オールステンレスで、インテリアというよりも道具のよう。捨てずにいるのは思い出がたくさん詰まっているから。とても高いけれど一生物ね。もう30年以上使っているわ!あと2週間で引っ越すけれど、もちろんこれも一緒よ。人を招いた時にこのオーブンがあると心強い。ジャガイモは絶対パリッと仕上がるから。ルーの30歳の誕生日には鴨を8羽いっぺんに調理したのよ! 友人からローストポークがおいしいとほめられた時には『私じゃなくてオーブンのおかげよ』と答えることにしているわ。普段は自分と愛犬ドラの料理作りに役立っている。ドラはオーブンのドアに背中をくっつけて温まるのが大好きなの」(Madame Figaro 2011年9月17日号)

2016年撮影。5区の庭付きの家で暮らしていた。家具やオブジェはミシェル・アラゴンで。

ブラクニエの壁紙を愛用。壁には家族の写真が所狭しと飾られている。

セルジュ・ゲンズブールが描いたシャルロットの似顔絵。

 

*「フィガロジャポン」2024年3月号より抜粋

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