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「自分では営業できないくせに」社員に無視され陰口をたたかれた"二代目社長の妻"が採った組織立て直しの秘策

  • 2024.6.28

松本めぐみさんは、埼玉県の自動車部品メーカー「松本興産」の2代目社長と結婚後、同社に取締役経理総務部長として入社した。ある年、会社の売上高が過去最高を記録。社内が沸き立つ中、利益率が急落したことを指摘して社内から猛反発を受けたという――。

インタビューに答える松本めぐみさん
インタビューに答える松本めぐみさん
税理士の「そろそろ覚悟を決めて」に折れ入社

自動車部品の製造を手がける中小企業「松本興産」の2代目社長と結婚し、3年間の専業主婦生活を経て同社の取締役に就任した松本めぐみさん。結婚前は半導体メーカーや外資系ホテルで社員として働いていたが、今回はいきなり経営層、しかもまったく未経験の総務・経理を監督する立場となった。

入社のきっかけは、顧問税理士の勧めだったという。「中小企業は経理に信用できる人を置くことが大事だから、奥さんもそろそろ覚悟を決めて経営に入りなさい」――。そう聞いた瞬間、松本さんは思わず「え~、無理です」と言ってしまったという。

「夫と一緒に経営するとなると、ケンカが増えそうで嫌だったんです(笑)。でも、税理士さんの言うこともわかりますし、あとはやっぱり夫への愛ですよね。以前から経営に関する苦労話をよく聞いていたので、何とか私が助けになれたらと思いました」

話しかけても無視

松本興産の拠点は、埼玉県秩父郡にある人口1万人ほどの小さな町。会社は創業50年以上の地元企業。そこに突然“東京から来た社長の奥さん”が取締役として入ってきたのだ。社員の反応は歓迎とは程遠いものだった。

経理担当者には初日から無視された。

当時、同社の帳簿は手書きのノートで、担当者が自分独自のスタイルでつけていたため、ただでさえ会計知識のない松本さんにはまったく読み解けなかったという。教えてもらおうと思って話しかけても振り向いてもくれない。見かねた隣席の社員が取りなしてくれて、ようやく会話ができるようになった。

松本さんは「みんな、私が何か面倒くさいことを始めるんじゃないかって、脅威を感じていたんだと思う」と振り返る。

「無視する気持ちもわかるんですよ。私が来たことで今までのやり方が変わったら、たいていの人は自分が否定されたと感じて傷つきますよね。わかるんですが、それでも結局、手書きの帳簿は廃止してすべてクラウド化しました。嫌われても仕方がない、そうするのが会社のためだと思って」

松本興産に入社して2年経ったころの松本めぐみさんと、夫の直樹さん
松本興産に入社して2年経ったころの松本めぐみさん(左)と、夫の直樹さん(右)
社員の輪に入ろうとするも嫌われるばかり

社員との間にある壁を取り払いたい一心で、皆の雑談の輪に加わったり、女性社員とランチに行ったりもした。結婚前の職場でそうしていたように、まずは組織の一員になりきろうとしたのだ。

それでも、ベテラン社員との距離はなかなか縮まらなかった。特に部長たちからは、会社のためにと何か言うたびに「うるさい人だな」という目で見られ、嫌われていくのを感じた。

「嫌がられているのがわかっても、注意や指示を伝えるときは思いっきり明るく振る舞うようにしていました。でも、笑顔で懸命に旗を振っても誰もついてきてくれない。完全な一人相撲で、心の中ではすごく悲しかったですね」

長年現場を率いてきた夫から伝えれば、皆すなおに聞いてくれたのもしれない。しかし、松本さんは耳の痛いことを伝えるのは自分の仕事と考え、あえて嫌われ役を買って出ていた。「あの業者に予算をかけるのはめぐみさんのお気に入りだからだ」と根拠のない噂を流されたこともあったが、じっと耐えた。

そうした経験を経て、やがて、経営層は社員の輪に溶け込もうとするだけではダメだと気づく。いくら仲よくなろうとしても、社員から見れば自分は会社側の人間。だから社員目線ではなく、会社を率いる側として全体を俯瞰する姿勢を持たなければいけない――。以降、松本さんはこの点を強く意識して行動するようになった。

「業績は悪化」の指摘に社内から猛反発

だが、経営側の自覚を持った後も一人相撲は続く。

ある年、会社の売上高が過去最高を記録。皆が大喜びする中、松本さんは一人で危機感を募らせていた。会計数字を見ると、売上高こそ大きく伸びたものの、肝心の利益率は急落しており、過去最低だったのだ。受注が増えたことで忙しくなり、よく考えないまま増員したうえ在庫チェックもおろそかにしてしまった結果だった、

「お祝いムードに水を差すのはつらかったけれど、ここで事実を伝えないと会社は本格的な業績不振に陥ってしまう。だから、皆に正直に『業績は悪くなっている』と伝えたんです。覚悟はしていましたが、ものすごい反発が起きました」

特にベテランの営業部員たちからの反発は大きかった。「俺たちが一生懸命営業して仕事をとってきているのにアイツは数字しか見ていない」「自分では営業できないくせに」――。社内ではそんな陰口が飛び交った。

数字に目を向けてもらうための勉強会

松本さんはただ、会計数字が示す現実を伝えたかっただけだった。だが、言われたほうはどうしても、努力を否定された、責められたと感じてしまう。感情を抜きにして、単なる事実として数字に目を向けてもらうにはどうすればいいのか。

考え抜いた末、全社員に会計を教えて数字を理解してもらおうと思い立ち、試行錯誤して初心者も楽しく学べる「風船会計メソッド」を確立。これまでの経験から、強制するような言い方では敬遠されるだけだと考え、ある日の定例会議であえて軽いノリで誘いをかけた。

「私すごく面白いこと思いついちゃったんだけどさ、風船会計っていうの。これみんなでやらない?」

新しいおもちゃを見つけた子どものような口調に引き込まれたのかもしれない。居並ぶ部長たちから反対の声が上がることはなく、「めぐみ塾」と名づけた週1回の会計教室が始まった。風船や豚の貯金箱といったイラストを駆使して財務諸表を読み解いていくスタイルは皆に好評で、3カ月が経つころには多くの社員たちが会計数字をもとに課題や改善策を話し合うようになった。

風船会計を教える松本めぐみさん
「めぐみ塾」で風船会計を教える松本めぐみさん
会計が経営と社員の共通言語に

翌年、経営課題だった過剰在庫や利益率は大きく改善。会計数字を理解できるようになった社員たちが、何が課題でどう解消すればよいか、どうすれば経営が上向くかを自発的に考え、行動するようになったためだ。売上高が過去最高だった時に18.5%だった売上総利益率は、風船会計を導入してから22.6%にアップした。

「会計知識は、経営側と社員の共通言語にもなりました。当時、夫と私は5年後にメキシコに工場を出すという夢を持っていたんです。でも、夢だけ語っても人はついてきません。だから、新工場を出すにはいくら必要で、そのためには負債や税金を差し引いて毎年いくらの利益を出していけばいいかといった具体的な数字もセットにして、繰り返し社員に伝えていきました」

会計知識を身につけた社員たちは、松本さん夫婦が語った夢と数字をしっかり理解し、同じ目標に向かって動き出した。この夢は現地事情もあってまだ実現していないが、社員一人ひとりの中に根づいた会計視点と自発性は、今も経営の大きな力になっているという。

社員の女性比率は47%に

近年、松本興産では女性採用にも力を入れている。男性が多くを占める自動車業界にあって、同社の現在の女性比率は47%。今では経理や総務、数値管理、分析などの業務はほぼ女性が担っている。こうした改革を推し進めたのも松本さんだった。

育った土地柄か時代性か、子どものころは周囲にキャリアウーマンと言えるような人はほとんどいなかった。さらに、地元の高等専門学校を出て就職した先は半導体メーカーで、エンジニアという職種柄か、職場の女性比率はわずか1%ほど。その中で松本さんは男性に劣らないようにとがむしゃらに働き続け、体調不良も手伝ってついには燃え尽きてしまった。

「そこまで無理しなくても女性がポテンシャルをガンガン発揮できる、そんな会社にしたかったんです。体力や腕力では男性に負けていても、家事育児と両立しながらでも時短勤務でも、こんなに活躍できるんだよって。それを社会に証明したかった。実際、当社では今、そうした女性がたくさん活躍しています」

タイ工場の従業員と松本めぐみさん
松本めぐみさんは、松本興産のタイ工場でも風船会計を教えている
原動力は「夫への愛」

社内の反発を乗り越えて、業績向上や組織改革の先導役となった松本さん。その原動力は夫への愛だったそうで、「これが家族経営の中小企業じゃなかったらとっくに逃げ出していた」と笑う。会社には、社員はもちろん自分たちの生活や人生もかかっている。だからこそ必死になれたのだと。

「会計数字は社員に見せたくないという経営者も多いですが、組織の立て直しはまずリーダーが社員を信頼しなくては始まりません。その上で、皆の“自立して動ける力”をいかにして伸ばすかを考えてほしい。それが社員の幸せ、引いては会社の幸せにつながると思うんです。やっぱり、いちばん大事なのは愛ですね(笑)」

松本めぐみさんと、夫で社長の直樹さん
松本めぐみさん(右)と、夫で松本興産社長の直樹さん(左)

辻村 洋子(つじむら・ようこ)
フリーランスライター
岡山大学法学部卒業。証券システム会社のプログラマーを経てライターにジョブチェンジ。複数の制作会社に計20年勤めたのちフリーランスに。各界のビジネスマンやビジネスウーマン、専門家のインタビュー記事を多数担当。趣味は音楽制作、レコード収集。

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