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少女の私が死に、何者でもない苦しみから解放され大人の私に出会った

  • 2024.6.28
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あ、もう少女じゃないんだ。私。

22歳、彼氏の影響で吸い始めたタバコ。最初はうまく吸えなくて、ふかしてばかりだった。

それを上手に肺に入れた冬の日、ふと思った。そういえば私はもう処女じゃないし、タバコもやるし酒もやる、なんだか薄汚い生き方をしていて、そういうくだらないエモにひたって生きていて、それはつまり、少女の私が死んだということなんだ、と。

20歳の誕生日も成人式も、就職が決まったときも、大人になった気はしなかった。いつ大人になったという実感が湧くのだろうと思っていたけど、こんな何でもないタイミングで少女の私が死ぬとは。

◎ ◎

少女というアイデンティティはとても貴重だった。何をしても許される気がしていた。大人になったらきっと痛々しくてできないことも、恥ずかしげなくできた。「ハシコロタイム」とか言って、箸が転がったくらいのことで友達と爆笑できた。
これからできないことがどんどん増えるんだろうなと思った。連日の徹夜とか。条件反射の怒りとか。恋破れて人前で泣いたりとか。

かといってそのとき、大人というアイデンティティを獲得できていたかというと微妙だった。大人になれないまま、少女であることも失い、私はずっと足踏みしていた。

いつ大人になれるんだろうと思った。大人とは、我慢ができる人。諦められる人。割り切れる人。そんなイメージだったから、例えば新卒で入った会社で辛いことがあったとき、割り切れないわたしはまだ大人になれていないと感じた。

いつまでこの状態が続くのだろうと思っていたけど、もうすぐ30歳になる今に至ってもまだ宙ぶらりんだ。

◎ ◎

ただ、変化したこともある。「夢」との向き合い方だ。
ずっと追いかけられてきた。夢を追っているつもりで、いつのまにか追いかけられている。夢を叶えなきゃいけないとひたすらに信じている私が、私を追っている。
何者かにならなければならない。なるべく早く。
何者でもないまま生きていてはいけない。
ほんのつい最近まで、そう思っていた。でも、今これを書いていて気づいた。

私は、私のままで生きていける。誰も私を愛さなくなっても、夢を叶えることができなくても、ただ人と話したり、ご飯を食べたりが十分な幸せだと感じられるようになってきた。

そういった幸せが得られない人生だったから、ひとつひとつの幸せを噛み締められるようになった。

私は今何にも追われていない。生まれて初めて自由になれた。
私は少しずつ大人になったのだと思う。気づかないほどに小さな変化の積み重ねで、いつのまにか大人になっていた。
大人になることは諦めることではなかった。たとえばある瞬間、今日のご飯はこれを作ろうとか、この仕事を受けてみよう、とか、そういう選択をして人生を選んでいくことが大人になることだった。途方もなく多い選択の上にある自分の人生を肯定できるようになることが、大人になることだと気づいた。

◎ ◎

少女の私が死んでから、大人の私に出会うまでの時間、たくさんの絶望があった。

このエッセイを書くにあたって、私が祝いたい日はいつだったろうと考えた。でも、なかった。私にとって日付は意味を持たなかった。
私が祝いたいのは決まった記念日ではなく、新しい私に出会った時だ。

それがまさに今だと感じる。ありがとう。少女だった私に。何者にもなれず苦しんだ私に。それらの私がいてくれたから、そしてある瞬間に死んでいったから、今の私がいる。そのことに気づいた今日を祝いたいと思う。
生きることを選んだ今日の私に、おめでとう。

■貴田明日香のプロフィール
1994生まれの映画監督。文章を描くのが好き。趣味は編み物です。

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