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柴咲コウの“寄るべのない視線”が意味するものとは? 映画『蛇の道』徹底考察&レビュー。旧作版との違い、黒沢清の演出を解説

  • 2024.6.28
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© 2024 CINEFRANCE STUDIOS - KADOKAWA CORPORATION - TARANTULA

日本映画界を代表する名匠、黒沢清。彼が1998年に制作した映画『蛇の道』が、26年の歳月を経てフランス資本でリメイクされた。今回は、高橋洋が監督を務めた旧作版との違いや、新作ならではの要素を紹介。黒沢がセルフリメイクに踏み切った理由について検討する。(文・司馬宙)【あらすじ キャスト 考察 解説 評価 レビュー】
※本レビューは物語の結末部に言及しています。鑑賞前の方はご留意ください。

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2人の男がテーブルを囲んで会話している。テーブルの下にはアナーキストが隠した爆弾が設置されているが、登場人物はその存在に気づかない。一方、この様子を見ている観客は、この爆弾が1時に爆発すること、そして劇中の時間が爆発の15分前であることを知っているー。

【写真】柴咲コウの美しく狂気的な表情に魅了される劇中写真。映画『蛇の道』劇中カット一覧

これは、サスペンス映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコックによる「テーブルの下の爆弾」というたとえ話だ。彼は、登場人物も観客も爆弾の存在を知らない状態で爆発させる「サプライズ」と対置させる形で、サスペンス映画の極意を紹介している。登場人物と観客の間に情報の差を作ることで、観客の緊迫感を存分に煽るというわけだ。

では、反対に、登場人物の方が爆弾の存在を知っていて、観客が知らないとすればどうだろうか。しかもその爆弾が、永遠に爆発しない不発弾だったとすればー。お察しの通り、このとき爆発、つまり終結は永遠に引き延ばされる。観客は、爆発の手前で「宙吊り(=サスペンス)」状態に置かれるのだ。

黒沢清の『蛇の道』は、そんな「テーブルの下の不発弾」をめぐる物語だ。

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とある工場の廃墟。ジャーナリストのアルベール・バシュレ(ダミアン・ボナール)と心療内科医の新島小夜子(柴咲コウ)が、ある男の手足に枷をはめている。その男とは、ティボー・ラヴァル(マチュー・アマルリック) 。ミナール財団の元会計係だった男だ。

アルベールは、ラヴァルを壁につなぐと、殺害された自身の愛娘のホームビデオを彼に見せながら彼を問い詰める。しかし彼は一向に口を割らない。それどころか、彼はもう一人の容疑者の名前を口にする。財団の黒幕であるピエール・ゲラン(グレゴワール・コラン)の名をー。

終わりなき復讐譚。本作の根底をなすこの物語は26年前に制作された旧作版とほぼ同じだ。違う点は、旧作版ではアルベールが日本人に、新島小夜子が男性になっている点だろう。

旧作版でアルベールにあたる人物は、香川照之演じる宮下辰雄だ。小心者である彼は初めのうちは復讐に及び腰なものの、次第に自らの暴力性に心酔し手がつけられなくなっていく。この描写は、確固たる信念のもと復讐を遂げようとするアルベールの描写とは大きく異なっている。

旧作版で新島小夜子にあたる人物は新島龍巳。演じるのは、Vシネの帝王とうたわれた哀川翔だ。塾の数学講師と殺し屋の二足のわらじを履く新島は、どこか超然とした空気感を纏っており、小心者の宮下をみるみるうちに修羅の道に引き摺り込んでいく。

また、旧作版では、新島がドラマ『ガリレオ』に登場する湯川学(福山雅治)よろしく路上に数式を書き散らすシーンなど、初期黒沢作品らしい本筋とは関係のない不条理でシュールなシーンがあちこちに散りばめられていた。一方、新作版では、旧作版に見られた「雑味」が抜け落ち、よりすっきりした味わいになっている。よく言えば洗練された作品に、悪く言えば味気ない作品になっているというわけだ。

© 2024 CINEFRANCE STUDIOS - KADOKAWA CORPORATION - TARANTULA
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とはいえ、旧作版の「異物感」がなくなったかといえば、決してそんなことはない。むしろ高橋洋による脚本を再解釈した新作版では、旧作版の謎が主人公の小夜子の「視線」に集約されている。

例えば中盤、小夜子がアルベールの目を盗み、監禁した財団メンバーに裏切りを持ちかけるシーンでは、赤い光に沈む小夜子の顔が、監禁されている男の目線とおぼしきバストショットで捉えられる。しかし彼女の視線は、カメラではなく画面の下手側に向けられている。本作には、こういった「寄るべのない視線」が随所に散りばめられているのだ。

最もわかりやすいのが、日本に暮らす夫とオンラインで会話を交わすシーンだろう。このシーンでは、本来ならばカメラ前にいるはずの小夜子がパソコンの横に佇んでいる。彼女は、夫の呼びかけにも応じず、ただひたすら闇に佇んでいるだけだ。

映画評論家の三浦哲哉は、サスペンス映画の要素の一つに「見えないもの」を挙げ、その例に、「画面をどこかから監視・操作している、高次の眼差し」を挙げている。

「あるイメージは、見えていないけれども存続する、画面外のもうひとつのイメージとの関係下に置かれる。『見えないもの』をいかにして画面の中へ作用させるか。それが時代を超えてサスペンスの作り手たちを貫く関心ごとだったと言えるだろう」(※)

本作では、寄る辺ない小夜子の視線が、作中の空間に見えない「空白」を作り出している。そして、それは、黒沢自身が述べているように、小夜子が作中ほぼ唯一の女性であることにも関わっている。いわば彼女は本作の超越的な「外部」であり、黒沢自身がインタビューで述べているように、全ての男性を「コントロールしている、結果彼女がすべて糸を引いている」(※2)存在なのだ。

※ 三浦哲哉『サスペンス映画史』みすず書房、2012年、p.281

※2 黒沢清監督、柴咲コウの目つき絶賛「あらぬ方向に誘導されてしまいそう」/映画『蛇の道』インタビュー

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本作には、小夜子とアルベールに加えもう1人重要なキャラクターが登場する。小夜子の患者である吉村一郎(西島秀俊)だ。

フランス語が話せない吉村は、コミュニティにも属せず、慣れないフランスでノイローゼ気味になっている。彼女は、そんな吉村に本当の苦しみは終わらないことであると説き、あなたならできる、と発破をかける。

力なく椅子に座っている彼の虚ろな眼には、蛇のように鋭い小夜子のそれとは違い、すでに何も映っていない。また、吉村の顔から上をぷっつりと切ったフレームも、彼の顔の印象を希薄なものにしている。かくして彼は自らの人生を終わらせてしまうことになる。喉元に刃物を突き立て、命を絶ったのだ。

終わりの大切さを説く小夜子と、終わりが見えないことを嘆く吉村。しかし、実際の結果は真逆だった。小夜子の方が終わりなき復讐に呑まれていき、吉村の方が終わらせることに成功するのだ。

ここから分かるのは、吉村は、小夜子のもとに訪れる前にすでに終わっていたということだろう。彼は、すでに終わりの中に身を投じていたからこそ、終わりが見えなかったのだ。一方、先にある終わりをしっかりと見据えている小夜子の目は、終わりを客体化しているからこそ、永遠に終わりに辿り着かない。

しかし、終わりとは「希望」の別名でもある。そして「希望」とは、「テーブルの下の不発弾」のことでもあるのだ。

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哲学者のニーチェは、『ツァラトゥストラかく語りき』で、ツァラトゥストラが見たという次なる幻影を語っている。

ある夜。とある断崖のほとりで、ツァラトゥストラは、若い羊飼いが苦しみのたうち回っているのを目撃する。口からは、重たげな黒い蛇が垂れている。

ツァラトゥストラは、蛇を掴んで引っぱるが、一向に引きずり出すことができない。そこで彼は羊飼いに「嚙め。それを嚙め! 頭を嚙み切れ。嚙め!」と叫ぶ。

この声を聞いた羊飼いは、叫び通りに蛇の頭を嚙んで吐き出し、立ち上がった。

「もはや羊飼いではなかった。もはや人間ではなかった。変容した者、光に照らされた者だった。哄笑した。この地上でいまだかつてどんな人間も笑ったことがないほどに、高らかに笑った」(※)

吉村は蛇の頭を嚙みちぎった。さて、小夜子はどうだろうか。

※ F.W.ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』佐々木中訳、中公文庫、2015年、p.274-275

(文・司馬宙)

【作品概要】
柴咲コウ ダミアン・ボナール
西島秀俊 青木崇高
マチュー・アマルリック グレゴワール・コラン
監督・脚本:黒沢清 原案:高橋洋『蛇の道』
音楽:二コラ・エレラ
製作:CINÉFRANCE STUDIOS、KADOKAWA プロデューサー:小寺剛雄
撮影:アレクシ・カビルシーヌ 編集:トマ・マルシャン
配給:KADOKAWA
2024年/113分/フランス・ベルギー・ルクセンブルク・日本/カラー
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