1. トップ
  2. エンタメ
  3. “クドカンドラマが苦手”な人にこそ観てほしい…『季節のない街』の余韻がいつまでも消えないワケ。徹底考察&解説レビュー

“クドカンドラマが苦手”な人にこそ観てほしい…『季節のない街』の余韻がいつまでも消えないワケ。徹底考察&解説レビュー

  • 2024.6.28
  • 5501 views
ドラマ『季節のない街』【番組公式Instagramより】

企画・監督・脚本を宮藤官九郎、主演を池松壮亮、共演を仲野太賀、渡辺大知が務めたドラマ『季節のない街』。本作は、仮設住宅の街を舞台に、個性豊かな住人が紡ぐ青春群像劇だ。ディズニープラスでの独占配信を経て、2024年4月より初の地上波放送された本作のレビューをお届け。(文・苫とり子)【あらすじ キャスト 解説 考察 評価】
————————
【著者プロフィール:苫とり子】
1995年、岡山県生まれ。東京在住。演劇経験を活かし、エンタメライターとしてReal Sound、WEBザテレビジョン、シネマズプラス等にコラムやインタビュー記事を寄稿している。

ドラマ『季節のない街』【番組公式Instagramより】

昨年、ディズニープラスで独占配信されたドラマ『季節のない街』が、テレビ朝日の“ドラマ25“枠で地上波初放送され、6月8日に最終回を迎えた。本作は、60年代に刊行された山本周五郎の小説を映像化したもの。1970年には黒澤明監督が『どですかでん』のタイトルで映画化し、海外で高い評価を得て、第44回アカデミー賞で外国語映画賞にノミネートされたことでも知られる。

同映画を“一番好きな邦画”に挙げ、長年企画を温めてリブートに至ったのが、“クドカン”こと宮藤官九郎だ。宮藤といえば、クドカン節と言われるユーモアを織り交ぜながら、人間賛歌の物語を紡いできた。おそらく生粋の人間好きでその愚かさや弱さも忌憚なく描いてきた作家だ(というより、それこそが彼の人間を愛する所以なのだと思う)。

そして人間であるかぎり避けられないものが“死”であり、宮藤は多数の作品で“死”を身近なテーマとして扱ってきた。病気や事故はもちろん、こと日本に関しては自然災害が多く、数年単位で日常を壊し、多くの尊い命を奪っていく。

宮藤は2011年に東日本大震災で震度7を記録した宮城県栗原市出身で、震災に対しては特に思うところがあるのだろう。連続テレビ小説『あまちゃん』(NHK総合、2013)では東日本大震災、大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』(同局、2019)では関東大震災、『不適切にもほどがある!』(TBS系、2024)では阪神・淡路大震災と、折に触れて作品の中で震災を扱っている。

本作もその1つであり、原作では戦後のバラック街だった舞台を仮設住宅のある“街”に置き換え、現代を生きる人々の群像劇として再構築した。

特筆すべきは、12年前に起きたという大災害が“ナニ”という言葉で抽象化されている点だ。東日本大震災を想起させる場面もあるが、あえて限定せず、災害で全てを失った人々が、貧しくも逞しく生きる姿を映し出していく。

池松壮亮
池松壮亮【Getty Images】

物語は、仮設住宅で暮らす人々の様子を報告するだけでお金がもらえる怪しい仕事を請け負った主人公の半助(池松壮亮)が飼い猫のトラと共に“街”へやってくるところから始まる。18世帯ものワケあり住人が暮らしている中で、最初に半助の目に止まるのが濱田岳演じる青年・六ちゃんだ。

黒澤監督の映画『どですかでん』では、この六ちゃんが主人公となっている。ちなみに“どですかでん”というタイトルは、“街”の中を常に走り回っている六ちゃんが呟いている電車の走行音。六ちゃんは自分を電車の運転手と思い込んでいるのだ。けれど、もちろん他の人には電車も線路も見えていない。もし六ちゃんを東京の街中で見かけたら、みんなの注目を浴びるだろう。

あるいは子ども連れの親なら、その目を塞いで「見ちゃいけません!」と注意するかもしれない。だけど、この“街”の人たちは六ちゃんを気にも留めない。というより、彼らはお互いのことに対してあまりに無関心だ。

例えば、親友同士でともに土木作業員の増田(増子直純)と河口(荒川良々)がある日突然、お互いの妻を交換する。増田の妻・光代(高橋メアリージュン)は河口と、河口の妻・良江(MEGUMI)は増田と、あたかも元から夫婦だったかのように暮らし始めるのだ。

普通なら誰かが突っ込んでもおかしくないはずなのに、この街の人たちは変だなと思いつつも、口を出さない。慰問ライブで訪れた元アイドルのみさお(前田敦子)と結婚した良太郎(塚地武雅)が可愛がっている子供たちの父親が全員違うとみんな薄々気づいているけれど、あえて黙っている。

「つまり幸せの形なんて、人それぞれなんだよ」とは、街の青年部を率いるタツヤ(仲野太賀)の言葉だ。

幸せの形は人それぞれで、他人から見たらまともじゃないかもしれないが、だからと言って断罪することはできない。母親のくに子(片桐はいり)に将来を案じられている六ちゃんが、毎日仏壇に「母ちゃんの頭がよくなりますように」と祈っているように、まともかまともじゃないかの基準も人によって異なる。

年齢も性別も職業も育ちも異なる人々が一堂に会するこの“街”は人種のるつぼのようだ。お互いに干渉せず、ありのままのその人を受け入れている。多様性って、本当はこういうことなのかもなぁ…と思わされた。

又吉直樹【Getty Images】

ただ、本作はそんなに生温い物語ではない。こういう“街”で暮らしたいなと思い始めた視聴者の頬をぶん殴るようなエピソードを宮藤は物語中盤から盛り込んでくる。

半助たちが暮らす仮設住宅は復興支援の一環で建てられたものであり、月収12万を超えたら即刻立ち退かなければならない。そのため、誰もがギリギリの生活を送っている。

そんな“街”の片隅にはダンボールハウスが建っていて、“リッチマン”と呼ばれる男(又吉直樹)とその息子(大沢一菜)が暮らしていた。彼らはいわばホ一ムレスであり、息子は飲食店の残飯をもらいに商店街へ通うのが日課だ。

“街”の人たちは彼らにも特に干渉しない。だが、ある日悲劇が起きてしまう。ホームレスの親子を巡るエピソードはあまりに救いがなくて、随分と引きずってしまった。あれだけ周りに大人がいるのに、何もできない現実に打ちひしがれそうになる。

続くかつ子(三浦透子)の話も胸が引き裂かれそうなほど辛い。かつ子は地味で大人しいが、真面目な女性だ。だけど、そんな娘の容姿を母親は「まるで潰れたがんもどき」と揶揄し、“街”の人も彼女のことを蔑んでいる。

その理由を長老のたんば(ベンガル)は 「働けど働けど報われず、楽になれない我が暮らし。そんな理不尽な境遇を具現化したのがかつ子ちゃんなんだ」と語った。

貧乏を憎むがゆえにかつ子を憎む。“街”の人たちは温かいところもあるが、まっすぐに良い人たちではない。あえて月収12万の壁を超えないようにしている狡いところもある。支援される人たちは品行方正を求められがちだが、万人から支援したいと思われるような人間とは限らないのだ。だけど、果たして彼らから居場所を奪うのは本当に正しいことなのだろうか。

物語の終盤では復興支援の一部打ち切りに伴って仮設住宅が取り壊されることになり、住民たちは退去を命じられる。仮設住宅はその名の通り“仮”の住まいなのだから、いつかは出ていかなければならない。だが、本作が物語の舞台を「仮設住宅のある“街”」としているように、長年そこに住み続けている人にとってはもはや“仮”ではなく、思い入れのある場所となっている。

何が正解で、何が間違っているのか。簡単に答えが出せる問いではなく、観終わった後も延々と考えている。このような余韻に浸らせてくれるという点も、クドカン作品の魅力の1つだろう。

仲野太賀
仲野太賀Getty Images


重たいテーマを内包した物語を、個性豊かな住民たちが繰り広げる抱腹絶倒の群像劇に仕上げた宮藤。そこに一役も二役も買っているのが、コメディ芝居もシリアス芝居もお墨付きの名バイプレイヤーたちだ。それぞれの役者が緩急ある芝居で、これぞ人間! というような姿を突きつけ、心を揺さぶってくる。

特に注目したいのは、タツヤを演じる仲野太賀だろう。仲野は近年のクドカン作品に欠かせない存在で、『ゆとりですがなにか』(日本テレビ系、2016年)を皮切りに、大河ドラマ『いだてん』(NHK、2019)や舞台『もうがまんできない』など多数の作品でタッグを組んでいる。

本作で演じるタツヤは仮設住宅に母と妹弟と4人で暮らしており、街から引っ越すための資金をコツコツ貯めている家族思いの青年だ。けれど、母のしのぶ(坂井真紀)は好き勝手に生きている長男を溺愛しており、タツヤに対しての扱いが酷い。

仲野はそんなタツヤの悲哀こもごもを豊かな感性で映し出していく。特に、とある場面で見せた「笑っているのに心は泣いている」を見事に体現した演技は圧巻だった。

宮藤と仲野は7月3日よりスタートとなる新ドラマ『新宿野戦病院』(フジテレビ系)でもタッグを組む。舞台は、新宿歌舞伎町に佇む病院。本作同様、歌舞伎町はホストやキャバ嬢、ホームレス、トー横キッズ、外国人難民など、“ワケあり”な人が集う場所だ。

宮藤は今年1月期のドラマ『不適切にもほどがある!』で昭和の価値観と令和のコンプラ意識に切り込み、大きな賛否を巻き起こした。

今回の作品も放送前から何かと批判を受けているが、不安に思っている人こそ、どうか本作を観てほしい。

宮藤は笑いにこだわる作家であり、時としてそれが懸命に生きる人を茶化しているように見えることもある。だが、少なくとも本作においては登場人物それぞれへのリスペクトが隠しようもない形で顕在化している。

歌舞伎町で生きる人々は世間から厄介者扱いされている側面もある。人間の長所も短所も平等に描く宮藤が、今作で彼らの見方を変えてくれることを期待したい。

(文・苫とり子)

元記事で読む
の記事をもっとみる