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【日本三大繁華街】東京「歌舞伎町」・北海道「すすきの」もう1カ所は?それぞれの歴史と特徴

  • 2024.6.25

繁華街とは、商店や飲食店、遊興施設などが立ち並び、多くの人で賑わっている地域のことです。日本各地には、数多くの繁華街が存在しますが、日本三大繁華街に挙げられるのは、東京都新宿区の「歌舞伎町」、北海道札幌市の「すすきの」、福岡県福岡市の「中洲」です。今回は、それぞれの歴史や特徴をご紹介します。

©️Luciano Mortula - LGM / Shutterstock.com

かつては森や川があった!? 戦後に誕生した比較的新しい街「歌舞伎町」(東京都新宿区)

©️Manuel Ascanio / Shutterstock.com

新宿は甲州街道の宿場町として江戸時代に誕生。しかし、歌舞伎町は戦後にできた比較的新しい街です。かつては角筈(つのはず)北一丁目と呼ばれており、森と川のほか、住宅や女学校もあったとか。しかし、1945年の空襲ですべて焼き尽くされてしまいます。

戦後、復興に向けて立ち上がったのが鈴木喜兵衛(すずききへい)氏です。鈴木氏は「東向きに芸能施設をなし、道義的繁華街を建設する」という構想を立て、この地域最大の地主だった峯島茂兵衛(みねしまもへい)氏が協力を約束。その構想実現に向けて一気に動き出しました。

また、このとき“歌舞伎座”の誘致を目指していたことから、1948年「歌舞伎町」という名前に。

ところが、突然の臨時建築等規制と預金封鎖の金融緊急措置令が発動されたことで、歌舞伎を公演する菊座や映画館、演芸場、ダンスホールの建設計画が中止に追い込まれてしまいます。

とはいえ、鈴木氏らは復興を諦めず、1956年には日本最大の映画館「新宿ミラノ座」やアイススケート場「東京スケートリンク」を併設した「東急文化会館」が完成。ジャズ喫茶なども次々に建てられ、若者が集まるエンターテインメントの街に。鈴木が目指した「道義的繁華街」の原型がつくられたのです。

そして1960年代には、早朝まで営業を続ける喫茶店、スナック、バーといった飲食店が増えたことで、「眠らない街」「不夜城」と呼ばれるように。

一方で、歌舞伎町およびその周辺には、常に売春街が存在。歌舞伎町は、遊郭などの風俗営業が特別に許されている「赤道地帯」としての顔も持っていたのです。

しかしその後、東京都庁の新宿移転が決定したことから、歌舞伎町の土地価格が上昇。古くからの店舗が貸しビルになり、法の抜け穴をくぐり抜けるようなシステムの性風俗店が急増しました。さらに暴力団組織の抗争なども問題になり、歌舞伎町は危険な街というイメージに。

歌舞伎町のランドマーク「ゴジラヘッド」©️Karl Panganiban / Shutterstock.com

ですが、1992年に暴力団対策法が施行され、2015年には「新宿東宝ビル」が誕生。現在は、娯楽施設や飲食店が数多く立ち並ぶ、日本最大規模の繁華街へと発展を遂げました。

歌舞伎町

住所:東京都新宿区歌舞伎町

電話:03-3209-9291(歌舞伎町商店街振興組合)

交通アクセス:JR「新宿駅」東口から徒歩約7分

開拓使が意図的に設けた遊郭がはじまり、多くの店舗が集中する「すすきの」(北海道札幌市)

©️tkyszk / Shutterstock.com

北の歓楽街(繁華街)として有名な「すすきの」。そのはじまりは、開拓使が意図的に設けた遊郭です。

開拓のために札幌にやってきた男性たちをこの地に引きとめておくため、1871年に岩村通俊(いわむらみちとし)判官が薄井龍之(うすいたつゆき)工事監事に命じて、現在の南4、5条西3、4丁目の2町四方を区画し、貸座敷、旅人宿、飲食を移したのです。

そして、この遊郭は「薄野(すすきの)遊郭」と名付けられました。なお、この名前の由来は、薄井龍之の姓にちなんだ説と、当時この一帯が「茅野」だったからという説がありますが真相は藪の中です。

1920年、薄野遊郭周辺の人口増加や、小学校が近かったことなどから、この遊廓は豊平川の川向こうの白石へ移動。しかし、薄野遊廓の跡地にはカフェ・バーなどの飲食店が立ち並び、1930年には、その数が450軒に! 現在のすすきののネオン発達の基礎がつくられました。

現在は大通の南、おおよそ南4~8条の南北と西2~5丁目の東西にかけて広がる東京以北最大の歓楽街(繁華街)に発展。全国的に知名度の高いスポットになりました。

眠らない街「すすきの」の最大の特徴は、店舗の多さ。約3,500軒ともいわれる店が集中し、夜の人口は約8万人といわれています。

郷土料理店のほか、居酒屋やクラブ、バー、カラオケ、ショーパブ、ラーメン店、ホテルなど多くのジャンルの店舗が存在しているのです。

©️7maru / Shutterstock.com

また、花魁道中が再現される夏の「すすきの祭り」、さっぽろ雪まつり期間に氷像が立ち並ぶ「すすきのアイスワールド」といった多彩なイベントも開催しています。

すすきのは比較的治安も良く、女性が飲み歩いても安全といわれる繁華街です。とはいえ、なかには観光客相手に不当な料金を請求するお店もあるため、地元の方やタクシーの運転手、宿泊先のスタッフなどから情報を集めたうえで、すすきの観光を楽しんだほうが安心でしょう。

すすきの

住所:北海道札幌市中央区

電話:011-518-2005(すすきの観光協会)

交通アクセス:札幌市営地下鉄南北線「すすきの駅」から約5分

江戸時代後期から賑わうように! 西日本一の繁華街といわれる「中洲」(福岡県福岡市)

中洲の屋台 ©️TungCheung / Shutterstock.com

「中洲」とは、那珂川と博多川に囲まれた長さ約1km、幅約200mの細長いエリア(島)のことです。

1600年、黒田長政(くろだながまさ)が福岡城築城に伴い、福岡の町づくりを行った際、「福岡」と「博多」をつなぐ中ノ島だった中洲に「中嶌(なかしま)橋」を架けたのがはじまりといわれています。

当時は畑でしたが、江戸時代後期に、福岡藩の財政立て直しの一環として中洲一帯を歓楽街にする施策を実行。茶屋や芝居小屋がつくられ、江戸から歌舞伎役者を招くなど、大賑わいだったと伝えられています。

福岡は武士の街、博多は町人の街であり、その中間に位置する中洲は武士と町人どちらを遊ばせるにも好都合だったそうです。

明治時代になると、電灯会社や電話局が開設。続いて、劇場が立ち並び、大正時代には映画館が次々と建てられたほか、カフェ・バーが流行し、博多の盛り場として栄えました。

1925年には、福岡で初となるエレベーターを完備した、地下1階・地上5階の百貨店「玉屋」が中洲近くに開店。現在は、西日本一といわれる繁華街に! 2,000軒以上の飲食店がひしめいています。

また、中州ではパレードや多彩なイベントで盛り上がる「福岡市民の祭り・博多どんたく港まつり」や、750年以上も続く豪快な夏祭り「博多祇園山笠」、1976年のオイルショックによる不景気を吹き飛ばすため、年に一度の謝恩のまつりとしてはじまった「中洲祭り」も開催。

キャナルシティ博多 ©️Sanga Park / Shutterstock.com

さらに周辺には、「旧福岡県公会堂貴賓館」を含む「県営天神中央公園」や、博多の伝統文化を支えてきた「櫛田神社」、ショッピングモール、映画館、劇場などが軒を連ねる「キャナルシティ博多」、博多でもっとも歴史がある「川端通商店街」も。

中洲を巡るのはそれほど時間がかからないため、ぜひ周辺もあわせて散策してみてくださいね!

中洲

住所:福岡県福岡市博多区中洲

電話:092-272-1440(中洲観光協会・中洲町連合会)

交通アクセス:福岡市地下鉄「中洲川端駅」からすぐ

[参考]

KABUKI町|歌舞伎町商店街振興組合

クローズアップ現代|NHK

一般社団法人 新宿観光振興協会

一般社団法人 すすきの観光協会

札幌市

HOKKAIDO LOVE!|公益社団法人 北海道観光振興機構

博多の魅力

中洲観光協会

YOKA NAVI|福岡市観光情報サイト

クロスロードふくおか|福岡県観光WEB

[All photos by Shutterstock.com]

 

 

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