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「バーキン」誕生から続く、ジェーン・バーキンとエルメスとの親しき友情。

  • 2024.6.23
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世界中が憧れる「バーキン」を我流に使いこなし、最終的には寄付をしていたジェーン。偶然の出会いからひとつのバッグを超えて、エルメスとの親交を深めていた。

文/村上香住子

ジェーン・バーキンは亡くなる2日前、7月生まれのシャルロットやルーの息子、孫のマーロウの誕生日プレゼントを探しに、エルメスのフォーブル・サントノーレ店に来ていたという。自分の名前を冠した最高級バッグ、「バーキン」を生み出したエルメスで、生涯最後のショッピングをするジェーン。想像するのは辛いが、それはいかにも彼女の伝説にふさわしい。

記憶の中のジェーンは、黒の大きな「バーキン」にさまざまなステッカーを貼り、持ち手には日本のファンにもらった小さなこけしのキーホルダー、お守りや数珠、フランスのお守りのグリグリなどをじゃらじゃら下げていた。中にはエルメスの男物のカシミアのセーターやストール、展覧会のカタログ、スーパーで買った折り畳み傘などなど......荷物がいつもあふれ出しているので、脇に抱えるようにして歩いていたものだ。

いまや世界中の女性の憧れの的となったエルメスのバッグ「バーキン」は、偶然の出会いから始まっている。ロンドンからパリへ向かう機内で、当時エルメスの会長ジャン=ルイ・デュマは隣の席の女性の荷物が飛び出しているスーパーの袋が気になった。その女性は、ジャック・ドワイヨンと新たな人生を歩み始めていたジェーンだった。その時ジェーンは、デュマ会長に「母親の生活に合った大きなバッグを探している」と話し、こういう形がいいとその場でデッサンまで描いたという。

ジャン=ルイ・デュマ(左)と出会い、ジェーンがカゴバッグの代わりに"自分の家"を持ち歩けるよう、しなやかなレザーの大きなバッグが製作され、「バーキン」と名付けられた。写真は1990年。Courtesy of Hermès

パリに戻り、ジャン=ルイ・デュマがアトリエでスタッフに相談すると、エルメスにはすでに馬具を入れる「オータクロア」というバッグがあるので、それを小ぶりにしたものがジェーンの求めている"なんでも入る大きなバッグ"に近いのではないか、と製作が始まった。それが1984年「バーキン」という名で売り出された時、日本の雑誌社のパリ支局にいた私は、ブームの前兆を間近で見ていた。

以来、「バーキン」の売上による収入の一部を、ジェーンは多くの慈善団体に寄付をしてきた。2011年の東日本大震災直後は、eBayのチャリティオークションに私物の「バーキン」を提供。全額を日本赤十字社に寄付している。でも、その後も同じ見た目の「バーキン」を持っていたので、おそらくいくつか所有していたのだと思う。

1999年10月、マルタン・マルジェラによる2000 年春夏コレクションのランウェイに登場。後の04年3月、ジャン=ポール・ゴルチエによるエルメス初のコレクションでランウェイを歩いたのは三女ルー・ドワイヨンだった。同年6月のシャンティイ競馬場で行われるディアヌ賞(2007年までエルメスがスポンサー)は、ジェーンが名誉ゲストに。おかげでハンディキャップ・インターナショナルへの募金が集まった。©Studio des Fleurs

プレタポルテのランウェイに自身がモデルとして登場するなど、ジェーンとエルメスとの交流は絶えず続いていた。15年にワニ革の製造過程の実情を訴えて、動物愛護の立場から抗議したこともあったが、それもすぐに改善してもらい、親交が回復している。

家族へのプレゼントを買いにエルメスへ......ジェーンとエルメスはひとつのバッグを超えた関係を築き、これからも両者による伝説は語り継がれていくことだろう。

10月23日、エルメスはフォーブル・サントノーレ店のリニューアルオープンを祝い、ゲストに「思いがけない24時間」を約束。そのクライマックスは、レナ・デュマがデザインしたガラスの階段でジェーン・バーキンが歌った時だった。同年7月に起きた台湾地震の犠牲者支援のため、ジェーンは最初に作られた「バーキン」をオークションにかけている。photography: Vincent Lappartient

2007年にオークションにかけられた初代「バーキン」は、21年10月~22年3月にヴィクトリア&アルバート美術館『Bags: Inside Out』展で展示された。エルメス独自の縁仕上げアスティカージュが施され、留め具のクラスプはゴールド、フラップにはJ.Bのイニシャルが刻印され、ストラップもついていた。しなやかな黒いレザーの40cmサイズ。©Tristan Fewings/Getty Images

1992年のセザール賞にて。すでにユニセフのシールを貼っている。©Best Image/Aflo

2008年チベットの国旗を貼って、ミャンマーのサイクロン、ナルギスに関する会合のためエリゼ宮へ。レザーはややマットな質感に、金具はシルバーになるなど、変化が。©SAMSON THOMAS/GAMMA/Aflo

2010年

ジャン=ルイ・デュマの訃報に際し、ジェーンがル・フィガロ紙に寄せた言葉。

「彼に最後のメッセージを送ることができるとしたら、シンプルにありがとうの言葉です。私の名前を冠したバッグが世界で成功を収めたことにより、エルメスの助けを借りて長年にわたり多くのチャリティ団体に寄付することができました。ジャン=ルイ・デュマは常に私に主導権を委ねてくれました。好奇心旺盛で素晴らしい心の持ち主は、最後の紳士のひとりです」

エルメス2011-12年秋冬コレクション会場にて。数珠などさまざまなチャームがぶら下がっている。©REX/Aflo

2013年にチャリティコンサート「Jane Birkin Sings Serge Gainsbourg "VIA JAPAN"」で来日。アウン・サン・スー・チーのシールが貼られている。©Shutterstock/Aflo

2016年ジェーンの自宅にて。日本のお守りや鈴、根付などがつけられている。「何度か"鞄持ち"をさせていただいたのですが、何が入ったらこんなに重くなるんだろうと思っていました」(梶野彰一)photography: Shoichi Kajino

2023年

7月16日のジェーン死去に際し、エルメスの公式追悼文。

「この度のジェーン・バーキンの訃報に接し、深い悲しみを感じています。私たちの思いは、彼女の娘たちや孫たち、そして彼女の愛する人たちとともにあります。私たちは親しい友人である長年の伴侶を失いました。感性を共有しながら、私たちはお互いを知り、ともに歩み、ジェーン・バーキンの素晴らしさを発見し、尊敬してきました。ジェーン・バーキンの柔らかなエレガンスからは、彼女自身が芸術家であり、献身的で、偏見なく、世界と他者に対する好奇心を持っていることがうかがえます。私たちは、ジェーン・バーキンの才能と、何よりも彼女の偉大な人間性に敬意を表し、彼女の家族とともに心より追悼の意を表します」

 

*「フィガロジャポン」2024年3月号より抜粋

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