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生まれながらの性は変えられなくても、性を貫くことはできる

  • 2024.6.23
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この春から放送されている朝ドラ『虎に翼』では、女性と男性が法の下で平等に生きる苦しさを描いている。生を与えられた瞬間、性に縛りを受けるなんて、あってはならないのだ。それと同時に、生を受けたからには性を全うすべきなのだと訴えてくる作品だ。

田舎と都会では働き方もまるで違う。田舎では二十代で結婚・出産を経験している女性が多い一方で、都会ではキャリアを積むことに人生を捧げ、結婚は後回しになっている女性が多いイメージだ。

どちらが幸せかは人それぞれだけれど、私自身がどちらの生き方を選択するかは未定だ。未定だからこそ、可能性に満ちあふれている「今」が好きだ。

◎ ◎

私が住んでいる地元は田舎で、二十代は少ない。そのせいで五十代でも若いという認識がされている。だからこそジェンダーギャップのまえに、ジェネレーションギャップもかなりある。そんな町で、「男と女」という性差は都会よりも広がっているという苦しい現実に、打ちのめされないように頑張ってみようと思っているところだ。

『虎に翼』の主人公、寅子のように逞しく男性社会で生き抜く勇気はまだない。それでも生きていくのは、とても過酷でありながら、達成感がある感覚に包まれているのだ。

「女性は結婚して、出産する」、「男性は結婚して、育休」という概念のなかにある、「育休」は、男性側からすると「長期休み」という認識が植え付けられている。そのうえで、女性は家事育児に徹し、男性は外で働いて稼ぐ。それが世の中に染みついたジェンダーギャップであるといえる。

この固定観念は特に田舎に多いのではと、持論を展開したいところだ。

少子高齢化が加速している田舎にとって、女性の「性」の役割は、「結婚し、子供を産み育てる」という概念が、はっきりと浮かび上がってきているように思える。

逆に働き盛りの男性と、「出産適齢期」を過ぎた女性が結婚したとする。その場合、出産適齢期を過ぎた女性は「無能」だと捉えられるのだろうか。

そのまえに性に関係なく、人間を無能・有能というだけで選別することこそに、ある種のギャップを感じるべきだと思う。こうした視点でジェネレーションギャップについて考えていくと、田舎と都会で関係はないようにも捉えられる。

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私はいま、21歳だけれど、まだ結婚していない。

それが「普通」だろうか。それとも「もう結婚適齢期を過ぎている」といわれ、もう結婚は諦めなさいと告げられるのだろうか。どちらにしても、科学技術が発展しない限り子供が産めない男性に生まれ変わりたいと思わせるような絶望しかない気持ちに包まれる。

これは田舎に住んでいても都会に住んでいても、大人になればなるほど付きまとう「もやもや」なのだろうと思う。

そもそも結婚適齢期って何歳なのか。それは18歳かもしれないし、20歳かもしれないし、30過ぎて50歳を過ぎてからかもしれない。人それぞれが「目標」と「目的」をもって、初めてジェンダーギャップを感じられないようになるのだといえる。

性は生まれながらにして変えられないけれど、「性」を貫く」ことはできる。だからこそ、ジェンダーに対して男性も女性も、「性」や「年齢」に囚われず与えられた人生をまっとうすべきだと思う。

田舎に住んでいても、都会に住んでいても「自分」を見失わず、ジェンダーギャップという言葉さえなくなっていくのが理想である。これがただ個人的な意見ではなく、皆が思っていることだと信じたい。
田舎と都会にフォーカスを当てて、ジェンダーギャップについて考えると、自分の未来を思い描くきっかけに繋がると思う。もし私にも結婚しても子供を産み育てる未来が訪れたら、そのときにまた自分と話してみよう思う。

■真桜のプロフィール
恋愛の神様、北川悦吏子先生に憧れながら、小説やエッセイを執筆しています。

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