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宿題をする子、しない子。その分岐点が”小3”にあるワケ

  • 2024.6.23
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長女が小3になってしばらくしたころ、あまりに宿題をやらなくて頭を抱えていた。

優しく促しても、叱っても、褒めても、おだてても、なにをどうやっても宿題をやろうとしなかった。

長女は穏やかな性格で、誰に対しても物腰が柔らかく、いつもニコニコしているような子で、反抗している様子でもないその頑なな態度の理由が分からず、ずいぶんと疑問に思ったものだった。

漢字ドリルノートは真っ白なページを増やし続け、焦った私は担任の先生に相談をした。

担任の先生は

「お母さん、放っておいていいです。本人がそのうち落としどころを見つけると思うので。しばらくは学校での空き時間を利用して、こちらで対応していきます」

と言ってくれて、大変申し訳ないことだけれど、先生が伴走してどうにか漢字ノートは無事に埋められていった。

その後、本人の中にもやる気はあること、気持ちが上手く切り替わらないことなどが分かった。

とは言え、解決方法は私のほうでは見つからず、本人が自問自答しながら自分なりのやり方を見つけてどうにか今、落ち着くところに落ち着いたらしい。

小学校6年生の今、漢字ドリルノートはきちんと埋められている。

結局は本人次第なのだなぁ、と思うしかない。

どうやらうちの子どもたちに関しては小学校3年生が宿題の鬼門であるらしい。

長女が宿題をやり渋っていた頃、サクサクと気持ちよく宿題を終わらせていた真ん中長男が現在、絶賛宿題をやり渋っている。

そうなったのは、やはり、小3にあがってからのことだった。

漢字がうんと増えるし、6限の日だって週に3日もある。

学校の勉強も難しくなってくるし、帰宅して大きな宿題に取り掛かるのが億劫になるんだろう。

分かる。

とても分かる。

朝早くに家を出て、てくてく歩いて学校へ行って、1日うんと頑張って、やっと帰宅したと思ったらうんざりする量の宿題を見れば目を背けたくもなるだろう。

私だったらなるし。

絶対になるし。

とはいえ、やはり宿題は出さないといけない。

出す前提で用意されているのだ。

出すものとして存在しているものを、出さないわけにはいかない。

さぞかしやりたくないだろうに、と思う気持ちを片手に持ったままかける声はどこか弱々しい。

「宿題やっちゃいなー」ランドセルを下ろしてソファに沈む息子に声をかける。

こんな声、なんの役にも立たないことを私はもちろん知っているのに、なぜ言うのだろう。

親としての責任を果たしていると思いたいんだろうか。

ソファにどんどん深く沈んでいく息子は、少年漫画雑誌を開いて曖昧な返事をする。

そうこうやり取りをしているうちに末っ子が帰宅して、手を洗ったらしゃんしゃんと宿題を出して取り掛かっていく。

「ほら、一緒に宿題やれば?」

結局は本人次第だと長女のときに痛いほど感じたのに、やっぱり言う。

今度は返事すらない。

やがて、息子の友達が続々とやってきて、中には宿題をきちんと持っている子もいて、末っ子と一緒にダイニングテーブルで宿題を始めたりもする。

ほら今、一緒にやればいいじゃない。

やきもきする気持ちにいよいよ蓋をして黙っているけれど、心の中では「だから!今!やれば!いいじゃない!!!」と叫んでいる。

息子の友人の中には宿題を持参していない子もいて、息子は平気な顔で彼と遊んで、宿題をしている少年を待つことになる。

最近はいよいよ日が長いものだから、小僧どもの滞在が冬に比べて長く、バイバイをしたら、さっさとお風呂に入って、夕飯を食べて、即刻寝ていただきたいほうに気持ちがシフトしていく。

運がよければ、夕飯の後にさくっと宿題をすることもないわけではないけれど、まあほとんどない。

その頃には私のほうでも、気持ちはすっかり「寝なさい」なので、宿題への関心がずいぶんと薄まっているのだ。

寝床へ向かう息子に、「明日の朝休みにやるんだよ」と声をかけて大抵一日が終わる。

もちろん宿題は溜まっている。

先日のこと。

「今日の昼休みなにして遊んだの」

と尋ねると、「終わってない宿題やってた」

と返ってきた。

なんと感心なこと!と思っていたら、先生からお声がけがあったそうだ。

「それは、ほかにも宿題をやってない子も一緒にやったの?」

「うん」

夕飯を口に運びながら息子がなんでもなさそうに答える。

「他に誰がいたの」

尋ねると、返ってきたのは毎日我が家に出入りしている少年たちの名前だった。

「あとは?」

「いない」

そそそそそうか。

類は友を呼んだだけかもしれないけれど、こうなると、我が家がよからぬ場所のように思えてくる。

先生は彼らが放課後、毎日我が家にやってきていることを知っている。

大変温厚で穏やかな先生であられるけれど、ちょっとどうなのと思われているかもしれない。

なんとかして、宿題事情をまともにせねばならん。

よからぬたまり場として認識されては困るのですよ。

そんなわけで、今週の私は少々目くじらを立てて、息子の尻を叩いている。

少年たちが集合したら、とりあえずみんなで宿題タイムという流れを定着させたい。

自分で言いながら、ああうるさいなと思うけれど、担任の先生がおっしゃった「家庭学習の習慣化のためにも」というお言葉を心の中で反芻しながら声をかけている。

我が家は決してよからぬたまり場ではなく、みんなで切磋琢磨して学びと遊びを充実させていますよ、というスタイルだということにしたい。

ハイパワーで強制したって言うことをきくわけでもないと、長女のときに学習したけれど、かといって完全に放置していては図太く真っ白な漢字ノートを更新するのだし、さじ加減を慎重に見ながら宿題の存在感をあげようとしている。

何気なく宿題を終わらせるお子さんをお持ちの親御さんからすると、驚かれることは百も承知で書くのだけれど、今彼らが明るいうちから鉛筆を持って座っていることが我が家にとっては文明開化であり、大革命の1歩なのだ。

「座ってる!えらい!鉛筆持ってる!わぁ!1行進んだね!!早い!!!」

そんなふうに小さな感動を積み重ねて、今、たぶん、少しずつ前へ進んでいる。

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