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ヨウジヤマモトが問う、「危険になりすぎている世界」の未来【2025年 春夏メンズ速報】

  • 2024.6.22

先日亡くなったフランソワーズ・アルディの葬儀が街中で執り行われた同じ日に、ヨウジヤマモトYOHJI YAMAMOTO)の2025年春夏ショーが彼女の時代を象徴する「comment te dire adieu」で幕を開けたのは、まったくの偶然だ。しかし、「さよならを教えて」と訳されるこの曲を選んだというのは、引退をほのめかしているのだろうか? ショーの後、デザイナーがそんな憶測をきっぱりと否定すると、彼の周りに身を寄せていた全員がほっとため息をついた。

そのすぐそばに立っていたのは、数分前にサプライズでランウェイに登場したシャーロット・ランプリングだ。彼女は過去に、ヨウジヤマモトの1998-99年秋冬のショーを歩いたことがある。今思えば、その時もメンズだった。フェドーラハットにサングラスを纏った彼女は、小柄ながら大女優の貫禄と中性的な雰囲気を醸していた。

深くも軽やかに紡がれる、ヨウジヤマモトの物語

ランウェイでランプリングが最初に纏ったのは、サスペンダーで吊り上げたルーズなウィンドウペーンチェックのパンツに、シンプルなラウンドネックのトップとテニスシューズ。そしてクロージングを飾ったもうひとつのルックは、ボタンを掛け違えたかのようなアシンメトリーヘムが目立つ白いシャツだった。表にはさまざまな言葉とランプリングの似顔絵が配されていたが、これらは当然ながらデザイナーによる手描きだ。

「彼が絵を描くというのは、物語を書くことと同じ」と話すのは、クリエイティブユニットM/M(Paris)のマティアス・オグスティニアック。彼は現在、ヨウジヤマモトのために本のプロジェクトに取り組んでいる。「(コレクションは)ノートブックのようなものですよね」。ここにいたオーディエンスが日本語を読めるか読めないかは別として、ランプリングのシャツが柔らかな生地で仕立てられていることは一目瞭然で、それはショーの軽やかさを表す一例だった。

昨シーズンのウィメンズコレクションは、キュビズムにインスパイアされた構造を中心に展開されたが、今回のラインナップにははっきりとした形らしいものはなかった。だが、決して形のない服と言いたいわけではない。シルクとレーヨンのレイヤリングには隙がなく、同時にゆったりとしていて、通気性を最適化するようにデザインされていた。コートやシャツには抽象的なプリントが施され、ニットのなかにはクモの糸で編まれたようなものもあった。

「You're the sunshine of my life(あなたは私の人生の太陽)」「Follow me to the end of night(夜の果てまでついてきて)」「Le beau est toujours bizarre(美しいものはいつも奇妙である)」といったメッセージの数々とコラージュされていたのは、花の写真やグラフィック。しかし、気候危機に対するデザイナーの懸念に紐づいた多くのイメージは、シルエットの軽やかさによって力強くも柔らかな印象を放った。

「危険になりすぎている世界」に、多くの問いを投げかける服

デザイナーはまた、彼が言う「危険になりすぎている世界」を理解するために仏教に回帰したことを明らかにしている。それをどうデザインに反映しているのだろうか? 彼は「多くの問いを繰り返すことが大切です」と返す。

デザイナーが言うように、彼の服は答えを出すよりも多くの問いを投げかける。私たちは、彼がどのようにして無限に続く創作に辿り着いたかを理解することはできないかもしれない。しかし私たちは、その唯一無二のデザインが多くの人々の心を掴んで離さないことを知っている。その証拠に、フロントローには76歳のスイス人現代アーティスト、ノット・ヴィタルからラッパーのリッチ・ザ・キッドまで、さまざまな世代を象徴するゲストたちの姿があった。最後にランプリングは、ヨウジヤマモトをこう高く評価した。「(彼がデザインするような服は)どこにも見つかりません。だからこそ、私は惹かれるのです」

※ヨウジヤマモト 2025年春夏メンズコレクションをすべて見る。

Text: Amy Verner Adaptation: Motoko Fujita

From VOGUE.COM

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