ジュード・ロウは母国イギリスの舞台や映画、テレビドラマを経て、1999年公開の『リプリー』で世界的ブレイクを果たしたが、突然手にした名声にもうまく対処できたという。『ピープル』のインタビューで、「僕の人生でもすばらしい時期でした。演技の仕事で求めるすべてを手にしたようでした」と振り返る。「すばらしい監督、ワクワクするような若い共演者たちと一緒に仕事をしました。景勝地でジャズを演奏し、ボートに乗っては海で泳ぎ、おいしいものを食べるだけの若者を演じました」
マット・デイモンやグウィネス・パルトロウらと共演した『リプリー』のヒットで、彼は瞬く間に有名人になったという。ゴールデン・グローブ賞やアカデミー賞のような華やかな授賞式に呼ばれ、次々と出演オファーが舞い込み、「誰と仕事をするかというような僕の決断が突如、期待され、注目を集めるようになった。そしてついには、私生活にも視線が注がれるようになったんです。しょっちゅうです。とても若かったから」
ジュードは当時、俳優でファッションデザイナーのサディ・フロストと結婚していて、彼女の親友ケイト・モスやノエル・ギャラガーとリアム・ギャラガー兄弟、ユアン・マクレガー、リス・エヴァンスらとともにロンドン屈指の高級住宅地プリムローズ・ヒルになぞらえて、“プリムローズ・ヒル・セット”と呼ばれ、その華やかな生活や交友関係がたびたび話題となっていた。
2003年にサディと離婚後、シエナ・ミラーとの交際や元恋人との間に子どもが誕生するなど、タブロイド紙を賑わせてきたが、彼は突然得たという名声についてこう語る。「振り返ってみると、長男(ラファティ・ロウ)は27歳ですが、当時の僕は息子と歳が近かった。正直なところ、過去を振り返って誇らしく思います。うまく対処できたと思います」
Text: Tae Terai