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礼に始まり、礼で終わる。薙刀部の作法が人との距離感を繋いでくれる

  • 2024.6.20
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礼に始まり、礼で終わる。
これは、私が中学時代に所属していた薙刀部で学んだ「あいさつの作法」だ。

薙刀部に入ったきっかけは、何となく中学に入学したら、運動してみたいと思ったからだ。入部すると、薙刀のスキルや試合でのルールよりも、真っ先に顧問の先生や先輩から教えられたのは「あいさつ」だった。

◎ ◎

昔から人見知りだった私は、町ですれ違った知り合いの方に挨拶されても、それをかえすことができなかった。今ではなぜそこまで人見知りだったのか、自分でもよくわからない。

ただ元気よく大きな声で「こんにちは」と言えばいいだけではないか。薙刀部に入るまでは、そう自分に言い聞かせながらも、どうしても挨拶できない自分がいた。

薙刀部は、稽古場となる体育館に入ると一礼する。それから更衣室へ入って、着替えや防具などをそろえ、稽古の準備をはじめる。この稽古前の準備がとても大事なのだ。

そして、体育館に入ると、授業から薙刀の稽古に励む心身に切り替えるために一礼するのだと、私は入部当初に先輩から教わった。

これはほかの部活にはない、清らかで伝統あるマナーだと感じていた。もちろん野球部やテニス部の部員も、元気よく挨拶していたけれど、「礼に始まり、礼で終わる」というモットーは、薙刀部の独自のマナーでもあったといえる。

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稽古では防具をつけて行う試合形式での打つ練習、そのあとは防具を外して「演技」の練習がある。防具を外すと、どうしても気が緩みがちだったけれど、二人一組で呼吸を合わせて心と心で対話する「演技」を始める前、また深く一礼をする。そうすると、心がぐっと引き締められ、心身が整うのだ。

ただ元気よく挨拶するだけではなく、薙刀部にいるときの私は一皮むけた人間に生まれ変われたような感覚に包まれていた。この部活で鍛え上げられたのは体力と精神力だけではなく、初対面の方に対して挨拶することで距離感を縮められる自信が身に着いたのだ。もちろん、昔はできなかった挨拶が身についたことで、身近にいる人にも、心地よい印象を与えられていたのではないかと感じる。

そして、稽古が終わると一列に左から右の順に後輩、先輩と並び、部長の掛け声で、瞑想、礼を行う。そのあとに、顧問の先生の講評に聞き入る。

これが「礼で始まり、礼で終わる」における「礼で終わる」のことである。

稽古の内容はもちろん刺激的だったけれど、この「作法」でありながら自分の精神を統一するような「あいさつ」は、今でも忘れられないものだ。この先も、薙刀部にいたときのように、あいさつの心構えを意識して生きていきたい。

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そんな中学時代の部活を経て、あいさつすることの大切さと、初対面でもずっと慣れ親しんだ関係性であっても、あいさつで第一印象が決まることを、私は知り得たのだ。

しかし特に初対面の方に自分から挨拶するなんて、それこそ一皮むけなければ私は無理な気がしていた。もともと根っこは人見知りの人間が、自分から積極的にあいさつしてコミュニケーションをとるなんて、夢にも思えなかった。けれど、少し歳を重ねた今では、なんとなく積極的になれそうな気がする。

薙刀部に居た頃、二年生になるとこんな私にも後輩ができた。当時、新一年生が「先輩」と呼ぶべき部員は、ひとつ上の二年生には私を含めて三人がいて、三年生は二人いた。中間のポジションにいた二年生は、交替で薙刀の構え方や防具のつけ方、正しいあいさつの仕方、部内でのルールとマナーを、ひとつひとつ教えた。

そのときにも、やはり「あいさつ」がどれだけコミュニケーションを円滑にするかを再認識させられたのだ。

私にとって初めての後輩ちゃんたちは、素直に話を聞いてくれて可愛かったものだ。あいさつをすると、「先輩、今日は防具つけられますか?」とニコニコしてくれる。そうすると、笑顔の輪が広がったように、私も自然と笑えた。昔は苦手だったあいさつが、私にとって人との距離を繋いでくれる味方となったのだ。

■真桜のプロフィール
恋愛の神様、北川悦吏子先生に憧れながら、小説やエッセイを執筆しています。

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