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地元で出会ったかぼちゃパンは、たくさんの思い出を連れてきた

  • 2024.6.18
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もう一度食べたいあの味と聞いて思い出したのは、地元のパン屋さんで買えるかぼちゃパンだ。

◎ ◎

初めて出会ったのが約7年前。母が買ってきてくれたのがきっかけである。昔からかぼちゃパンが好きだった。かぼちゃあんがぎっしり入ったパンは、かぼちゃとパン生地の甘みが同時に押し寄せ、私を幸せにさせた。

スーパーに売っている市販のかぼちゃパンでも十分満足はできたが、ここのでなければ、と思うかぼちゃパンに出会ったのは、そのお店のかぼちゃパンだった。生地はしっとりしていて、真ん中が少しくぼんでいる円形のパン。パイのような見た目をしているが、パン生地で作られている正真正銘のパンだ。周りは盛り上がっていて、この中にかぼちゃあんがぎっしり詰まっている。

ところどころ中のかぼちゃあんが見えるくらい隙間があけられているところがあり、かぼちゃあんが入っていることが陳列されている時点でわかるのだ。トングで自分の持つトレイに運ぶまでにもすでに食べたいが溢れてくる。一時期は何回も足繁く通い、かぼちゃパンは取り置きをしてもらったくらいだった。

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しかし、私が地元を離れてからは行っていない。実家に帰っても、目的を済ませたらすでに帰らなければいけない時間になっている。友人に会う時間さえ作れない私に、パン屋まで足を伸ばす余裕はない。いつか行きたいとは思っているけれど、チャンスは巡ってこず、気がつけば今日だ。加えて、人気のパンなので、いつも行けばあるとは限らない。

次の焼き上がり時間までに売り切れてしまえば、また次の機会を狙うしかないのだ。私にとっては何年後になるだろうか、というレベルだ。地元を離れてしばらく経っているので、パン屋さんへの道も少し怪しい。周辺までは行けるものの、大通りから小道へ入っていく入口があやふやなのだ。なにか用事がないと行けなかったパン屋さん。近くに行くからという理由で帰りに寄り道をしていた。店の名前も、店内の陳列も思い出せるほど思い出が詰まっている。美味しいかぼちゃパンとともに。

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思い起こせば、地元を離れてから久しくかぼちゃパンを食べた記憶がない。あのかぼちゃパンを超えるかぼちゃパンに出会わないこともそうだが、パン屋でかぼちゃパンを探していないのだ。とても不思議なことだが、今まで気づかなかった。そもそもかぼちゃパンに出会っていないので、新しい味を更新することなく来ているということだ。

だからこそ、懐かしいと思う一方で、場所も味も見た目も、すべて思い出せるのだろう。そして、もう一度食べたいと思うのだろう。地元にいるときは、かぼちゃパンといえば、かぼちゃあんがぎっしり入ったものが主流だと思っていた。今書き連ねているお気に入りのかぼちゃパンと同様のタイプだ。

でも実は、かぼちゃパンの本当の形は違う形なのだろうか。イメージとして湧いてくるのは、かぼちゃあんが入っていない、カボチャの種だけがトッピングされた黄色いパン。あれも一応かぼちゃパンとして販売されていたような気がする。私が認めていないだけだろうか。

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思い出の味として浮かんだかぼちゃパンは、たくさんの思い出を連れてくる。味だけでなく、買いに行くまでの道中や、初めて出会ったとき、好きになったきっかけ、かぼちゃパンの好きなところ。今はどうなっているかな、とか、また行きたいな、のような思いを馳せることもできてしまう。

かぼちゃパンの力はとても大きいものだと実感する。こうして思い出したのもなにかのきっかけだろう。次地元に帰るときには、久しぶりに寄ってみたい。初めて出会った感動を、久しぶりに感じられたら嬉しい。また好きな味を噛み締められたら、また新たな思い出が作られるはずだ。ますます楽しみになってきた。

■kanon.のプロフィール
自分らしさ、今を楽しむためには、を考える駆け出しの社会人。 HSPの持ち主。強みに変えられる生き方を探し中。

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