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今年は「長寿国王」英祖が即位してから300周年となる記念すべき年!

  • 2024.6.16

朝鮮王朝の歴史を振り返ってみると、1724年に20代王の景宗(キョンジョン)が在位4年2カ月で亡くなった。彼には子供がいなかったので、異母弟の英祖(ヨンジョ)が即位した。つまり、今からちょうど300年前に彼は国王になったのだ。

ここで改めて英祖の経歴を見てみよう。

英祖は1694年に生まれた。父は19代王の粛宗(スクチョン)であり、母は側室の淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏だ。この母はドラマ『トンイ』の主人公であり、ハン・ヒョジュが演じていた。

英祖は1724年に即位すると、各派閥から公平に人材を登用する政治を積極的に進めた。これが有名な蕩平策(タンピョンチェク)であり、英祖の功績を代表する政策になった。

英祖の長男は早世したが、1735年に生まれた二男がとても優秀だった。それゆえ、英祖は二男にとても期待していた。

赤い袖先
『赤い袖先』ではイ・ドクファが英祖を演じた(NBCユニバーサル・エンターテイメント/©2021MBC)
抜群の知名度を持つ国王

英祖の正室は貞聖(チョンソン)王后であったが、1757年に亡くなった。その2年後、英祖は二番目の正室として貞純(チョンスン)王后を迎えた。そのとき、彼女は14歳だった。65歳だった英祖とは51歳の年齢差があった。夫婦とはいえ、「祖父と孫」のような関係に近かった。

1762年、英祖は怒りを抑えることができず、二男を米びつに閉じ込めて餓死させてしまった。素行の悪さを周囲から指摘されて、後継者にふさわしくないと判断して厳罰に処したのである。しかし、歴史的には、この悲劇は「老論派の陰謀」という説も根強く残っている。

二男が餓死したあと、英祖はとても後悔した。そこで、亡き二男に「思悼(サド)世子」という名を贈った。

長く朝鮮王朝に君臨した英祖は、1776年に82歳で世を去った。在位は52年に及んだ。朝鮮王朝の27人の国王の中で、ナンバーワンの統治期間であった。

以上のような経歴を持った英祖……即位してから今年で300年になる。彼は韓国時代劇によく登場する国王として歴史的にも抜群の知名度を持っている。

政治的にも名君であったことは間違いない。しかし、二男を餓死させたという悲劇を起こしてしまったことは、とても残念であった。

文=大地 康

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