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留学したい。留学したい。ずっと憧れているのに出来ないこと

  • 2024.6.16
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ここ10年ほど、頭の片隅に居座っている悩みがある。単調な毎日に気が遠くなると顔を出すそいつは、私が選ばなかった、選べなかった道。後悔と劣等感の塊でもあるそいつは、海外留学だ。

はじまりは、ディズニーチャンネルで放送されていた映画「ハイスクール・ミュージカル」。当時小学生だった私は心を打たれ、アメリカでの高校生活にたいそう憧れを抱いた。人種もスクールカーストも関係なく、皆が自分らしく生きることを尊重するストーリーに何度も心を震わせ、セリフを覚えてしまうほど録画を見直したものだ。

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中学生になり英語の授業が始まると、私のハイスクール・ミュージカル熱はさらに加速した。いつものように録画を見直していたある日、字幕の文字と、セリフのニュアンスが微妙に違うことに気づいたのだ。「字幕は1秒に4文字以内」のルールを知ったのは後に翻訳の本を読んだ時だが、幼い私でさえ、「セリフの方がもっと色々喋ってる…」と感づいた。それなら、彼らが話しているセリフを一言一句逃さず理解したい。母にせがんで、英語版の小説を取り寄せてもらう。

英語の授業では、1日1ページの自習が課されていた。私は自習ノートに、せっせと小説を書き写す。習っていない単語があれば辞書を引き、時折好きなシーンまでスキップしながら。本来であれば英単語の練習やワークを解くための課題だったが、自主性を尊重してくれる先生は、私なりの自習を許してくれた。あなたは自由に進めていいよ、と1人の人として信用されたような気がして、さらにモチベーションが上がったものだ。この頃は、英語が話せたら何億人と話ができる!とか、世界を股にかける仕事がしたいとか、はち切れんばかりの希望を抱いていた。

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チャンスは大いにあったのだ。国際系の学部に通い、友人のほとんどが学生のうちに留学した。今も後悔を抱えているのは自分のせい。高校、大学と進学するにつれ、英語そのものよりも世界の社会問題に興味を持つようになった私は、学業そっちのけで学生団体の活動にのめり込んだ。当然GPAも低く、学部の推薦が必要な留学プログラムに応募する資格すらない。

当時の「やりたい」に専念した後悔はないけれど、あっという間に大学3年になり、「出遅れたら終わる」と行き場のない焦燥感を抱くようになったことは勿体なかったと思う。大学1〜2年のうちは各々が自分らしい道を歩んでいたはずなのに、年次があがった途端、就職活動という大きな流れに収束していく。社会という名の社潮流から外れようものなら、勇敢な開拓者のごとく道を拓かなければいけないような気がして、すなわち世界からおいていかれるような気がして1歩を踏み出せずにいる。

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この焦燥感は社会人になってからも続き、今度は大企業でバリバリ活躍中!とか輝かしい業績を引っ提げているわけではない自分にとって、「キャリアの分断」が持つ意味を考え込むようになってしまった。帰ったあとの保証が無い。そのことが私を日本に縛り付ける。留学から帰ったらまた、トラウマを抱えている就職活動をしなければならない。しかも、キャリアの分断を抱えて。それならば、今のままでいたいと思ってしまう。

結局、短期や旅行で海外に行く機会はあれど、本腰を入れて渡航することはなく社会人4 年目を迎えた。英語とも国際問題とも無縁の企業勤めは、社会の潮流に流されて流されて、偶然たどり着いた島に上陸したような、どこか他人事のようだ。

と、ここまで書き連ねてきて気づいたことがある。「海外で暮らしてみたい」と「今の環境を失うのが怖い」。相反する思いに際限ない不安を抱えているけれど、おそらく大学1年、2年で留学へ行った友人だって、1つの不安もなく渡航したわけではないだろう。なかには、社会の潮流から外れることに自覚的になりつつも、それでも今の好奇心を尊重するために飛び立った人もいるだろう。だって、リスクのない選択などないのだから。不安を左右するのは、見えているか、見えていないかだけだ。

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キャリアの分断で、登って来た階段の先が閉ざされてしまうような不安は拭えない。それでも、私がこれから生きる80年に比べたら、たったの1年はなんてことないだろう。むしろ、人生の幅を広げるような経験を1年のうちにできるのなら、モヤモヤしながらくすぶっている1年よりも、ずっとずっと有意義だろう。

あの頃の「やりたい」は確かに日本にあった。ただタイミングが違っただけで、ワーキングホリデーの年齢制限とか、家庭を持つかもしれないとか、そういう締切が目の前に迫ってはじめて、やっと重い腰をあげられるのかもしれない。

あまりに長いこと脳みその容量を食っているので、いっそのこと試しにやってみて、楽しかった!なり、合わなかった!なり、結果を吐き出してほしいと投げやりになりつつある。石橋を叩き割る性格をしているので、「もう考えるの疲れたから」と陰気な理由で決断をすることもよくある。死ぬまで頭の片隅に残り続けるなら、棺桶で後悔することだけはないよう、念願を実現したい。

■ひなたのさくらのプロフィール
「わたしらしく」の背中をおす新卒フリーライター。マイテーマは人の生き方・働き方。

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