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父の退職で我が家に訪れた転機。まだやり直せるかもしれない

  • 2024.6.15
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父はとにかく喋らない人だった。笑うわけでもなく、怒るわけでもなく、感情が見えないだけに、何を考えているのかわからない。それに加え、父と母は13年の年の差婚であった。

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今でこそ年の差婚は珍しくないのかもしれないが、10年以上離れていれば、ライフステージの違い、キャリアの違い、価値観の違いは出てくる。そのズレを埋めるにはお互いの考えていることを知ること、すなわち会話は必須となってくるだろうが、父はこの通りの人である。

夫婦間でのズレを埋めることもできず、小さい頃の私の記憶では、母は父のことでよく泣いていた。父は近寄りがたい人。父は母を泣かせる人。そんなイメージが染みついてしまった私は、直接ぶつかることはなくても、父を敵対視して生きてきた。

他の人が同じ事をしてもイライラしないのに、父がやることには何でも腹が立った。理不尽だよな、場合によっては私は父にモラハラをしているのかもしれないと思いながらも、父に対する敵対心は弱まることはなかった。

早く家を出たい。父と離れて暮らしたい。そう強く思うが、持病の経過が思わしくなく、結局私は今も実家暮らし。しかも父は今年の夏に今の職場を定年退職するという。無理だ。父が仕事に行かず家にいるようになったら、イライラに耐えられる気がしない。しかし、今すぐに私が家を出る手立てもない。

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どうしようかと思っていたその時、転機が訪れた。4月に入った途端、父は別人のように変わった。出勤日の朝・昼ご飯はコンビニの菓子パンなどで済ませていたのに、毎朝自分の弁当を詰めるようになった。そのついでに、家族の朝ご飯用の味噌汁も作ってから家を出て行く。帰宅してからも、今まではテレビに直行し、用意されていた晩ご飯を口に詰め込みゴロンと横になるのがいつものパターンだったが、最近はテレビもつけず、晩ご飯を食べながら家族と会話するようになった。

自分がこれからやってみたいと思っていること、自分が好きなことを喋ってはよく笑う。父の頭の中に「家事」という言葉は存在しないと思っていたが、晩ご飯の後の食器洗いや、休日のご飯作りなどもするようになり、母ともよく出かける。あまりの急変ぶりに、開いた口が塞がらない。

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思い当たるきっかけがあるとすれば、4月に、後数ヶ月で退職することが「確定」したということ。もしそれが本当に父の急変の理由であるとするならば、父のことを、何も喋らず、何を考えているかよくわからない人にしていた原因は「仕事」だったということだろうか。

そうだとしたら、そんな仕事ってどうなんだ。そしてそれに気づけなかった私たちってどうなんだ。私が父に対して取った冷たい態度ってどうなんだ。そんな思いが一気に押し寄せた。

まだ、やり直せるのかもしれない。父との関係を。家族の在り方を。考えていることがわからなかったから不信感も募るし、敵対視するしかなかった。父も言葉で伝えるのが不得意な人だし、私も父を知ろうとしてこなかった。

まさかこんなに喋る人だったなんて。こんなに熱い思いを持っていたなんて。「退職」をきっかけに見えてきた父の姿。今からでも遅くない。私は、父という人を知りたい。そう思った春だった。

■シオヤキのプロフィール
難病と生きる20代前半女性。

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