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ダメ元で食らわせる最後の手段! 本当は屁じゃない?「いたちの最後っ屁」/ことわざびっくり事典②

  • 2024.6.14
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『わらえる!? つかえる!! ことわざびっくり事典』(こざきゆう:文、伊藤ハムスター:絵、金田一秀穂:監修/ポプラ社)第2回【全5回】 勇気をくれることわざ、笑えることわざ、ちょっぴりこわいことわざ…人生の知恵や教訓がつまったことわざを、イラストともにわかりやすく学べる一冊です。私たちが日常でよく使うことわざのいわれや使い方などの解説はもちろん、世界のことわざを紹介するコラムも楽しい『わらえる!? つかえる!! ことわざびっくり事典』。その一部をお届けします!

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『わらえる!? つかえる!! ことわざびっくり事典』(こざきゆう:文、伊藤ハムスター:絵、金田一秀穂:監修/ポプラ社)

人にとってありがた~いお経だったとしても、馬にしてみれば聞かされたところで、無意味! 何のありがたみもないただの雑音だ。

というわけで、このことわざは、いくら注意やアドバイスをしても、それを聞こうとしない人、聞く能力のない人には、まったくのむだってことを表しているんだ。

このことばは、もともと中国の詩人・李白が詠んだ「東風の馬耳を射るがごときあり」という詩が由来。

「東風」は「東からふく春の風」で、心地よい春風が馬の耳にふいたところで、馬は何も感じない、みたいな意味だ。

ここから「馬耳東風」という故事成語ができ、日本では「馬の耳に風」となり、「風」が「念仏」に変わっていったようなのだ。

それにしても、話を聞かないとか、無意味なことを表すことばには、面白いものがいっぱいあるよ。

たとえば、「猫に小判」(猫に小判をあたえてもその価値がわからない)とか、「犬に論語」(犬に論語の教えを聞かせてもどうにもならない)とか、「ぶたに真珠」(ぶたに貴重なものをあたえても何の役にも立たない)とか。ほかにどんなものがあるか、調べてみよう!

いたちは天敵におそわれたりするピンチのとき、身を守るために、おしりのあたりからくさい液体を出す。そのにおいで相手をひるませて、すきをついて逃げるんだ。

その習性が由来になっていることわざだよ。だから正確にはくさい液体で「屁」じゃないんだけど、まぁことわざの話だから、細かいことはよしとしよう。

ことばの意味は、追いつめられたときに一か八かの最終手段に出ること。また、最後にぶざまな姿をさらすこと、という意味で使われることもあるんだ。

使い方は、「サッカーの試合で相手チームを追いこみすぎた。いたちの最後っ屁じゃないけど、1点入れられてしまった」とか「いたちの最後っ屁でいいから、何かいいアイデアはないものか?」という感じで。

似たようなことばには、次のようなものがあるよ。

「窮鼠猫をかむ」……追いつめられたねずみ(窮鼠)が猫にかみついて抵抗するように、弱い者でもあっても死にものぐるいで強い者に反撃すること。

「最後の悪あがき」……やっても、もはやむだなのに、じたばたと意味のないことをするという意味。

このことわざの「花」は「花見の桜」のことだ。

春、桜の下で行うお花見に出かけたものの、桜をながめるより茶店のだんごを食べるほうがいいよね~ってことば。

このことから、きれいなだけのものよりも、役に立つもののほうがいいよね~とか、見た目より中身が大事だよね~って意味になったんだ。

また、物の美しさを理解できない人のたとえでも使うよ。

例をあげると、「飛行機の窓から富士山を見下ろせるなんて、その景色に感動! でもパパは機内食に夢中で花よりだんごだね」とか「すごくかわいい服があるのに、動きにくいからって花よりだんごで、いつもジャージを着ている」という感じで。

「花よりだんご」な人は、あちこちにいる! だから、同じような意味のことばもいろいろあるよ。

たとえば、「色気より食い気」は、恋愛とかおしゃれとかよりも、とにかく食べることが大事ってことば。まぁ生きるためには食が大切だし。

また、「名を捨てて実を取る」。「名」は「名誉」とか「見栄」とかそういう見た目やうわべのこと。「実」は「中身」のことだ。外見よりも、本当の内容や価値を大切にするという意味。

「旅の恥」は「旅先でのはずかしいこと」、「かきすて」は「失敗しても気にもとめない」というような意味だ。

旅先にはどうせ知っている人もいないし、どうせずっとそこでくらすわけでもない。それならいっそ、ふだんならしないようなことも、やっちゃってもいいんじゃない? ってことば。

また、旅先でやることはその場限りなんだから、細かいことは気にせず楽しんじゃえよって意味もあるよ。

ちなみに、このことわざは、180年ほど前の江戸時代に書かれた『箱根草』という旅行記に出てくるとか。今も昔も、旅はウキウキ、アガっちゃう気持ちになるのは変わらないんだね。

さて、そんな「どうせ旅の最中なんだから、ひらきなおっちゃえ」的なことばを、ほかにも見てみよう。

「後は野となれ山となれ」……目の前のことが終わった後は、どうなっても知ったことではないって意味。けっこう無責任なことばだね。

「旅の恥は弁慶状」……源義経に仕えた弁慶が、書状(弁慶状)を〝書き捨てた〟という話にちなみ、「旅の恥はかきすて」の「かきすて」を「弁慶状」に引っかけた言い方。

「ひょうたん」は、ひょうたんの実で作った、水筒のような容器で、「駒」は馬のことだ。

でも、容器から馬が出るとはこれいかに? と思えるよね。このことわざは、まさにそのとおり。思いもよらない、ありえないことが起こる、じょうだんが本当になっちゃうようなことを表しているよ。

もともとは中国の伝説で、張果老という仙人の話が元にあるといわれている。張果老はロバに乗って旅をしていたんだけど、休むときはそのロバをひょうたんの中にしまっていたのだとか。

その話が日本に伝えられて、絵にかかれ、やがて、その絵からことわざとして広まったんだ。だから故事成語じゃないんだよ。

「中国の伝説が、日本でことわざになっちゃうなんて、まさにひょうたんから駒だ」のように使う。

似た意味のことばには、次のようなものがある。

「うそから出た実」……初めはうそで言ったことだったのに、その後、本当の話になっちゃうこと。

「けがの功名」……失敗したことや、なにげなくやったことが、思いもよらなかった成果に結びつくこと。

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