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これからは日本のものづくりを伝えるために攻めの姿勢へ。【マディソンブルー】と中山まりこさんの10年

  • 2024.6.14
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シャツ、ジャケット、Tシャツ、デニムと普遍的で上質なアイテムを軸にしながら、カジュアルにもモードにも品よくスタイリングできるアイテムを提案する【マディソンブルー】が2024年で誕生10周年を迎えました。デビューしてすぐに人気がつき、今なおファッション感度の高い大人の女性を夢中にさせる同ブランドの10年を、ディレクターでありデザイナーの中山まりこさんに振り返ってもらいました。

【マディソンブルー】を立ち上げた時「自分の人生が始まる」感じがした

――デビューからの10年を振り返っての率直な気持ちを教えてください。

中山 10年という一区切りで改めて振り返ってみた時に、10年前にシャツ6型からブランドを始めて、そのシャツがずっと売れ続けている。自画自賛だけれど、最初に普遍的なものを作れたということが自分のエネルギーになっています。

画像: 【マディソンブルー】のデビューシーズンからラインナップされている6型のシャツ 出典:マディソンブルー

――当時からシャツは長きに渡って売る計画で作ったのですか?

中山 シャツで育った世代なので、シャツを着てほしい思いはありました。49歳でブランドを始めたこともあり、普遍的なものを作りたかったけれど、当時はそこまで意識的ではなかったです。シャツには大人なイメージがあって、自分が取り組むならシャツだな、ってくらいだったかも。

――中山さんは50歳を前に軽やかにブランドを立ち上げた印象があります。

中山 スタイリストはクライアントや編集などからサーブがきて、それをいかに上手に打ち返すかが大切な仕事。でも50歳を目前にレシーバーではなく、自分でサーブを打つ人になりたかった。49歳にもなって青臭いんだけど、私はまだまだ夢を追いかけたいと思ったんです。

画像: 【マディソンブルー】ディレクター兼デザイナーの中山まりこさん 出典:マディソンブルー

――スタイリストとしてのキャリアを確立されていたのに、ブランドを始めるのはなかなかの挑戦ではなかったですか?

中山 キャリア云々ではなく、挑戦したい気持ちが先行していましたね。私は30歳になっても40歳になっても「大人になったら何になろう、何をしよう」と考えていて。スタイリストは天職だったと思うけれど、40代後半に子どもたちが高校を卒業したのをきっかけに、50代になったら何か実現したい、と。50代ってどれだけ気力体力が続くのか想像できなかったけれど、【マディソンブルー】を立ち上げた時は、とても前向きに「やっと自分の人生が始まる」って感じがしたのを覚えています。スタイリストとしても消費者としても、ハイブランドから流行のもの、ヴィンテージまで様々な洋服に触れてきた経験や知識は全部蓄積されていたし、今はスタイリストをしていた20年以上は服を作る=【マディソンブルー】を立ち上げるための修行期間だったかも、って思えるほどです。

――中山さんの考えはとても前向きで行動力もあって、年齢を重ねた人も勇気づけられます。

中山 何事にもマンネリ化せず、いつでもフレッシュでいることが生きる楽しみなので。ブランドを始めてから、工場に行って生地を触ったり、職人さんと話したりと、学ぶことが多いんです。この世界で学び、自分ができることをすることが自分の糧になっているし、人生の価値だなって。

工場や生地屋を守りたい。この10年での一番の大きな変化は中山さんの心境

――ブランドを立ち上げた当時に想像していたとおりの10年後になっていますか?

中山 当時は10年後のことなんて全然想像してなかった。最初のシャツを【ロンハーマン】がエクスクルーシブで取り扱ってくれて、それからはありがたいことに営業せずとも取引先が来てくれるようになり、洋服を作って、ポップアップショップに参加して、と目の前のタスクをこなすのに精一杯で。地方のセレクトショップとも取引するようになって、商談も兼ねて全国各地を訪ねることができ、シャツが自分をいろいろな場所に旅に連れていってくれたな、と。

画像: 【マディソンブルー】10周年を記念し、【レッドカード トーキョー】とコラボしたデニムアイテムをリリース。左「AGGY Jean Jacket」¥102,300、右「AGGY Denim Pants」¥92,400 ※2024年7月3日(⽔)限定発売開始 出典:マディソンブルー

――10年前と現在で洋服に対する考え方などに変化はありましたか?

中山 この10年での一番の大きな変化は、洋服作りが難しくなったこと。工場さんや生地屋さんがコロナ禍で非常に厳しい状況に置かれたうえ、もともとの後継者不足も重なって、信頼しているのに廃業するところもあります。10年前は日本の工場さんに“洋服を作ってもらえている”という感謝の思いが大きかったけれど、今は“工場さんを守りたい”と社会貢献したい気持ちが強くなっています。

工場さんや生地屋さんが減っていることで10年前は1カ月〜1カ月半くらいで作れていたのが、今は半年かけないといけない状況になっていて。今までの供給サイクルだと展示会や納期に間に合わなくなる、といったことにもなりかねませんが、供給サイクルを優先して作りたいものを諦めたくもない。そういうジレンマが生まれていますね。

――最近はより実需に沿った供給スケジュールにしているブランドも出てきていますよね。

中山 そう。だから供給サイクルを変えていくことも、今後の課題だと考えています。温暖化もすごく感じていますね。デビュー当時より、Tシャツの上にウールのコートを羽織るという日本の季節感では当てはまりにくいスタイリングを提案してきて、10年前は斬新と思われていたけれど今は12月でもHELLO Tシャツがよく売れて、やっとブランドのスタイリング提案に時代がついてきたのかな、と(笑)。

画像: Tシャツにコートを羽織る提案をした2015年秋冬シーズン 出典:マディソンブルー

中山 冬なのにTシャツが売れるのは温暖化の影響ですが、洋服はもっと自由でいいってヒントをもらえた気がしました。そもそも4月に初夏の商品、5月に盛夏の商品というアパレル業界の定型的なMD計画が好きじゃなくて。それでもこの時季にはこういうアイテムが必要と言われれば、作っていたんだけど、供給サイクルも含め、もっと私らしい提案をしてもいいんじゃないかなって。洋服って私にとってはもっと自由なものだから。

日本のものづくりを守るためにも、次の10年の【マディソンブルー】は攻めの姿勢で

画像: 【マディソンブルー】のアイコンアイテム「HELLO CREW NECK TEE」¥27,500 出典:マディソンブルー

――10年を振り返って一番印象的なアイテムはどれですか?

中山 HELLO Tシャツですかね。個人的に40代中盤くらいからTシャツを着なくなったんです。なんかだらしなく見える気がして。そんな中でタキシードジャケットとパンツに、ロックTを合わせたスタイリングを提案したいと思ったシーズンがあって。

画像: タキシードジャケットとTシャツのスタイリングを提案した2018年春夏シーズン 出典:マディソンブルー

中山 「私は着ないのにTシャツを作るってどうなの」と迷いながらも作ったのが、自分にとって最大のチャレンジでした。それがロングセラーになって、別注もたくさん依頼してもらえ、アイコニックなアイテムになりました。

画像: 10周年を記念し、グリッタープリントをした「HELLO TEE PARIS」¥29,700 ※ブラックプリントも有り、2024年7月10日(水)発売予定 出典:マディソンブルー

――次の10年での目標や展望を教えてください。

中山 まず日本で洋服を作り続けたい。仕事はあるのに後継者不足の工場さんも生地屋さんも守りたいし、変わってほしくない。そのためには10年後も私が洋服を作れる環境でいなければいけない。だから今何をすべきか、考えています。

この10年は【マディソンブルー】が流行りのように消費されるのを避けて、限られた人だけ知ってくれていればいいと、あえて広告を出さずにやってきました。でもこの10年でものづくりにも自信がついてきて、顧客様との繋がりも強くなった今は、【マディソンブルー】をより多くの人に知ってほしいと考えが変わって。これからの10年はもっと店舗も増やしていこうと思っています。デビュー10年を迎えて、店舗展開する攻めの姿勢にシフトするなんて想像もしていなかったけれど、工場さんや生地屋さんのためにも、日本での生産を続けるためにも、まだまだ走り続けないとなって思っています。

※価格はすべて税込みです

Photograph:川本史織
Senior Writer:津島千佳

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