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厳格な父は虐待だったのか?父親が好きという感情の行き場に惑う

  • 2024.6.14
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かつて父親は我が家のボスとして君臨していて、決して怒らせてはいけない存在だった。
口だけで怒られるのはまだマシな方で、酷い時には物を投げつけられたり、真夜中に裸足で外に締め出されたり、大事にしていたものを壊されたり。
そうなってしまえば誰の手にも負えず、ただひたすら静かに、その怒りが収まるのを待つことしかできなかった。

だから、いつも父親を怒らせないように細心の注意を払って、父親の顔色を窺っていた。
ただ、中高生になり体格的にも父親と互角にやり合えるようになった弟が強い抵抗を見せ始めた頃から、父親が一強として君臨していたのが徐々に崩れ始めた。
そして、私たち子どもがそれぞれ自立した今ではすっかり落ち着いて、たまに不機嫌になることはあれど、昔ほど荒れ狂うことはなくなっている。

◎ ◎

ここまで読んで、「それって虐待じゃない?」と感じた人はどのくらいいるだろうか。
私が、父親の行動が虐待だったかもしれないと気づいたのは大学生になってからだ。

親友と会話している時に、ふと昔の笑い話として「私の父親ってこんな感じで〜」と語ったところ、親友が笑いに乗っかってくるどころか、真剣なトーンで「虐待じゃん」と返してきたことがきっかけだった。
怒った時に物にあたることも、家から締め出されることも、家では父親が1番強い存在であることも、当たり前のことだと思っていた。
全ての家がそうじゃないと知った時の驚きは忘れられない。

しかし、かつての父親の行動が虐待にあたるかもしれないと気づいたあとでも、父親のことを恨んだり嫌いになったりはしていない。
むしろ父親のことは大好きだ。
怒られたのだって、必ずしも父親の機嫌が悪くて理不尽に怒られたというのが全てではない。食事中のマナーが悪かったとか、夜遅くに騒いだとか、時間を守らず遅刻したとか、怒られて当然な場面もあったのだ。

ただ少し、怒り方が過剰だっただけで、怒る内容としては至極真っ当で。そういう時に怒られた経験は、今の私に通じるものがあって、ルールやマナーはきちんと守らなければならないという感性を身につけるのに繋がったと思う。

怒り方はともかく、そういうところできちんと怒ってくれたことには感謝している。
それに、ここまで怒った時の怖い父親についてしか触れていないが、普段の父親はとても優しいのだ。自分たちが怒らせるような行動をするから怖くなってしまうわけで、自業自得といえる部分も少なからずあったと思う。

◎ ◎

しかし、こういう思考こそ虐待の副産物で、一種の洗脳なんじゃないかという懸念もあるのだ。〇〇だから悪いことばかりじゃなかった、なんてそれらしい理由で、無意識のうちに父親の行動を正当化しようとしているのではないか。
普段は優しかったとか、今は落ち着いているからと言って、許容していい行動だったのだろうか。
周りから見たらいびつな関係なのだろうか。

SNSが発達した今、虐待に関するトピックもよく目にするようになったが、「虐待を受けることで、親に洗脳されていた」なんて体験談を見る度に、私の「父親が好き」という感情も正しくない感情なのではないかと不安になってしまう。
今更「あれは虐待だった!」なんて声をあげる気は全くないけれど、この気持ちにどう落としどころをつければいいのか、私自身よくわかっていない。
それならいっそ大嫌いだと思えた方が楽だったのに、と考えてしまう私は親不孝なのかもしれない。

いつか、心の底から自信をもって「父親が大好き」と言える日が来るのだろうか。
お父さん、申し訳ないけど、答えが出るまでもう少し時間をください。

■めんみのプロフィール
ふとした時に文章を読みたくなる、書きたくなる……そんな気まぐれな人間です。 ちょっとした想いを、文章で共有することの楽しさに気づき始めた今日この頃。

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