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「解決策は逃げるか殺されるか」映画『あんのこと』が浮き彫りにする“日本の病理”をノンフィクション作家・中村淳彦が徹底解説

  • 2024.6.14
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©2023『あんのこと』製作委員会

入江悠監督の最新作映画『あんのこと』が公開中だ。毒親に悩む少女が主人公の本作では、虐待や貧困の実態がリアルに描出されている。今回は『東京貧困女子。 彼女たちはなぜ躓いたのか』(2019年、東洋経済新報社)などで知られるノンフィクション作家、中村淳彦氏のレビューをお届けする。【あらすじ キャスト 考察 解説 評価】
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【著者プロフィール:中村淳彦】
ノンフィクションライター。AV女優や風俗、介護などの現場でフィールドワークを行い、貧困化する日本の現実を可視化するために、傾聴・執筆を続けている。『東京貧困女子。』(東洋経済新報社)は2019年本屋大賞ノンフィクション本大賞にノミネートされ、WOWOWにて連続ドラマ化(主演・趣里)された。また「名前のない女たち」シリーズ(宝島社)は2度の劇場映画化をされている。自身の取材テクニックを公開した初の傾聴本『悪魔の傾聴 会話も人間関係も思いのままに操る』(飛鳥新社)は11刷5万部突破。

『あんのこと』6月7日(金)新宿武蔵野館、丸の内TOEI、池袋シネマ・ロサほか全国公開 配給:キノフィルムズ ©2023『あんのこと』製作委員会
©2023あんのこと製作委員会

「あまりにも現実です。手に負えない毒親からはじまる底辺のフルコースを突きつけられて、鑑賞後に魂を抜かれてどっと疲れてしまいました。現在にも膨大に当事者が存在(本当に山ほど)する毒親との解決策は、逃げるか殺されるかの二択です。逃げること、家族と断絶することの大切さを『あんのこと』から感じましょう」

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これはキノフィルムズ宣伝部から依頼され、筆者が書いた『あんのこと』の公式ホームページや新聞広告に掲載された推薦コメントだ。

多くの人が見てくれて評判がいいので、映像表現としての作品評は他の方に任せて、まるでノンフィクションを見ているようだった本作の、この推薦コメントの続きを書いていく。

筆者はこの映画を鑑賞後、本当に脱力して疲れ切った。大きなため息が漏れて、数分間呆然とした。本作に描かれたのは毒親に人生を蝕まれ、これ以上ないだろう底辺に転落し、それでも必死に生きようとする杏という21歳女性の話だった。

タイトル『あんのこと』の意味がわからなかったが、「杏のこと」という意味だった。入江悠監督は毒親からはじまる悲惨な杏の実態を、これでもかというほどリアルに描いていく。

転落の象徴ともいえる未成年売春や覚せい剤だけでなく、赤羽、老朽団地の上階、着古したジャージ、物だらけの玄関、ゴミだらけのリビング、女だけの三世帯、町中華、文盲、母親が水商売、社会の最底辺な母親の男、非正規介護職、子どもを押しつけるシェルターの隣人、欲まみれの支援者などなど、登場する環境や事象がいちいちリアルだ。

実際に底辺の人々は本当に町中華が好きだったりする。そして、物語が進むたびに苦境に陥る主人公の杏だけでなく、観ている者も針で刺されたような痛いダメージが積み重なっていく。

© 2023『あんのこと』製作委員会
© 2023あんのこと製作委員会

筆者がまず感心したのは、入江監督が貧困や底辺を知り尽くしていることだった。劇中の杏の家族だけではなく、深刻な貧困は家族の人間関係の破綻からはじまる。本作で描かれた毒親被害は決して映画だけの特殊な話ではなく、日本を代表する社会病理だ。

しかも、実際に母親と娘という関係が圧倒的に多い。母親が娘を所有物として支配し、娘のSOSは無視、娘との関係やお互いの精神が崩壊するまで邁進する。

知らない人も多いと思うが、家族間の暴力と支配は祖母から母、母から娘に受け継がれる遺伝だ。虐待被害者が加害者に、ということがずっと繰り返されている。劇中で具体的な説明はなかったものの、杏に鬼のような虐待を繰り返す母親は、認知症で介護状態にある祖母から同じような虐待を受けていたのかもしれない。

そして、徹底した暴力が蔓延する荒れた家庭では、掃除や片づけどころではない。杏の家族が暮らす団地の部屋は、ゴミが山積し、劣悪な環境で生活するうちに社会と乖離して、当然の結果として困窮していく。負の連鎖だ。

負の連鎖とは、幸せとは程遠い鬱屈が弱者への暴力やゴミに変化してどんどんとマイナスに向かっていくこと。この家族では杏が弱者であり、母親は、はけ口としての日常的な暴力だけでなく、売春を強制して稼いだお金をすべて奪っていくことまで発展した。

『あんのこと』6月7日(金)新宿武蔵野館、丸の内TOEI、池袋シネマ・ロサほか全国公開 配給:キノフィルムズ ©2023『あんのこと』製作委員会
©2023あんのこと製作委員会

日本が平和な国だと思っている人は多いだろう。しかし、残念ながら間違っている。日本は歴史的に子どもに対する虐待はひどい。今では児童相談所の相談対応件数は年間約22万件(※)と異常な数値となって可視化されたが、実際は数百年前からずっとめちゃめちゃな状態だった。

躾や地方にまだ残る家父長制や長男信仰という風習、そして日本人に共通する男尊女卑を軸として、家庭という外から見えない場所で杏が遭遇したような徹底した身体的虐待、育児放棄するネグレクト、無視や関心を持たない心理的虐待、父親が娘に牙を剥く性的虐待、中学受験に熱をあげる教育虐待などなどが繰り広げられている。今日も膨大な数の家庭で行われ、日本は現在進行形でどこもかしこも虐待だらけだ。

本作が描いたのは、東京の下町を舞台にした徹底した身体的虐待と売春強要だったが、山の手に行けば狂うまで子どもに勉強をさせる教育虐待が蔓延し、地方に行けば家父長制や男尊女卑に端を発する性的虐待が行われている。

筆者は取材を繰り返して日本のひどさを知ったが、入江悠監督がその見えにくい現実を知り尽くしていることに感心したのだ。

※令和4年度 児童相談所における児童虐待相談対応件数(速報値)より

『あんのこと』
© 2023あんのこと製作委員会

そして、物語が進んで児童虐待だけでない社会病理がきっちりと描かれる。筆者は推薦コメントで「毒親との解決策は、逃げるか殺されるかの二択」と書いた。これは紛れもない事実だ。親が毒親だった場合、親子関係の修復、想い想われる一般的な親子関係に戻ることはありえないので、子どもは生きるために逃げるしかない。

本作で杏も生きるために逃げた。制度を頼りながら信頼できる人間関係を築き、文字を覚え、働いて自立しようとするが、そう順調にはコトは運ばなかった。

入江監督が底辺の現実として投入したのは、弱者に手を差し伸べる左翼的な支援者が欲望まみれという事実だ。誰かを助けたい、役に立ちたい、社会をよくしたいというのは良心や善意でなく、個人の欲望であることがほとんどだ。実際にみなさんが尊敬している支援者や社会活動家も、建前を取り払えば、どんな人物かわかったものではない。

そして、杏が頼った支援者による支援活動も順調には進むことはなく、裏切られる。家族以外の人間関係を持つことで傷が少しずつ癒えて、回復に向かっていたが、急ブレーキがかかって最悪な絶望にまっしぐらとなる。

『あんのこと』6月7日(金)新宿武蔵野館、丸の内TOEI、池袋シネマ・ロサほか全国公開 配給:キノフィルムズ ©2023『あんのこと』製作委員会
©2023あんのこと製作委員会

これだけでは終わらず、トドメを刺したのが正義感あふれる人物でマスコミ関係者だったことにも唸った。正義、正論が人を殺すという絶望が最後に描かれ、主人公だけでなく、観ている者ももうウンザリというところまで追いつめられる。支援者も、正義感あふれる人物も、制度のセーフティネットも、毒親によって苦境に陥るたった一人の女性を救うことができなかった。

本作が教えてくれるのは家族から逃げる大切さ、そして誰も助けてくれる人はいないということ。膨大に存在する毒親に悩んでいる、追いつめられている人こそ観るべき映画だろう。「あなたの命を救う作品」だと言えるかもしれない。

(文・中村淳彦)

【作品情報】
出演:河合優実、佐藤二朗、稲垣吾郎、河井青葉、広岡由里子、早見あかり
監督・脚本:入江悠
製作:木下グループ 鈍牛倶楽部
制作プロダクション:コギトワークス
配給:キノフィルムズ
© 2023『あんのこと』製作委員会
上映時間:114 分

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