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手は口ほどに #2:16歳の能楽師狂言方、次世代への幕を上げる

  • 2024.6.13
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能楽師狂言方・大藏康誠

舞台が始まる前の、狂言の楽屋。シテを勤める父の後ろにしゃがみこみ、両手で腰帯をキュッと締める。かつて、能楽には装束を着せる専門の「物着方(ものぎせかた)」がいたが、現在では演者どうしで着せ合う。まだ若い能楽師狂言方である大藏康誠さんにとって、着付(きつけ)は大切な修業のひとつ。一人の演者に二人がかりで着付をするが、後からかかるには3年、前からかかるには5年もの修業が必要だという。この日は演者として舞台に立たないとあって、装束をひと揃いにまとめたり、着崩れを防ぐために要所を糸で綴じ付けたりと、下働きに徹する。「古くからある装束を傷めないように、爪をちゃんと切ってこいと教えられました」。

「水掛智」で共演したときの康誠さん
取材したこの日は康誠さんの出演はなかったが、師匠でもある父と舞台に立つこともしばしば。2023年10月26日にセルリアンタワー能楽堂「水掛聟(みずかけむこ)」で共演したときの大藏康誠さん(左)と基誠さん(右)。写真/国東 薫
着物を一式揃えている様子
舞台の演目を考えながら、一人の演者が身に着ける装束や道具をまとめていく。「何代にもわたって引き継がれてきた大切な装束や道具もあるので、ちゃんと丁寧に扱おうと心掛けています」。
物着せといわれる作業にかかる大藏康誠さん
大名を演じる父・基誠さんに楽屋で装束を着付ける。前から後ろから二人がかりで行うが、まだ熟練に届かない修業中の康誠さんは、お客様からよく見える前身頃の物着せは、まだやらせてもらえていない。
紋付の後ろ襟と綴じ付けていく様子
肩衣(かたぎぬ)が着崩れないように、演者が着用した装束の後ろ襟と綴じ付けていく。間違っても演者を傷つけたり、装束を痛めたり、そして綴じ付けた糸がお客様に見えたりしないように、細心の注意を払って針を刺していく。

能が面をつけて謡い舞う幽玄の世界であるのに対して、狂言は庶民の日常を描く台詞劇。素顔で面白おかしく演じられる喜劇がほとんどで、初めて見る者にもわかりやすい。開演の時間が近づく。「やす、そろそろ準備を始めて」と声をかけた大藏基誠さんは、狂言方の二大流派のひとつ「大藏流」宗家25世大藏彌右衛門の次男。誠翔会を主宰し、室町時代から700年以上続く伝統を重んじながら、海外のオペラのごとく幕前にシャンパンが飲めるKYOGEN LOUNGEで裾野を広げている。その息子、康誠さんの初舞台は4歳7カ月のときだ。美しい青年に成長したいま、「死ぬまで狂言をやめることはありません。ただ、覚悟がなかなか決まらない」と揺れ動く気持ちを正直に吐露する。「父がつくった誠翔会を後世に残していきたい。繋げていくために、どうやったらこれからの時代に合った広め方ができるのか」と、煩悶する日々だ。

2019年の映画『よあけの焚き火』では、大藏基誠さんが10歳の康誠さんに狂言の稽古をつける様子が描かれている。「映画で共演している女の子に、狂言は楽しいよと話すのが映っていますが、あれは台詞ではなく、アドリブでとっさに出た言葉でした」。取材した日、舞台に立つ予定はなかったが、申し合わせといわれる台詞のやり取りが、楽屋で並ぶ兄弟子との間で突然に始まる。「楽しいです。みんな好きでやっているので、狂言をイヤイヤやっている人は一人もいない」。映画のなかで赤いニット帽を目深にかぶっていた幼き日の真っ直ぐな気持ちは、いまも変わっていない。

糸針と呼ばれる裁縫セット
糸針(いとはり)と呼ばれる裁縫セットは、常に持参している大切な道具。いまは兄弟子のものを借りるが、次の誕生日が来たら自分のものを持ちたいと考えている。
縫い物作業を父が指導中
縫って、合わせて、装束の形にする。手が器用じゃないと自覚があるので、集中力を要する作業。「まずは見て学ぶ。わからないことは、しっかりと教えてもらう」。
狂言の装束
装束はもちろん、面や小道具などが届かないと舞台は成立しないので、地方の公演に演者自らがクルマで運ぶことも多い。夏には一門総出で、虫干しの作業を行う。
弁当を食べる大藏康誠さん
楽屋で兄弟子とお弁当をいただいている間にも、狂言の台詞のやり取りが始まったりする。「人生が狂言みたいになって、楽しい」。
装束のチェックをする大藏康誠さん
烏帽子(えぼし)は、ひと目で大名と分かる狂言の象徴的な小道具だ。舞台に上がる直前の基誠さんの烏帽子の紐を、康誠さんが正している。
竿を持つ大藏康誠さんの手
左右の竿を支え持つ二人で、揚幕をさっと上げていく。さて、大藏康誠さんが時代の幕を上げるときはいつになるだろうか。
演者が舞台に出る様子
揚幕が上がると、演者がソロリソロリと橋掛かりを進み、本舞台に出ていく。控えの者も紋付きを着るのは、いつ何時、誰かが倒れても代役ができる準備だという。

この日の演目は「文相撲」。大名を大藏基誠さんが、アドの太郎冠者を大藏教義さんが、相撲取りを吉田信海さんが演じた。舞台が始まると、康誠さんは袖の覗き窓からじっと見つめている。「舞うにしても演じるにしても、指を揃えるのは基本。そのうえで、役によって肩を入れたり、勢いをつけたりと、教えられています」。月に2、3回、地方公演もあると4回も5回も舞台に立つこともある。本舞台に続く橋掛かりに演者を送り出すとき、揚幕を上げる竿を持つ手に力がこもる。16歳の能楽師狂言方。伝統を引き継ぐものとして、覚悟が決まりつつあるように見えた。

profile

大藏康誠さん

大藏康誠(能楽師狂言方)

おおくら・やすなり/2008年、東京都に生まれる。能楽師狂言方、大藏基誠の長男にして、「大藏流」の25世宗家大藏彌右衛門の孫。4歳7カ月のときに「以呂波」で初舞台を踏む。2019年の映画『よあけの焚き火』で映画デビュー。狂言だけにとどまらず、役者、ナレーション、モデルと幅広く活動している。

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