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北方謙三が『チンギス紀』の前後に書き綴った掌編集…ひとりの画家の生き様が胸に響く

  • 2024.6.12
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ダ・ヴィンチWeb
『黄昏のために』(北方謙三/文藝春秋)

『三国志』や『大水滸』シリーズ。巨匠・北方謙三といえば、歴史小説、特に、長編のイメージが強い。ハードボイルドなタッチで描かれた男たちの戦いには、幾度となく、沸き立つような興奮を感じさせられてきた。だからこそ北方さんの最新作が、掌編集、しかも、ひとりの画家を描き出す物語というのには、少し意外に感じる人も多いかもしれない。その作品の名は『黄昏のために』(北方謙三/文藝春秋)。昨年、完結した『チンギス紀』を執筆する前後に書き継いできた、「原稿用紙15枚ぴったり」の掌編18篇が収録されている。

主人公は、50代も後半に差し掛かっている中年の画家。彼は自分がほんとうに描きたいものをひたすら探し求めている。商業的には成功しているし、間違いなく、技術はある。たとえば、人形を描けば、まるでその人形が生きているかのような出来栄えになるが、それは画家にとっては本意ではないらしい。画家からすれば、「命のないものを、なぜ命がないように描けないのか」と考えずにはいられないのだ。死そのものを絵にしたいと、動物の頭蓋骨に仮託するが、上手くはいかず、裸婦を描こうとしても、薔薇を描こうとしても、何かが見えたような気がするのに、何かが足りない。だから、対象を見つめ、手を動かす。その作業をし続けている。

誰もがいいと思うから、絵は売れるのだ。しかし、ほんとうは誰にもわからない。そんな絵が、描けないものか。(「穴の底」)ダ・ヴィンチWeb

この画家は、孤独に絵を描き続けるが、それでも決して毎日が充実していないわけではない。腹が減れば、エボ鯛の干物やら、ステーキ肉やらを巧みに焼いて食し、外に出れば、居酒屋で日本酒とともに「赤色。白身で」などとお造りを頼んで、バーではウイスキーを嗜む。女にも困っていない様子だし、何よりモテる。ふた月に一度アトリエに訪れては、絵を買っていく画商・吉野は、たびたび彼の絵を褒め、「先生は、変りつつあるね」「変貌のはっきりした狼煙が見えるんだよ」などという。大人だからこその旨みある時間。そんな時間に憧れさえ感じそうになる。だが、それでも、男の苦闘は続く。その、はたから見れば満ち足りていそうであるのにもかかわらず、アンニュイに続いていく毎日は、どうしてだろう、どうにもクセになる。芸術家というのは、こういう生き物なのだろうか。明るいはずの毎日なのに、男のそばには、死の気配がベットリとまとわりついて感じられる。「死を描く」と評されている画家であるせいだろうか。底が赤い靴を履いている女を見れば、「足から血を流している女」だと思い、色の採集に出かけた秋の山では、強烈な毒のある茸の悪意のある赤色に惹きつけられる。そんな男の心に巣食う、かたちのない大きな翳が気に掛かってしまう。

この作品は、掌編集であるはずだ。それなのに、ひとりの男の苦悶と愉楽は、壮大。ひとつひとつの掌編が連なっていくうちに、それは私たちの胸の内に濃密に広がっていく。この画家がこれからどうなっていくのか、気になって仕方がない。そう思わされるのは、巨匠・北方謙三の圧倒的な筆力のせいだろう。一つひとつ選び抜かれた言葉、必要最低限の文章で綴られた記録には、魂が宿っている。

武将たちの合戦を描き出してきた歴史小説が“動”だとすれば、画家の日常が描かれるこの物語は、“静”。だが、そこに、男の生き様が描かれているのは同じ。それも、それにはこれでもかというほど、心をかき乱される。何かが始まりそうで、なかなか始まらない鬱屈。何かを見出した時に感じる確かな興奮と、快感。究極の絵を追い求める男の生き様、葛藤を、ぜひともあなたも見届けてほしい。

文=アサトーミナミ

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