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NHK大河ドラマ『光る君へ』と朝ドラ『虎に翼』は、いまなぜインディペンデントウーマンを描いているのか?

  • 2024.6.12

幅広い世代が観ることでそれなりの社会的影響力を持つドラマといえば、NHKの大河ドラマと、朝ドラこと「連続テレビ小説」だろう。その2大ドラマが、時を同じくして圧倒的なまでのインディペンデントウーマンを描いていることは興味深い。そして今、これまた時を同じくして、2作品の主人公たちは人生の新たなステージへと足を踏み入れていっている。

振り返ると彼女たちのこれまでの人生ステージは、“自分の人生を生きる”か“女としての人生を生きる”かの選択のステージにあったとも言える。愛する人と共にいることで自立を失うか、それが嫌なら別れか……という。どちらも本当に好きな相手だけに、まさに究極の選択だ。

しかしこの選択の苦悩は、必ずしも平安や昭和という“昔”に限ったことではない。女性が“すべてを手に入れるための術”を多く得た今も、数少なくない女性たちがやはり同じような選択を突きつけられ続けている気がする。そこで2人の主人公に完全に自分たちを重ねながら、あらためてこの2大インディペンデントウーマンドラマを振り返ってみたいと思う。

自分の人生をやりきりたい

朝ドラ『虎に翼』には、主人公の夫による「僕の望みは、寅ちゃんが後悔せず自分の人生をやりきってくれること」という名ゼリフがあったが、好評を博している2大ドラマ『光る君へ』と『虎に翼』の主人公の最大の共通点は、共に「自分の人生をやりきりたい」という張り裂けそうなほどの渇望を抱いていることだろう。

『虎に翼』の寅子(伊藤沙莉)は、結婚して家庭に入ることが女の幸せ、という時代に、その価値観に疑問を抱いて育った女性。そんなとき「法律」というものに出会い、大学の女子部に進学して法律を学び始める。女性ゆえぶつかるさまざまな壁を跳ね返し、見事日本初の女性弁護士となった寅子だったが、結婚して子供を授かったとき、男性社会と戦い続けることに疲れ果て弁護士を辞める決断をするのだ。

そこから戦争を経て、大切な人を多く失い、寅子はあらためて“自分の人生をやりきる”想いを新たにする。6月からスタートした第2ステージでは、この“やり切る”初段階が描かれると思われるが、この選択にたどり着くまでに、寅子は2つの大きな選択を迫られている。1つは、大学の同級生で後に裁判官となる花岡(岩田剛典)との恋だ。家柄もよく結婚相手として申し分ない花岡だったが、裁判官は転勤の多い仕事。単身赴任なんて価値観のないこの時代、花岡と結婚することは、寅子にとって仕事を諦め彼についていく、ということを意味する。だから花岡がもろに出してきていた「結婚したい」サインも寅子はスルーしまくる。結果、花岡は別の女性との結婚を選んで大ショックを受ける、ということになるのだが、これは寅子が無意識のうちにおこなった選択だったと思う。

さらに寅子は、この時代は結婚していない女性は社会でまともに扱ってもらえない、と感じたことから、「誰でもいい」と、かつて書生として自分の家に居候していた佐田優三(仲野太賀)と結婚する。しかし優三の優しさに触れた寅子は、彼に恋をし、やがて子供を身ごもる。ここで初めて男性に守られることの安心感、愛する人たちと穏やかに暮らすことの幸せを知った寅子は、初めて女の幸せのほうに“流され”てしまう。が、当然ながらずーっとモヤモヤ……。そして夫を失ったことで、あらためて自分が本当にやりたいことは何かを考え、そのための新たな一歩を踏み出していく、というわけだ。

究極の玉の輿に乗らなかったワケ

一方、『光る君へ』のまひろ(吉高由里子)は、漢文や漢詩に通じ、文才にも恵まれていためちゃくちゃ賢い女性。しかし当時の貴族社会は男性中心の世界。どんなにまひろが優秀でもその能力を生かすことはできず、唯一の女の幸せは、富や地位のある男性と結婚すること(正妻、妾に関係なく)。そんな時代に、身分違いの相手である藤原道長(柄本佑)と恋に落ちたまひろ。道長は、圧倒的に身分の低いまひろを妾に迎えるという破格の申し出をするのだが、まひろは「正妻じゃなきゃ嫌だ」とこれを拒否。二人はそれぞれの成すべきことを成そうと、別の道を歩いていくことを決めるのだ。

おそらくまひろが正妻にこだわったのも寅子と同じ理由で、女としての幸せより、一人の人間として自分の人生をやり切ることのほうを選択したかったからだろう。当時のまひろは、寅子と違って自分が何をしたいのかはまだ分かっていない。しかし、何かやりたい。読み書きが大好きで、それを良い形で世に還元できないかと漠然とながら切望していた。寅子の時代以上に女性が活躍できない平安中期において、まひろはその実現法の一つが“正妻になること”にある、と思っていたわけではないかもしれない。ただ、少なくとも妾になれば相手を待つだけの身となり、間違いなく自分の人生をやりきれなくなる、ということだけは分かっていたのではないか。だからまひろは貧しさに苦しむことも、行き遅れとして肩身の狭い思いをすることも分かっていながら、それでも、震えるほど愛する人との別れを断腸の思いで選んだのだろう。

そしてドラマのスタートから5ヵ月が経った今、まひろは父親の転勤に同行して越前の地に赴くこととなる。当時の越前は、外国からの商人が多く訪れる国際色豊かな土地。まひろはこの地で、自分が人生をやりきるための何かを見つけられるはずだと、期待に胸を膨らませて新たな一歩を踏み出すのだ。

千年経って変わったこととは

このようにいくつかの選択を経て、ようやく“自分の人生のやりきり方”を見つけたと思われる2人。ここに至るまでには、苦渋の思いで選ばなかった道があったわけだが、見ていてハッとしてしまったのは、平安、昭和、そして令和という、気が遠くなるような長い時の流れを経ても、女性たちは今もって変わらぬ選択を突きつけられ続けているかもしれない、と気づかされたことだ。

たしかに現代は、結婚して家庭に入ることが女の幸せ、という価値観を押し付けられることはなくなった。細かいところで言えば、単身赴任というシステムも生まれ、寅子の時代のように必ずしも相手男性の赴任先について行かなくてもよくなっているし、未婚の女性が一人前ではないと見られる度合いも大きく下がっている。また「好きを仕事にする」なんてフレーズも生まれたように、まひろのように好きなことがハッキリとある人は、それを追いかけることと恋愛や結婚を両立することは決して夢物語ではなくなった。

だからといって、寅子やまひろのような選択の苦悩は今や過去の遺物となったかといえば、決してそうとは言えないだろう。現代も結婚をすれば、家事や育児など家のことを負担する割合は圧倒的に女性のほうが高い。自分のやりたいことに割ける時間は劇的に減ってしまうのが実情だ。また家族関係が不安定になったとき、仕事ややりたいことを諦め家のことに専念する、という選択を迫られるのも相変わらず女性のほうだ。ただ変わったことがあるとすれば、寅子やまひろたちの時代よりも女性が自立の選択をしやすくなった、ということだけだろう。

もしもまひろや寅子と同じ選択を迫られたら……?

昨今は男女ともに生涯未婚率がどんどん上がっているし、「恋愛はめんどくさい」と言う若者が増えているとも言われている。この理由をこと女性に限って考えたとき、その一つが選択の難しさにあるのではないかと思う。昔で言うところの“女の幸せ”と、仕事など自分のやりたいこと、あるいは自由や自立との両立を目指したとき、やがては、大なり小なりどちらを選ぶか?という選択を突きつけられることになる。女性たちはそのことに勘づいているのではないだろうか。あるいは、その選択を突きつけられたとき、自分は“自分の人生をやりきる”ことを諦める選択をするだろう、と無意識に恐れているのかもしれない。だから前もって恋愛することや結婚願望に重きを置かないようにしている、という本音もあるような気がしてしまうのだ。

でももし、自分にやりきりたい人生がありながらも、「ずっと一緒にいたい」「この人と人生を歩いていきたい」と思えるような相手と出会ってしまったら? もちろん、すんなりとどちらの幸せも両立させられるかもしれないが、うまくいかなくなったとき、どちらかを諦める選択を迫られるのは相変わらず女性たちのほうだろう。そう考えたとき、果たして寅子やまひろの選択の苦しみを、「あまりにも時代が違うから」と言うことができるだろうか。彼女たちの選択の苦悩は、千年の時を経てもなお、大なり小なり女性たちが直面し続けているものだと思うのだ。

だからこそドラマを楽しみながらも、2人の主人公に自分たちを重ね、「私ならどうするか?」「どちらを選ぶか?」と考えてみる。令和になっても女性たちは、まだまだそんな“練習”が必要なのかもしれない。

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PROFILE

書き手

山本奈緒子 Naoko Yamamoto

放送局勤務を経て、フリーライターに。「VOCE」をはじめ、「ViVi」や「with」といった女性誌、週刊誌やWEBマガジンで、タレントインタビュー記事を手がける。また女性の生き方やさまざまな流行事象を分析した署名記事は、多くの共感を集める。

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