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「河合優実はモノが違った」映画『あんのこと』入江悠監督、単独インタビュー。制作のきっかけとなった「2つの出来事」とは?

  • 2024.6.12
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入江悠監督 写真:武馬玲子
写真:武馬玲子
写真武馬玲子

――作品を拝見しましたが、杏の壮絶な人生に胸をえぐられるような壮絶な印象を受けました。本作は、実話がもとになっているとのことですが、具体的にどういったお話がもとになっているのでしょうか。

「4年くらい前に僕が読んだ新聞の記事がもとになっています。薬物から立ち直った女の子が学校に通い始めるというものだったんですが、後日、その子が自ら命を絶ったという記事が掲載されていて、とても衝撃を受けました。

また、コロナ禍で親しい友人を亡くしたという僕自身の経験も大きいです。その方が亡くなったのは、コロナウイルスが直接の原因ではないのですが、ある日突然連絡が取れなくなって後日訃報を受けたんです。あの時に何かしてあげられたことがあったんじゃないかという忸怩たる思いが脚本執筆の動機になりました」

――確かにコロナ禍中は、多くの人が孤立した状況に置かれましたね。

「そうですね。僕は、SF小説をよく読むんですが、社会全体を揺るがすカタストロフって大体10年おきに来ると感じていて、今後もこういったことは起こると思っています。なので、撮影では、いつかまたカタストロフが起きた時に、よりよい振る舞いができる人間になりたいと思いながら撮影に臨んでいました」

『あんのこと』
© 2023あんのこと製作委員会

――主演の河合優実さんの演技がとにかく素晴らしくて、「目の前で杏が生きている」というリアリティをひしひしと感じました。河合さんは、ドラマ「不適切にもほどがある!」で大きな注目を集めましたが、彼女を起用した理由はどのようなものでしたか?

「以前、河合さんは、僕のワークショップに参加してくれたことがありまして。当時は今ほど沢山の作品に出ているワケではありませんでしたが、モノが違うというか、只者ではない雰囲気がありました。で、ちょうど業界での評判が高まっている時に企画が持ち上がって、プロデューサー経由でお願いしました」

――私は、河合さんの演技の魅力は目の印象や声色だと思っているんですが、入江監督が思う河合さんの魅力はどんなところにありますか。

「一言では言い表せないですが、強いて言えば「脚本を読み込む深さ、明晰さ」ですね。基本的に役者さんは、まずは脚本を丁寧に読み込んで、それを土台に目や声といった身振りを組み立てていくと思うんですが、実際に演技をしてみると解釈が微妙に異なっていることもあります。ただ、彼女の場合はそれがまったくないんです。

特に今回は、若い女性が主人公なので、正直僕には描ききれなかった部分もあったんですが、そういった部分もしっかり補完して演じてくれて、杏というキャラクターにリアリティを与えてくれた。今回、彼女には相当助けられました」

© 2023『あんのこと』製作委員会
© 2023あんのこと製作委員会

――作中では、杏の「毒親」役を河井青葉さんが演じられています。河井さんといえば、これまではどちらかというと清楚な役や堅い役が多い印象がありましたが、今回は真逆の振り切った演技を披露されています。この役に河井さんを起用された理由を教えてください。

「登場人物を記号的に描きたくなかったんです。確かに、“毒親”といわれるような人には、一目見て抑圧的なタイプもいるけど、一見すると美しくて上品なお母さんが、実は…という方がリアルな怖さがある。河井さんご自身はとても優しい方なので演じるのに苦労されていましたが、むしろ内面的な弱さや繊細さが露呈することで深みのある人間像になったと思っています」

――内面的な弱さといえば、母親が杏のことを「ママ」と呼んでいるのも印象的でした。

「これは、河合さんと話す中で決まった設定ですね。外から見ると、母親からDVを振るわれていれば、縁を切るほうが良いのではと考えがちです。ただ、杏はそれをしない。なぜかというと、杏自身、心の底で母親を心配しているからなんですね。

杏が母親に依存しているのと同じように、母親もまた杏に依存している。こう言った共依存のリアリティを、「ママ」という言葉で描写できればと思っていました」

© 2023『あんのこと』製作委員会
© 2023あんのこと製作委員会

――作中には、杏の庇護者として、薬物更生の自助会を運営する型破りな刑事、多々羅(佐藤二朗)が登場します。作中では、取り調べ中にヨガを披露するなどかなり型破りな人物として描かれていますが、この役も実在の方がモデルになっているのでしょうか。

「はい。モデルとなった方は、多々羅同様、ある種のカリスマ性の持ち主で、自助会を運営していました。ちなみにヨガはオリジナルの設定で、実際は落語を披露していたようです。ただ、この方とは直接会えなくて、彼を知る記者の方から逸話を聞いてキャラクター造形の参考にしました」

――多々羅を演じている佐藤二朗さんは、入江監督が福田雄一さんと共同監督を務められたドラマ「天魔さんがゆく」(2013年、TBS系列)にも出演されています。前回はかなりコミカルな役でしたが、今回はかなりシリアスな役ですね。

「企画当初からプロデューサーに推薦をいただいていて、佐藤二朗さんのパンチ力のあるお芝居は、他人に遠慮しない「昭和のおじさん」的な刑事像にマッチするんじゃないかと思っていました。

佐藤さんはよくアドリブするイメージもあって多少心配もしていたのですが、現場では脚本を繊細に読み込んで抑制の効いた演技をしてくれました。1人の俳優でこんなに振り幅があるのかと驚きましたね」

――また、作中ではもう1人、自助会に潜入して多々羅の悪事を暴く週刊誌記者として、稲垣吾郎さん演じる桐野が登場します。この役も実際にモデルがいたのでしょうか。

「そうですね。稲垣さんは最後にキャスティングが決まったんですが、モデルになった記者さんは、稲垣さんにそっくりな中立的で冷静沈着な方でした。僕の中では記者って池袋とか赤羽が似合うおじさんというイメージだったので(笑)、かなり意外でしたね」

――傍観者でありながら杏と積極的に関わっていくという桐野の役は、演じる上でかなり難しかったのではないでしょうか。

「そうですね。ただ、稲垣さんご自身の映画全体をとらえる勘の良さに助けられて、真に迫ったキャラクターになったのかなと思います。ちなみに、桐野のモデルとなった方には、撮影前に脚本も読んでもらって、事実との照らし合わせもできたので、かなり助けていただきました」

写真:武馬玲子
写真武馬玲子

――今回の作品は、カメラ自体も傍観者に徹していて、タイトル通り杏の身の回りに起きた出来事を淡々と切り取っている印象がありました。こういった演出は、従来の入江監督の作品の演出とは一線を画しているように思えるのですが、意図的なものでしょうか。

「そうですね。僕は世代的に、タランティーノとかスピルバーグに代表されるような、映画ならではの技巧を凝らした作品が好きで、今回のような手持ちカメラを主軸とした撮影はどちらかというと自作では避けていたんですよね。ただ、今回の作品は杏の感情が軸になっているので、観客の視線を誘導するような演出や技巧を凝らした演出を排した素朴な撮り方を採用しました。

今回、シンガポール在住のカメラマン・浦田秀穂さんに撮影をお願いしたのですが、彼は手持ちカメラがとても上手いので、基本的にカメラワークに関しては浦田さんにお任せして、自分は役者の演出や場を作ることに専念しました」

――本作はドキュメンタリータッチである一方、重要なシーンでは杏の主観ショットで、彼女の見ている景色が登場する印象があります。このあたりは監督ご自身の指示でしょうか。

「そこはかなり浦田さんと話し合いをしましたね。作中の設定は2020年なんですが、杏が見ている光や風を通して、コロナ禍の時の圧迫感やコロナ明けの急な解放感を描くように心がけました」

写真:武馬玲子
写真武馬玲子

――入江監督はこれまで、『SRサイタマノラッパー』(2009)や『ビジランテ』(2017)など、郊外の人々が抱えている疎外や孤独を描き続けてきました。こういったモチーフは、本作にも引き継がれているように思います。入江監督ご自身も、神奈川県横浜市に生まれ、埼玉県深谷市で育っていますが、ご自身の生い立ちと作家性の関わりについてはどのようにお考えでしょうか。

「あまり意識したことはないですが、確かに新宿や渋谷といった大都市を描けと言われると少し戸惑います。例えば今回の作品の場合、元となった事件は池袋で起きているんですが、映画では、埼玉により近い赤羽を舞台にしました」

――赤羽と池袋は距離にして10㎞ないくらいなんですが、少しずれるだけで雰囲気が変わるのは面白いですよね。

「そうですね。都市圏の場合、数十キロ離れるだけで鉄道社会から車社会に代わったりする。そういった微妙な違いは自分のフィルモグラフィにもあらわれているかもしれません」

――今回の作品では、「家族」も大きなテーマになっていますよね。実際、杏は機能不全家族で育っていますし、作中に登場するサルベージにも擬似家族的な側面があります。是枝弘和監督の『万引き家族』(2018)やポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』(2019)など、「家族」というテーマは近年映画界で大きくクローズアップされていますが、入江監督は、「家族」についてどうお考えですか。

「僕自身、平凡な家庭で生まれ育った人間なので、正直家族というものにそこまで強い問題意識は持っていなかったんですが、よくよく考えると、僕らの世代って昭和の三世帯家族をぎりぎり体験している。一方で、同性婚などの家族像の変化というのはリアリティがあるものに感じていて、そういったことに対して無頓着で良いはずがないという思いもあります。

ただ、僕はもともと集団とかコミュニティが苦手なので、どちらかというと家族的な価値観からもできるだけ自由でいたいという思いが強いかもしれません」

――確かに、逃れられない家族の怖さは、本作にはっきりと出ていますね。

「そうですね。ただ、一人だとやっぱり生きていけないし、寂しいので、結局家族のもとに戻ってしまう。僕にとっての家族は、そういうジレンマを抱えた共同体なのかもしれません」

――最後に、この作品を、どういった方々に観てもらいたいですか。

「特定の層のお客さんに向けて、こう観ていただきたいという意識はないんですね。というのも、初めに話したように、この作品は、コロナ禍で亡くなった友人に何もできなかったという個人的な動機がきっかけになっています。なので、逆にいえば、観客の皆さんもそれぞれの見方で好きなことを思っていただいていいのかな、と。

しいて言えば、作中に登場する杏というのは全然特別な存在ではないと思っていて、中には家庭に何かしらの問題があったり、子育てで悩んでいたりという方はたくさんいらっしゃると思うんです。なので、この作品が、そういった方々に気を配るきっかけになればと思っています」

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