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また会う日まで、あばよ!憂鬱と未練でいっぱいの30代を前にして

  • 2024.6.11
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私は友達に誕生日のサプライズをするのが好きだ。
学生の頃、大学の近くにかわいいケーキで誕生日パーティができるカフェがあり何度もサプライズをしたものだ。
だが、私は人に祝われることがとても苦手だ。なんだか申し訳なくなってしまうのだ。

「私なんかの為にごめんなさい!!!」と土下座したくなってしまう。
「謙虚さは美徳」だなんて言葉があるが、私にはその言葉が呪いのように縛りついている。だから誕生日を祝われることに身構えてしまう。

祝辞を素直に受け取らないということは、その言葉をかけてくれた人にとって失礼だとはわかっている。
全力で否定したり、謝ったり、あろうことか土下座したくなるなんて、NGで、相手を嫌な気持ちにさせる。実際に私は誕生日を祝ってくれた人に「申し訳ない申し訳ない」を繰り返し相手をドン引きさせたことが多々ある。
友達を困らせてしまったことは私の心の十字架だが、でもそれでもやはり気持ちは変わらない。

◎ ◎

ここ数年は「祝われることが苦手」というのにプラスして「年齢」というものがひらひらとついて回るようになった。この5月20日で30歳になる、私。
30歳。子供の頃はもう無敵なオトナのように思えた年齢だが、私はまだ無敵でもないし、まだ歯医者が怖いくらいオトナでもない。

子供の頃大人の誕生日を祝うと「もうめでたくなんてない」といわれてびっくりしたけれど、巡り巡ってその気持ちがわかるようになってきた。
なんというか「若さ至上主義」のようなものがないだろうか。特に女性。近年ルッキズムやら年齢は関係ないなんて言葉も耳にするけれど、それはそこまで浸透してなくて。
「女子高生」や「10代」はダイアモンドのような価値があるのに対して、年を取ると社会が、世間が、まるで残酷な潮流のようにダイアモンドをさらい、岩にぶつかり、年々価値が削がれていくような悪しき風潮がはびこっている。
中高年の男性と仕事で関わる際には特にそれを感じる。

自分の価値は自分で決めるものであって、他人が決めるものではないけれど、でも確かに「年齢」によるもやもやも相まって毎年4月下旬から5月の誕生日まではずっと憂鬱だし、美容室で「お誕生日クーポンでヘアオイルサービスします」なんて不意に言われると小刀で心を一突きにされたような気分になる。めでたいはずなのになあ。

◎ ◎

少しでももやもやを回避する為にここ数年はもう江戸時代の人のように年が明けたら誕生日を迎えずとも1つ上の年齢を名乗るようにしていた。「27なら28」「28なら29」というように、でも今年はまだ「30」を名乗れていない。なんて重い数字だろう。

今年はより一層、誕生日がめでたい日ではなく憂鬱な日だ。
「祝われることが苦手な自己肯定感の低さ」「年齢のもやもや」に加えて、「かがみよかがみ」のことがあるからだ。
昨年の誕生日にも「投稿できるのはあと1年か」としみじみ思ったし、投稿できる場が年齢というどうすることもできないものによってなくなってしまうことにも寂しさを覚えた。

2021年にこのサイトの存在を知ってからもう約50作ものエッセイを採用して頂いた。
私は普通の人とは違くて、はみ出ていたり、いつもマイノリティであることに苦しんできたけれど、書くことによってマイノリティであることは強みであることを教えてくれもらった。
本当に大切な場所だ。
誕生日がきたら、そこにサヨナラを言わなくてはいけない。
昨年誕生日を迎えてから「かがみよかがみ」の次になる場を求めて、noteやら、新聞の投書やら、模索したけれど、テーマを与えられ、そして顔は見えないが「かがみすと」という仲間がいて、編集さんの言葉が寄り添ってくれるここがやはり私は好きらしい。

◎ ◎

だから卒業したら、もう一旦筆を置くかもしれない。もし新しいテーマの通知が来たら書く権利がなくても書けないことが悲しいからそっとミュートしてしまうかもしれない。

めでたい気持ちよりも、メンヘラのようにしがみついていたい気持ちが強いけれど、願っても願っても時間は止められないのだ。漫画の悪の親玉は「不老不死」を願うけれど、それはいつだって叶わない。
抗うことはできないのだと思う。映画の台詞で「若くてキレイなうちに死にたい」なんて聞いたことがあるけれど、若くてキレイなうちにでも、死んだら終わりだし。それならば受け入れていった方が面白いのかもしれない。これから先、シワができることや、老眼になることや、関節の節々が傷むことも。

祝われるのはやっぱり苦手だ、誕生日はどうしても身構えてしまう、もうここに書けなくなることへの未練もタラタラである。全然年相応じゃない。30歳、という数字にはちょっとおののいているし、まだ口にあんまりできないし、心底早生まれにジェラシーを感じてもいる。
全然オトナじゃない。

でもそれでも眠れば朝が来る、1日は始まっては終わる、抗えないなら受け入れて、おめでたい振りをすべく口角をあげて、ケーキでも買うしかない。今年の誕生日はスターバックスのちょっと上等なケーキを買おう、未練とか涙とか吹っ飛ぶくらい美味しいものを。

はじめまして、30代。「さようなら」……いや、それはちょっと湿っぽすぎるか、「あばよ!」かがみよかがみ。

もし年齢制限のないサイトができたなら、また会おう。

■忍足みかんのプロフィール
昭和70年生まれ(=平成6年生まれ)の新人エッセイスト 中高大学女子校育ちでLGBT当事者。多趣味でありとあらゆるもののヲタク。昭和歌謡を愛し山口百恵とキャンディーズを神と崇める。 醜形恐怖症であり昨年美容整形。 スマホ依存症からの脱却を描いたデジタルデトックスエッセイ 「#スマホの奴隷をやめたくて」出版中

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