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【悪魔の王朝残酷史】賄賂政治の元凶となったひどい王妃は誰だったのか?

  • 2024.6.9

朝鮮王朝の悪女というのは、もしその人の地位が高ければ高いほど、周囲の人が本当に大きな弊害を受けてしまった。それだけに悪影響があまりに顕著なのだが、そんな風に歴史に汚点を残した王妃の1人が、23代王・純祖(スンジョ)の妻であった純元(スヌォン)王后だった。

彼女は、とても評判が悪い文定(ムンジョン)王后や貞純(チョンスン)王后と一緒に、「悪の三大王妃」として知られている。韓国時代劇においては、『雲が描いた月明り』と『哲仁王后~俺がクイーン!?~』にも登場していた。

そんな純元王后は、存命中にいったい何をしたのか。彼女の人物像について見ていこう。

純祖は、父親である22代王・正祖(チョンジョ)が世を去った1800年に国王となった。純元王后は、そんな夫との間に1男4女をもうけている。長男は、『雲が描いた月明り』でパク・ボゴムが演じた孝明(ヒョミョン)世子(セジャ)だ。

純祖は性格が優柔不断なため、上手く政務を行なうことができなかった。そんな彼の状況を利用した純元王后は、一族を繁栄させるために、父親の金祖淳(キム・ジョスン)を政治の補佐役にした。結果的に、一族の安東(アンドン)・金(キム)氏が要職を独占したのである。この場合の安東とは本貫(ポングァン)のことで、始祖の出身地をさしている。

哲仁王后~俺がクイーン!?~
『哲仁王后~俺がクイーン!?~』ではペ・ジョンオクが純元王后を演じていた(写真=© STUDIO DRAGON CORPORATION)
政治を衰退させた悪女

安東(アンドン)・金(キム)氏が権力を握ってやりたい放題だったので、賄賂政治が横行した。それにより庶民たちは苦しい生活を強いられてしまう。その様子を見て心を痛めていた純祖だが、自分ではどうすることもできなかった。

なんとかして安東・金氏の勢力を抑えようとした純祖は、息子の孝明世子に権限を与えた。父親の期待を受けた彼は、見事に政治改革を行なった。しかし、21歳で亡くなってしまった。

純元王后は息子の死を心から嘆いたが、その一方で実家の没落を免れた。それ以後、彼女は死ぬまで権力を離さず、朝鮮王朝の政治を衰退させた。本当に罪が大きい王妃であった。

文=大地 康

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